宮田識×西澤明洋が語り合う、多様性の「根」をみつけるためのブランディングデザイン ー 第9回「みんなでクリエイティブナイト」

宮田識×西澤明洋が語り合う、多様性の「根」をみつけるためのブランディングデザイン ー 第9回「みんなでクリエイティブナイト」

ブランディングは「平和のためのシステム」

西澤:それでは、本日のテーマ「ブランディングとデザイン」についてのトークセッションに入っていきたいなと思います。僕から早速質問させていただきたいのが、宮田さんにとって「ブランディング」というキーワードが入ってきたのは、宮田さんが仕事をされていく中でも、随分と後の方だと思うんですね。いつ頃からこの言葉が仕事の現場に入ってきたなと思いますか?

宮田:ブランディングという感覚はなかったかもしれないですね。さきほど生態系の話があったけれど、さまざまな企業がお互い幸せな状態をつくることが大事で、僕らはその企業にとっての「平和」のためのシステムを見つけ出すこと。それがブランディングの目的じゃないかといまは思ってますね。

西澤:すごい、テーマがでかい(笑)。

宮田さんは僕の母校である京都工芸繊維大学のKyoto Design Labの所長も務められていましたよね。最近出版された、京都工芸繊維大学副学長の小野芳朗さんの『〈妄想〉する未来』にて、Kyoto Design Labがブランディングされていく様子が克明に記されていましたが、立ち上げの際に実施された宮田スクールに、僕も参加させてもらってました。宮田さん流のブランディングでは、どんな仕切り方をされるのかなと思っていたんですが、その時も初っ端から「なぜ大学があるのかといえば、それは平和のためだ」とおっしゃっていましたよね。

さきほどの「意識の原理」と通じると思うんですけど、「なんのためのデザインなのか」という、デザインのテーマ設定なのでしょうね。僕は建築出身で、インハウスでプロダクトデザイナーを経験し、そこからグラフィックデザインを学んでいったのですが、「俺もいずれはあんな格好いいものをつくりたい」と、素晴らしい諸先輩方に憧れを持っていたんですね。いまにして思えば、デザイン雑誌などで、格好いい「かたち」のデザインしか見ていなかった。当時はまだ、デザインを狭く捉えていたんだと思います。宮田さんのおっしゃる「平和」には、かたちを見ているだけでは辿り着かないですよね。いつからそのように考えはじめたんですか?

宮田:うーん……いつだろうね。ついこの間かもしれないし、20歳ぐらいからずっと考えていたのかもしれないし、それはわからないけれど。

西澤:請負でデザイン業をやっていると、クライアントの依頼は限定的ですよね。僕らは経営戦略からデザインまでまるっと一気通貫したブランディングしか請けていませんが、はじめたばかりの頃は、ロゴデザインやWebだけ手伝ってほしいなど、部分部分でお話しいただくことが多くて。僕も宮田さんのように、若い頃からそれは違うなと思っていて、考え方の根っこに建築があることが理由としてあると思うんですが、すべてに責任を持って設計したいという気持ちでこの世界に入ったのに、小間使いみたいな仕事はちょっと違うなと考えていました。

ただ、「平和」にまでなかなか意識はいかなかったですね。宮田さんは、デザイン事務所をはじめられてからそういった意識を持たれているのかなと思いますけど、やっぱり請負業ではあったと思うので、クライアントワークをやっていく上での考え方はどのように変化していったのでしょうか?

宮田:うーん……基本的には請け負ってはいけないんだよね。確かにデザインというものは下請けが当たり前で、誰かの注文に対して何かを示すことがデザインではあるんだけど、「ちょっと待てよ、答えを出すことが目的なのか?」と思うようになった。どうしてそれに命をかけないといけないんだろうと。

たとえば、ある商品のことを自分がなんとかしたいなと思うのは、その会社に成長してほしいと思うからであって、そう考えると、相手と自分にとって、自由で平和な関係が成立することが幸せな状態なはず。そのための道筋をつくれるかどうかが、ブランディングなんじゃないですか。

売れるための道筋をつくったとしても、たとえば店舗側がその商品を卸したくないと言ったらもう終わりなわけで。請負業のデザイナーは、そのことの責任を取ることができない。そもそも、そういう立場を与えられていないから、クライアントが責任を取ることになる。そんな中途半端な関わり方じゃ、幸せにはならないですよね。

CDOの先駆けとしてのモスバーガーの仕事

西澤:宮田さんの中で、まるっと会社をデザインできたという手応えがあった事例はなんでしたか?

宮田:最初の方だとモスバーガーは最大にうまくいったね。

西澤:実は、僕が独立したての頃からはじめた仕事に、フランチャイズで展開している「nana’s green tea」さんのブランディングデザインがあるんですが、その際に宮田さんのモスバーガーの仕事を研究させてもらいました。

僕が感激したのは、ここまでがデザインの仕事になっていいんだな、ということで。最初の頃はまだ、部分部分のデザインにしか携わることができていなかったんですが、まるっとデザインするというのはこういうことなんだなと思ったんです。本や雑誌を読んで、「宮田さんはこんなふうにやっていたのかな」と空想することで、僕らの時代ならどうやったらいいだろうと考えながら仕事をしていました。ちなみに、「nana’s green tea」のフランチャイジーにはモスバーガーのオーナーさんもたくさんいて、経営のカルチャーも似てるのかなと。

宮田:……大変だったよあの時は。仕事をはじめるにあたって、3つ注文を出したんです。ひとつはキャンペーンをやらない。もうひとつはタレントを起用しない。3つ目は、おまけや景品といったものをつくらない。そして、売上の1%をブランディング予算に充ててもらった。

西澤:デザインに予算投下することって、デザインへの理解がないとなかなか難しいですよね。なにが適正予算かわからないと思うので。

宮田:当時はそこまで売上がないのはわかっていたから、そこまでデザイン費をとっちゃいけないのはわかっていて。モスバーガーは原価がとても高いので、計算が合わないんですよ。その条件でものづくりをしているから、1%でいいかなと。

西澤:そういう入り方って、もうモスバーガーの中の人ですよね。最近では、経営の統括にデザインの役割を生かすCDO(チーフ・デザイン・オフィサー)という立場が注目されていますけど、そんな言葉ができる前から宮田さんの仕事はCDO的ですよね。請負の仕事としては究極のやり方だと思います。

プロダクトブランド「D-BROS」を続ける理由

西澤:それでは、事前にいただいた質問を取り上げていきますね。

Q.自社のプロダクトブランド「D-BROS」を立ち上げようと思ったきっかけはなんでしたか?

請負業であるデザイン会社としては、「D-BROS」は極めてめずらしいと思うんです。ブランドとして商品をしっかりつくって、自社で在庫まで抱える。これは脱請負という考え方からはじまったんですか?

宮田:はじめたのは1995年なんだけど、その頃は広告業界が絶頂だったので、これからは落ちる一方だなと思っていた。こんな状態は長続きしないだろうし、仕事も無くなっていくんじゃないかなと思っていて、その頃すでに35〜45人くらいのデザイナーがいる会社だったので、別の安定した仕事を持たないとやばいなと。

それに、自分がきちんとデザインの仕事をこなそうと思っていたら、在庫や営業のこともわかっていないとダメだなと。自分が知るためには、実際にものをつくってみて、小さな店をつくるのが早いなと思ったんですよ。そうやって実験することで、なるほど難しいんだなということがわかる。

プロダクトブランド「D-BROS」

西澤:やってみてどうでしたか?

宮田:D-BROSはやっているだけでもう大変で、それを取り入れるという余裕はまったくなかったかな(笑)。

西澤:いまはネットで簡単に取引ができますし、エイトブランディングデザインの中でも、自分で作品をつくって売ったり、クラウドファンディングサービスで資金調達をしてスタートアップビジネスをやっているデザイナーがいますが、当時はそういったサービスも仕組みもないですもんね。

宮田:僕らが知っていたことといえば紙のことだけで、ほかの素材のことはなにもわからなかった。鉄や石、木のことも、あらゆることがわかっていなかった。木造の建物しかつくっていない建築家が鉄筋の建物をつくることができないのと同じで、同じデザインであっても、かたちがつくれないんだよね。つくってくれる会社のことも知らなかったので、いろんなところに電話をかけ続けるしかない。ほんと、なんではじめちゃったんだろうっていうくらい大変だったよ。

西澤:軌道に乗りはじめたのはいつぐらいなんですか?

宮田:軌道になんか乗ったことないよ。

西澤:いやいや、ずっと続いているじゃないですか(笑)。

宮田:それは、続けているだけ。デザイナーのためにね。D-BROSでは、社内のデザイナーにとって僕がクライアントになるわけだから、クライアントのそばにずっといることで、クライアントがなにを考えているのかがわかるようになりますよね。それはブランディングと同じ。まぁ、僕はなかなかOKを出さないクライアントなんだけど(笑)。

西澤:なるほど。ある種、社内教育的な意味もあったんですか?

宮田:結果的にそれは大きかったね。D-BROSの表現を通してデザイナーは伸びているからね。

西澤:ドラフト出身のKIGIのおふたりなどもそうですよね。

宮田:KIGIの二人はもともと能力が高かったけどね。

西澤:D-BROSは何年目ですか?

宮田:27年ですね。

西澤:長いですね、うちの社歴よりもぜんぜん長い。

宮田:会社や仕事っていうのはね、辞めた瞬間に負けなんだよ。歳をとって辞めるのも、負け。だから辞めなければいい。失敗は、辞めることなんだから。やっている最中に死んじゃえば、失敗はないんだよ。

D-BROSをずっと続けなくちゃいけない理由は別にないんだけど、いままでドラフトにいたデザイナーのプライドを守らなくちゃいけない。いままで頑張っていた(渡邊)良重や植原(亮輔)の立場を崩してはいけない。D-BROSみたいな存在がないとね。それが会社というものなんじゃないかな。

次ページ:キリン「生茶」のブランディングを振り返る