桐山登士樹が選ぶ 注目のデザイナー

COLUMN 樹幹通信 桐山氏の近況やデザインの話題をお届けします

2004年12月

深澤直人さんと森ひかるさんDESIGN WAVE 2004 in TOYAMA の展覧会会場にて、歓談する深澤直人さんと森ひかるさん

富山でデザインコンペティションを開始して11年間が過ぎた。当時、富山県にはグラフィックデザイナーを除くとデザイナーがほとんどいなかった。その為、県外のデザイナーに参画していただくデザインコンペを企画した。応募側のデザイナー、富山県の企業の双方が恩恵を受けるものでなくてはならなかった。いつしか話題となり川崎や海南の人が尋ねてこられ、他県のコンペの土台にもなった。その富山デザインコンペの公開審査会を去る11月24日に開催した。最終選考に残った10作品をそれぞれ応募デザイナーからプレゼンテーションしていただき審査を行った。

さすがに最終まで残ったデザインは、着眼点もよく、デザイン力もあり、質の高い審査会となった。欲を言えばデザイナーがちょっとおとなしすぎた。公開で審査される、人前で話す緊張感があるのは当然としても、自ら手掛けたデザインにもっと自信を持つべきである。

このコンペの発表展と同時にイタリアで15年以上暮らし、活躍する女性デザイナー5人からなる「FIVE JAPANESE DESIGNERS IN ITALY展」を開催した。ミラノで無から自分のステージを作り上げた力強い女性デザイナー展である。

2004年11月

We LOVE CHAIRS 展会場風景。会場デザインは佐々木博一さん。We LOVE CHAIRS 展会場風景。会場デザインは佐々木博一さん。

島崎信先生と一緒に監修させていただいたOZONE10周年イベント「We LOVE CHAIRS わたしたちは椅子が大好き」展を10月21日に無事オープンすることができました。この数ヶ月、事務所は椅子に関する書類や資料で溢れ返り凄い有様。しかし、オープニングパーティには、たくさんの方々に集まっていただき、久しぶりに多くの友人・知人、年長者との再会の機会となりました。振り返ればこの10年間、OZONEの展覧会やイベントを担当し貴重な経験をさせていただいた。なかでもアキッレ・カスティリオーニとの出会いは、生涯の宝である。師の楽しげに、熱く語る姿はいまでも鮮明に記憶する。デザインは日常の世界に存在し、その何気ない機能や形に生命を吹き込むことができるのがデザインである。また一方、多くの方々が倉俣史朗氏の足跡を記憶し、いまも強く支持していることを確認できた事が嬉しかった。その為、代表作であるアクリル素材の薔薇椅子「ミスブランチ」を所蔵しているコクヨさんへ強引に依頼し借り受けたることができた。今は亡きこの両人の残した意思を未来に継承していかなくてはならない。

椅子展がらみでもう一つ情報、友人の建築家・河辺哲雄さんが関わり、私は非力で協力はできなかったが「20世紀デザインの鬼才ジャン・プルーヴェ展」が神奈川県立近代美術館鎌倉で来年1月16日まで開催しています。こちらも必見の展覧会です。

2004年10月

ヴェネチィアヴィエンナーレARSENALE展示会場。金獅子賞は妹島和世建築の21世紀美術館。ヴェネチィアヴィエンナーレARSENALE展示会場。金獅子賞は妹島和世建築の21世紀美術館。

9月は多忙な月でした。寸分の時間も惜しみ、ガッガッと働いた月でした。先ずは、富山県総合デザインセンターの第一次コンペ審査会はなかなかの作品が集まり安堵。その後の深澤直人、谷内田章夫、名児耶秀美、近藤康夫の各氏と西麻布に繰り出し楽しい美食会。翌日、パリに飛びメゾンドオブジェを視察。溢れんばかりのインテリア小物に食傷気味、カルティエ財団のゴルチェの展覧会に唖然。ミラノでバナナ2本の悲しい夕食、打ち合わせ後、空港へ直行し帰国。慌しく仕事を深夜までこなし数日後、またミラノへ向け出発。ステファノ・ジョバンノーニの新しいオフィスと家の広さに脱帽。数日後、蓮池槇郎さんのお宅に招かれ4000平方メートルの大邸宅に驚嘆。ベローナのアビターレ・イル・テンポの会場で伊藤節、志信夫妻と会談。ヴェネチアビエンナーレのアーセナル会場のデザインは、元スタッフのNY在、太田登君がハニー・ラシッドのもとで担当(写真参考)。妹島さん、受賞おめでとう。今月は早川邦彦さん、原研哉さん、千住博さんともご一緒し、広島、富山の国内出張もこなした月でした。皆様に感謝。

10月7日夕刻には東京デザイナーズブロックに出展しているためパーティーを開催。場所は骨董通りと青学の間の道を入ったところ。21日からはOZONEで10周年イベント「We LOVE CHAIRS展」を島崎信先生と二人で監修。是非、来てください。

2004年9月

高岡滞在中は必ず立ち寄るお寿司屋にて高岡滞在中は必ず立ち寄るお寿司屋にて

この写真は高岡のお寿司屋さんの女将さんが撮ってくれた一枚である。私の隣にいるのはチッチリア・ファビアーニさん、ジャーナリストである。その隣は、ミキ・アストリさん、ヌンツィア・パオロ・カラッロさん、そして一番奥がジェトロ富山の所長の温井邦彦さんである。8月24日、富山県総合デザインセンターが主催する事業の一環として、イタリア人のデザイナーを日本へ招聘した。翌日から4日間に渡り県内企業を視察し、製造業の経営者、職人等々とコミュニケーションを重ねた。ミキさん、パオラさんの両デザイナーは、親日家である。私たちより日本の素晴らしい名所旧跡や名建築、伝統工芸に接し知見を高めている。食の面でも滞在中の食事はすべて日本料理にして欲しいとリクエストされた。欧州のデザイン界にジャパンテイストが定着しようとしている。空間インテリアからモノにいたるまで、シックで落ち着きある日本の色や道具は、トレンドを凌駕してきたアッパーミドル層に新鮮に映るらしい。日本の高い技術力と繊細な行いとの微妙なバランスが彼らを刺激している。

8月28日、お台場の展示場で行われたGDPのプログラムでショートプレゼンテーションを行った。トネリコさんを初め8名のデザイナーと壇上に立てたのが嬉しかった。また、つたないお話にお付き合いいただいた皆さんにも感謝です。

2004年8月

遠州流「綺麗さび」で行われたお茶席遠州流「綺麗さび」で行われたお茶席

1987年11月、当時「ブループリント」の編集長だったデャン・スジャック氏にロンドンのオフィスで会った時、「THE CONRAN SHOP」というコンセプトショップがサウスケンジントンのミッシュランビル内にオープンすることを聞いた。当時、この地区にはノーマン・フォスターが「キャサリンハムネット」のブティックデザインを行うなど、デザインの芽が育ち始めていた注目のエリアであった。たぶん日本人でも一番早く訪れた一人(オープン日)であると思うが、来店するなり魅せられてしまった。こんなショップを是非東京で開店したいと夢を見た。夢は適わなかったが、93年7月に東京ガスが西新宿のOZONEに開店したことは周知の事である。その10周年を記念して「My Favourite CONRAN」展が31日までOZONEプラザで開催されている。このたった一軒のお店がロンドンの都市を大きく変えるきっかけになった。

OZONEで開催した「夏の大茶会2004」は無事に終了することができた。様々な課題の調整に体力を要するイベントだが、お茶を通して茶文化に触れるきっかけができて楽しい。また運営をお願いする25名の学生アルバイト君たちの人柄や可能性に触れるのも心地よい。この若く可能性のある才能を日本の企業はもっと活用すべきである。ミラノの菰田和世さんからの紹介で、30日の夕方、青山のホテルでガブリエレ・ペッジーニさんに会った。この人の人柄、才能にも魅せられた。渋谷の片隅の日本料理屋で夕食を共にしたが、地に足がついたなかなかの逸材である。次回このページで紹介したい。

富山のデザインウエーブのコンペ は、まもなく登録締切です。課題は「収納」。大きな収納から卓上の収納まで、お持ちの考えをデザイン提案してください。今年も強力な審査員が前向きに対応いたします。

2004年7月

デザイナーの長大作さんと、スタッフの矢崎はるかさんデザイナーの長大作さんと、スタッフの矢崎はるかさん

ウォークマンの生みの親で知られる黒木靖夫さんが71歳にして大病を患い一時心配したが、先日2ヶ月ぶりに羽田空港で会い元気な姿を見て安心した。到着後、富山空港のレストランでカレーを食べる姿は、まさに不死身、驚異の回復力に脱帽。4月にベルリン、ミラノを一緒に回る予定を順延したので、秋に決行する計画を練る。私も自らでも信じられないオヤジ(年齢)になったが、まだまだ老馬の智に学ぶことは多い。巨匠エットーレ・ソットサスも80半ばにして現役デザイナー、時たまお食事をご一緒する長大作さんも80歳半ば、皆さんお元気で特に精神に老いはない。感服の至り。それに比べて、企業デザイナーは元気がない。若いデザイナーの焦りや不満が蠢く。背景にはデザインを日常会話として話せる上司や経営者の少ないことが上げられる。しかし、嘆いても始まらない。デザインのコミュニケーションはもっと英知を出して考えるべきだ。何せデザイナーには定年はない。先の三人のように生涯デザイナーとして、魅力的な存在感を醸し出して欲しいと願っている。

先週木曜日、この15日からOZONEで始まるお茶展の打ち合わせで、遠州茶道宗家十三世家元小堀宗実家を訪ねた。茶道界でもそのお道具には定評はあるが、そのたたずまいに感服した。日本人が日本人としてまだ見ていない、見落としている世界があることを実感した。自分に高度な刺激を与えてくれる環境が何より大切だ。

2004年6月

開発が進むみなとみらい地区(オフィス屋上から)開発が進むみなとみらい地区(オフィス屋上から)

「デザインで都市を変える」をキャッチフレーズに2000年にスタートした東京デザイナーズブロック(TDB)のキックオフパーティーが昨夜(6/7)開催された。今年のテーマは、「1968 REVOLUTIONS」。振り返ると当時影響を受けた音楽や映画、アート、そしてテレビから送られる学生運動のシーンや国会中継など、様々なシーンが記憶として蓄積されている。人々が自由と権力からの解放を求めエネルギーが満ち溢れた時代であった。TDBのプロデューサーの黒崎輝男さんは「もはや世界を本当に変えられるのは、広い視点を持ち、本質を突いたデザインの革命とその力しかない、そう確信している」と語る。友人でもある黒崎氏のメッセージに共感を覚える。一方、私は自分のホームグランドの横浜を新たなデザインステージとして、立ち上がらせたいと思っている。今年に入り、みなとみらい線の開通、日産の本社機能の移転計画発表などグッドニュースが続いている。横浜市の中期経済活性化会議で1年間議論してきた経済インフラの政策は、次のフェーズに入ろうとしている。日々開発が進む都市開発にハードソフトの両面からデザインが必要とされている。何十年先に回顧される「2004 Reality」でなくてはならない。

デザイン&デザイナー紹介も65回目の連載になり、過去紹介したデザイナー達も、その後独立されたり、ユニットが発展的解消をしたり、また多くの実績を生み出したり日々成長している。今月号から随時リューアルしていくことにしました。

2004年5月

  今年のお茶展のポスター。この他にグリーン、イエローを媒体ごとに展開予定。デザインは粟辻デザイン。

サローネをJDNに掲載したところ二つの反響があった。一つは、私の単純なキャプションミスである。機中で原稿を書き、約700枚の写真を瞬時に選び掲載したところ、直ぐに一箇所間違いがあるとの指摘があった。本当にURLは凄い、怖い、今後はさらに慎重と反省。余談だが持参した810画素のデジカメの性能にも感服。使い慣れたコンタクスや645カメラと同等、場面によっては、それ以上のレベルを保証してくれる。初期のデジカメから数えて5台目でやっと満足いくカメラに到達した。デザインもかっこよい。二つは、ミラノサローネが一般紙誌にも取り上げられ、各人のリポートを見ても盛況なのに私のリポートは評価が低いと言う質問である。もともとミラノサローネは、商談の場なのである。こんなお祭りになったのはここ数年。成熟し盛り上がれば盛り上がるほど衰退するのが世の常である。ビジネスやイベントの場としては評価しているが、デザインは新しい価値を創造し具現化していく活動と定義している私には物足りない。片肺だけで盛り上がっていては将来が心配。水面下ではそこそこのデザイナーはもういらないなんていう話が、実しやかに話されています。

OZONE夏の大茶会を企画コーディネーション中です。今年は、7月15日から6日間、OZONE10周年節目のイベントとして、昨年同様12万人の来館を予定しています。私自身は、お茶の専門家ではないが日本の文化を再発見する機会となっている。最後に4月27日「EGG FORM」の発表会、当日の悪天候にもめげず250人ものマスコミ、デザイン関係者、バイヤーに集まっていただきました。感謝。

2004年4月

商品開発「EGG FORM」世界最高水準を目指して商品開発は行われた。
デザイナーは高市忠夫さん。

富山県総合デザインセンターのデザインディレクター職も12年目を迎えた。世田谷区の財団は6年目になる。長期にわたって地方行政に関わり、リソースを生かしたデザイン開発から新たなマーケティング手法や生活者との出会いの場を企画し実践してきたせいか、このところ他の機関からのラブコールが多い。信頼いただき嬉しいことだ。しかし、同時にプロデュースとかコーディネートを行う人材が不足していることの表れでもある。星の数ほどデザイナーはいるが、スキームの中心に座る人材の欠如がビジネス創出の大きな問題点である。

2年間開発に時間を要してきた富山県企業、北陸アルミの鍋・フライパンの新ブランド「EGG FORM」の発表会を4月27日青山で行う。このためにデザイナーと綿密な打ち合わせを行い、ロゴ、カタログや取説のグラフィック、パッケージングにも力を入れてきた。同時に首都圏のライフスタイルショップ400店舗あまりも調べ、流通デザインまで取り組んだ。新たなブランドの誕生にワクワクしている。

日曜日からはミラノサローネの取材に出かける。この5~6年はイタリア年絡みやクライアント絡みで多忙な取材であったが、今回は取材オンリーだ。17年間連続して視察分析してきたが、そろそろ隔年にするか迷っている。もちろん新たなデザイントレンドを発見できれば来年も取材したい。こちらは後日、綿密なリポートを掲載する予定です。

2004年3月

ループデザインセンターループデザインセンターのクリエーティブディレクター、フランシスコ・コッポラ氏。このセンターは元製粉所。昔の道具が要所要所にインテリアの一部として使われている。

今月から私のエッセイを掲載していただくことになった。デザイン&デザイナー紹介も丸5年が過ぎ、6年目に突入した。近々、海外デザイナーも紹介していく予定である。このページを連載していて一番の喜びは、創造人(デザイナー)に出会えることである。この知の結集こそ、次代の可能性を広げることになると信じている。

ところで、1月末にアッシュコンセプトの名児耶さんをゲストに行ったデザイントークは、歯切れの良いジャブが炸裂した会だった。40数名の皆さんをもてなすために、イタリアみやげの生ハムを1時間かけて切り続けた私も満足だった。塚本カナエさんが日大生17名を引率してオフィスに現れた。日ごろの考えを話しただけであったが、翌日数名の学生から再会希望のメールをいただいた。今月は時間を割き、相談に乗る予定である。

2月19日、ボローニャ郊外に誕生したループデザインセンターを訪問した。彼らからタイルとクルマ産業の盛んなリソースを生かしたデザイン戦略を聞き、久しぶりに熱くなった。

2月21日、イタリアでの仕事を終えて、6時間だけフランクフルトのメッセで開催されているアンビアンテを視察する予定であったが、大雪でミラノマルペンサ空港は閉鎖。結局5時間遅れで飛行機は飛んだが会場には行けず、フランクフルト経由で打ち合わせのあるパリへ飛ぶ。アンビアンテ、特にプラスデザインを視察できず至極残念だった。