OPINION LEADER ナガオカケンメイ(2)

OPINION LEADER ナガオカケンメイ(2)

(この記事は2010年4月21日に掲載したものを、再構成して掲載しています)

流行に左右されない定番商品に価値を見出す

ナガオカケンメイのプロジェクト「60VISION」は、1960年代に生まれた日本の流行に左右されない定番商品を再発見し、新しいコンセプトを吹き込み、現代のロングセラーマーケットに提示するものである。骨董やアンティークなど、古き良き伝統を好むのとは違う。彼はなぜこの時代に着目したのだろうか?

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「60VISION」のキーカラーはグリーン。

ナガオカ:「僕は、人がつくったマーケットにはまったく興味がない。それと、産業全体が何かに牽引されて大きく動いていく時、向かう先よりも取り残されたものに関心があるんです。たとえば車でいうと、いわゆる“アンティークカー”ではなく、“1960~70年代の高度経済成長期につくられ、今はもう見向きもされなくなった車”。「ホンダ」でいえば、「シビック」ではなく、「ワンダーシビック」や「シティ」。

ある時代はたくさん存在していたのに、現在はどこを探しても見つからないモノ、皆の記憶に刻まれているのになくなってしまうモノ。それは、ファッションや車といったどんな世界にも当てはまり、椅子や食器にも同様に当てはまる。「60VISION」は、1960年代にはその価値を見出されなかったものばかりだ。今や年間何億円も売上を上げている「カリモク」(※)の椅子は、当時の主要納入先が自衛隊か中小企業の応接室がほとんどで、年間数百脚が売れるかどうかという状況だった。ナガオカケンメイは、廃番になりかけた頃に興味がわき出し、それが「60VISION」の誕生につながった。

ナガオカ:若い人に買ってもらうことで「カリモク」は「カリモク」というブランドを取り戻そうとした。企業のあり方を見直すきっかけにも。“役に立たないものがとても役に立っちゃった”っていうのがすごく好きなんです。先日、トレンド誌の編集者から「毎回トレンドに乗ってきますね。カフェから始まり、リサイクル、エコ、ユーズド、畑…で、今回は観光ですか?じゃあ今度は観光ブームが来ますね」なんて言われたんですが、僕としては、手広くやろうとしているわけじゃない。トレンドから切り離して考えようと思いはじめた瞬間、自然とトレンドになってきている。

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会期中は「カリモク60」の「Kチェアエリアリミテッド」が全色お目見え。

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「マルニ60」のオークフレームチェア新色

「60VISION」は、いわゆる“懐古主義”とは異なる。“リサイクル”や“エコ”など、時代の流れを追っているわけでもない。ナガオカケンメイの根本にある「日本のものづくり」、「長く愛着を持って使うこと」への思いだ。

(※)カリモク=カリモク家具販売株式会社
ピアノの鍵盤やテレビの木枠部分などを製造していた刈谷木材がその天然木の優れた加工技術を活かし、1962年から国内向け家具の生産を開始。木肘椅子のKチェアは、当時から40年以上も変わらないデザインで作り続けられている定番商品。

「熱意」を企業に伝える独自の手法

『60VISION』に参加する企業は共通点がある。それは家族経営で、40〜50年創業の3代目が多いということだ。実は、3代目が経営しているので「60VISION」が受け入れられている背景がある。

ナガオカ:お父さんはおじいさんに現場で叩き上げられて、会社を大きくさせた。3代目はその頃、海外の学校に留学していて、現場の様子も、お父さんがおじいさんにどんな指導を受けたかも知らない。景気が悪くなって、大きな工場を持つ会社が次々と倒産する。小ロット・多品種に対応しなくてはならない事態になったときに「改革が必要だ」と、日本に戻ってこさせられる…。そんなことが、10年ほど前にあちらこちらで起こり、当時の書店にはブランディングの本がたくさん並んだ。そんな環境で3代目は何をやっていいか分からないため、そういった本を参考にしたそうです。わからないながらも、3代目はおじいさんを手本にする、ということが何となく根本にあるんです。おじいさんと同年代の職人さんは3代目が生まれたときから知っているわけですし、それも彼らの財産なんです。

現在「60VISION」には12社が参加している。つまり、ナガオカケンメイと12社の思いが共鳴したからこそ産まれたプロジェクトであるわけだが、多くの苦労も共にしている。

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ロゴは企業の昔のロゴに60を付けたデザイン。

ナガオカ:始めはいつももひとりなんです。古いものを終わらせて、次へ進もうとしている企業からすると、廃盤になった商品をもう一度作ることはなかなか出来ないことです。でも、企業経営者も好きで廃番にしたわけじゃないんです。思いを込めて製品開発して、自ら営業販売して…。でも、新しい商品が出てきて、広告宣伝費もかけられなくなって、新商品を売る。新しいミッションがあるから、泣く泣く廃盤にしているんです。」

温和な人柄、独自の視点、ものづくりに対する思い。そんなナガオカケンメイの魅力に引き込まれる企業は多い。しかし、見向きもされなくなった製品をもう一度世に送り出すことは、企業にとって大きな決断だ。決断させるためには何か決め手があるのではないだろうか。

「60VISION」のプレゼンテーションにおいて、ナガオカケンメイはまずカタログと商品パッケージをつくる。コンセプトや値段はナガオカケンメイが売りたい価格に設定し、コピーも自ら書き、写真を合成して製本する。

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ナガオカ:「60VISION」に参加予定の企業には、まず最初に昔のカタログを全部送ってもらうんです。何十冊というカタログから商品をピックアップして、1冊のまったく異なるカタログをつくる。それを渡すと、「そんなの復刻しても絶対に売れないよ」と言っていた年配の担当者が、カタログの体裁をはじめ、コピーやパッケージの写真、値段を見て「これはいけるかもしれない」と思い始める。

架空の30秒CMをつくって、本物のCMの間に挟み、テレビ番組を見せることもある。復刻予定商品のwebサイトをつくったり、架空のチラシを新聞に折り込むこともある。社長が購読しているビジネス誌を調べ、その会社がその商品を復刻することによって起こる社会現象を記事風に書き、わざわざビジネス誌のホチキスの針を外して記事を差し込み、社長が乗るハイヤーに入れておいたりと。とてもユニークなプレゼンテーションだ。

ナガオカ:完璧に、これは僕の道楽(笑)。広告のグラフィックデザインをやっていた人間の得意技です。以前、嘘の記事にふせんを貼った雑誌を、担当者にバイク便で送ったことがあって、そこから僕の一連のプレゼンが始まったんです。気づかずに捨てられてしまったこともありました(笑)。

ナガオカケンメイは、プレゼンの中でさまざまなことを行う。「アデリア60」(※)のコーヒーセットは、かつて5組セットで売られていた。若い世代向けにコンパクトな2組セットにし、パッケージもナガオカケンメイ独自の新たなデザインにした。もちろん、これは企業側から依頼されたわけではない。企業がプロジェクトに参加するかしないかの段階でつくり上げた、独自のプレゼンテーションの一部だ。つまり、100%“持出し”だ。自分自身でリスクを負わなければ、モチベーションが上がらない。それが、”ナガオカケンメイ”なのだ。

(※)アデリア60=石塚硝子株式会社との共同プロジェクト
オランダから長崎に硝子の製法が伝来するとともに創業者石塚岩三郎による研究開発がスタート。薬瓶の製造から、ランプや電球、牛乳ビンやビールビン、やがてガラス食器の開発を開始。石塚ガラスの食器はアデリアという名で世界に広まる。

「ビジョン」があるから「道」ができる

ナガオカケンメイさんのやり方は、労力と、膨大な費用を要することも多い。ナガオカケンメイの会社は、グラフィック、web、映像を制作するデザイン会社でもある。その売上のほとんどが自分たちの活動に使われているという。

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「60VISION 企業の原点を売り続けるブランディング」2008年/美術出版社より発刊。数ある定番商品を復刻させてきている本プロジェクトの全貌がわかる1冊

ナガオカ:自慢にならないんですが、純利益をキレイに使うから、手元になにも残らない(笑)。かわいそうだけど、ここで働いている人は出世もないし、お金儲けにもならないと思います。今回、創刊したトラベル誌「d design travel」も、ビジネスとして成り立つには、かなりの時間がかかる。

「d design travel」は、「デザインに関心のある人たちは、観光しない」という仮説を立てた上で、デザインが好きな若い人たちが読む観光雑誌をつくろうと始めたプロジェクト。ナガオカケンメイ自らがその地に足を運び、コンセプトに共感したお店や旅館などを紹介する。全頁原稿を執筆し、これから13年かけて、年4回発行する計画だ。

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「d design travel 第一弾:北海道」ナガオカケンメイら編集スタッフ自らがその地に足を運び、制作。年4回発行予定。

ナガオカ:「基本的にすべて持ち出し。僕はお金に関して本当に無頓着で、完全にビジネスの視点は捨てている。「それは金儲けになるからやめよう」という経営判断をしているんです。考えてみると、おかしな判断なんですけど(笑)。だから、多店舗展開するという計画が上がったときも、それはお金儲けの発想だからやめようと言ったんです。だから今はやりたい人が手を挙げたらやろうということになったんです。

「D&DEPARTMENT PROJECT」の物件を探す際も、立地のいい場所は避けるという。改めて各店舗の立地を見ると、どこも決して利便性が高い場所とはいえない。現在進行中の鹿児島は唯一立地がいい場所だが、ナガオカケンメイがプロデューサーを務める百貨店再生プロジェクトに「D&DEPARTMENT PROJECT」が参加しているという形態をとっている。

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「D&DEPARTMENT PROJECT」専用の車両。この車で各地をまわる。

ナガオカ:「鹿児島を活性化しよう!」なんて言いながら、自分はそこに住むわけじゃないのが嫌だった。だから自分の店をテナントとして入れて、リスクを半分持ったんです。“責任感”といえばかっこいいけど、自分が納得できないし、リスクがないと燃えないだけ。

穏やかな口調で語るナガオカケンメイだが、その言葉一つ一つに活力を感じる。彼の活動は多岐にわたる。そのどれもが根本的に同じポリシーでビジョンが掲げられている。それはおそらく、どれもが「彼自身」のモノ作りから生まれたモノであり、「社会」を俯瞰した中で見つけた、ナガオカケンメイのフィルターにかかったモノだからだろう。

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さまざまなジャンルを横断的に活動するナガオカケンメイに、職業は何か聞いてみた。

ナガオカ:僕は「ビジョナー」になりたい。ビジョナーとは、作風というよりはビジョンを提示できる人のこと。皆がそこに向かって行けるような強い「ビジョン」を提示できたらいいなと思っています。