いままでにないプロダクトデザインを求める「SHACHIHATA New Product Design Competition(シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティション)」の応募が、4月1日にスタートした。第17回目となる今年度のテーマは「可視化するしるし」。テーマに沿った、「しるし」が持つ可能性を広げるプロダクト、もしくは仕組みの提案を募集している。
審査員が活躍する現役のデザイナーであることも話題で、毎年結果発表が待たれる同コンペ。前回から続投の中村勇吾さん、原研哉さん、深澤直人さん、三澤遥さんのほか、今年度のゲスト審査員を務めるのはグラフィックデザイナーの岡崎智弘さんだ。
本記事では、原さんと岡崎さんに、「可視化するしるし」というテーマをどう解釈するか? 応募作品に期待することなどをうかがった。
岡崎さんの仕事は「7と8の間に無限を発見する」ようなこと
――岡崎さんはゲスト審査員としてはじめての参加ですね。ご経歴を教えていただけますか?
岡崎智弘(以下、岡崎):基本的にはグラフィックデザイナーとして活動しています。過去の勤務先では、印刷物を中心としたグラフィックデザインを経験してきましたが、30歳くらいのとき「写真を連続して撮ると動いて見える」ことに気づき、すごく面白かったので、そこから仕事とは別の時間でコマ撮り映像の制作に取り組みはじめました。
岡崎:その頃から、自分が捉えていたグラフィックデザインに時間軸を導入するとどんなことができるかな、と考えていました。その活動を継続していたら、徐々に仕事につながりました。最初の仕事が、NHKの「デザインあ」という教育番組の「解散!」というコーナーです。当時はデザイン事務所に勤めていたので、上司に相談したところ、両方やってみていいよと言ってくれたので、1年間没頭して両方の仕事を続け、それをきっかけに独立しました。
当時は2011年頃でしたが、グラフィックデザインと映像の分野は、まだ分断されていました。後から考えれば、いろいろなグラフィックデザイナーの大先輩たちも映像をつくっていることがわかったのですが、当時は「僕はグラフィックデザイナーなのかな?」という悩みがありました。でも動いていようがいなかろうが、視覚的な情報や経験を扱って設計し、向き合う仕事なので、いまはグラフィックデザイナーだと思いながら仕事をしています。
原 研哉(以下、原):僕もコマ撮り作品は大好きですよ。でも岡崎さんがいるので、自分ではやろうと思わなくなりましたね(笑)。岡崎さんに任せておけば、もうやりつくされていくんだろうと。それくらい面白いです。
2023年の亀倉雄策賞の個展「STUDY」も、あれだけ作品が累積してくると、もう1ジャンルになっているというか、岡崎ワールドが完成してきますね。それをただ唖然と見ているだけという感じです。SNSもそうですが、効率よくシンボリックに意味を届けることが大事な時代だから、すごくタイムリーな登場のされ方だと思いますね。
岡崎:確かに情報の総量がそもそも多い時代なので、SNSやオンスクリーン上だと、手短に簡単に伝えるコミュニケーションをデザインしようという流れはありますね。
原:伝えること、つまり最短距離でビジュアライズすることに関しては、たとえば寄藤文平さんの仕事がすごいなと僕は思っていたのですが、岡崎さんの仕事もそれに近いですね。ある意味で憧れるというか、最短距離でものの様相を無駄なくビジュアライズしている。
なんかグラフィックデザイナーって、余計な芸をしすぎるわけですよ。つまり、素晴らしすぎたりするわけです。その「素晴らしすぎる」ところを全部取り去って、大事なエッセンスだけをぐっと残しているところが、いいのだと思います。
岡崎:僕の映像は短いものが多いのですが、1個ずつを作品だとは思っていなくて。いまはとりあえず、マッチだけで10年続けたいと思っています。10年で1個の視覚的な何かをつくろうとトライアルしているところです。
岡崎:グラフィックデザインはいろいろなところに存在していますが、たまたま「コマ撮りの土地」が柔らかかった感じがしていて。土が柔らかくて、栄養も実はあって、掘っている人があまりいなかった。でも夢中で掘ってみたら、ミミズやらいろんなものが出てきた感じで、それを面白がっているうちに10年過ぎました。だいぶ土が踏みならされているグラフィックデザインの土地も重要ですが、掘るだけで楽しい場所にいられる幸せはあります。
原:マッチだけで10年やろうという根性はすごいですね。そういう発想が未来や領域を開いていくのだと思います。ときどき話すのですが、これまでは世界が11、12、13……って進むと、みんな次は14や15が未来だ、と思ってそこを見ている。でもたとえば、7と8の間に「7.2」というものを誰かが発見すると、みんな「え!?」と驚く。小数点の発見によって、7と8の間に無限に数があるとわかってしまった。つまり未来は必ずしも14や15じゃないと気づくわけです。
僕も昔は領域のことをよく言っていたけれど、最近は言わなくなりました。領域というのはお好み焼きの天板の上に、野菜をいっぱい置いたり、小麦粉をどんどん広げていったりするようなことではないんですよね。それは7と8の間に無限の数を発見することで反転したり、拡張したりするのだと思います。岡崎さんのマッチは、それをまさに絵に描いたようなことで、非常に胸のすく登場の仕方でした。
岡崎:僕が取り扱っている対象は、自分の中にあるものじゃなくて、この世界にあるものなんですよね。僕はやっぱり、動きの質感や構造にすごく興味があります。一般的にデザインって、多くの情報や感覚をどう構造化していくかを、おもに社会的、文化的な文脈から考えると思うのですが、動きにフォーカスすると、生物的な反応のようなものが気になってきます。
原:岡崎さんの仕事は、いわゆるデザインの領域を少し広げてみるような、そういうことではないですね。「どこまでがデザインか?」みたいな小理屈ではなく、見ただけで「なるほど、そういうことなんだ」とわかり、とても明快です。グラフィックデザイナーの仕事というのは「ビジュアライズする」ことだけど、本来そういうものなんだろうと思います。
「目からウロコを落とす」というビジュアライゼーション
――今回のテーマはまさにビジュアライズ、「可視化するしるし」ですが、テーマに対してどのような印象を持っていますか?
岡崎:「可視化する」という言葉は、いわゆるグラフィックデザイナー的な仕事でいうと「視覚化する」という意味がありますが、同時にこの世界から「捉える」とか「見つける」とか、同じものを見ているけれど、それ以外のものを発見する、みたいな「可視化」ももちろんありますよね。
視覚って感覚器の中では独特の強さがあります。だから可視化というと、強いものをつくるイメージがあるかもしれませんが、むしろ見ても全然気づかないみたいなことも、見ることの豊かさ、面白さなんだろうと思っています。いままで見えていたものがわからなくなる、みたいなこともおそらくそうです。
可視化するって、わかりやすくする、わかるようにするみたいな意味も持っていると思うんですが、基本的に世界は全部わからない。本来わかりえないものを、人はわかるようにしてきた歴史があって、デザインは人が理解するための営みであると同時に、人間のいろいろな豊かさに接している技術でもあります。だからこそ、可視化されているからよりわからないとか、わかるもののそのまわりのわからなさに気づけるとか、そういったものも多分にある気がしています。
原:「いかに知らないかをわからせる」ようなことが、僕らのコミュニケーションの上でとても重要だと思うんです。こんなに知らなかったんだ、と気がつく方が衝撃なんですよね。「目からウロコが落ちる」って言うけれど、目にはウロコがついてるわけですよ。それを落とすと、はっと気がついて見えるようになる。それこそまさにビジュアライゼーションですよね。
だからこのコンペの場合は、目からウロコをどう落とすかが重要です。普段見慣れているものを、はじめて見るかのように見せる技術でもあるかなと。岡崎さんも、常にマッチ棒ですから。1本でこれだけできるか、みたいな。
岡崎:つくるという行為は、常に次があるというか。何かができました、はい終わり、っていうことって、生きている上でないと思うんです。人の営みは本来そういうもので、つながっていく。ことさら文化はそうだと思います。
そういう目線でいくと、このコンペティションも何らかのかたちをつくると思うので、当然、つくって終わりではなくて、その先がずっと有機的につながっていく。元々ハンコ自体もそう使うものですしね。そのしるしがまた機能する。だから何かが可視化されたときに、その先の豊かさというか、新しい地平につながるような体験が大事なのだと思います。
原:災害が起きたときに、日常に気づかされますよね。あれはいかに自分のまわりに「知らないこと」があるかがわかる瞬間でもあります。普段の生活では感覚が馴化してしまっているけれど、災害によって水道や安定した天井、柔らかいベッドがなくなると、はじめて水の存在の重要性や安定した睡眠の大切さに強烈に気がつくわけですよね。
災害のようなショッキングなこともそうですし、有意義な気づきによって、岡崎さんの言葉で言うと「豊かな感じ」になるというか。そういうことをコンペでは求めているのだと思います。
このコンペティションも従来のハンコのコンペから、もっとエッセンシャルなデザインのコンペになろうとしているところがあるので、その幅の広がり方は今回も期待されるところだと思います。まさに何を可視化するか、ということですね。
岡崎:ハンコという形でもなく、しるしのさらにその先を捉えるというか。
よりたくさんの人の「新しいしるし」を見てみたい
――今回の告知グラフィックは原さんが担当されたそうですが、どのような思いを込めたのか教えていただけますか?
原:多義的というか、一体これは何なんだ?と思ってもらうことが大事かなと思っています。下の方の火星人の足みたいなものは何ですかと言われても、特に意味はない。シンボルマークなどは「こういう意味です」、というものを出すのではなくて、いろんな意味になりうるものをつくることが重要で、そうすると見る人が勝手にイメージを見立ててくれる。
原:だからいろんな人が見立ててくれた、あらゆるイメージを受け止める容量の大きさが重要で、一定の意味しか持ち得ないシンボルはやっぱり弱い。解説的に言うと、意味の見立てを促進させるためのオブジェクトをつくっている、ということです。同時に、今回のテーマの「可視化する」は難しいから、ちょっと楽しげなビジュアルにしておきたかったですね。
――原さんはこの審査員を務められて長いですが、これから期待していることはありますか?
原:僕ら審査員の役割は、応募者の幅を広げて、よりたくさんの人に参加してもらうコンペにすることだと思うんです。受賞者には常連もいて実際に上手いわけですが、いままで見たことのない角度から新しい何かに気づかせてくれるものに期待したい。より多くの人から多くのアイデアを引っ張り出して、考えもしなかった輝きに対して賞を出すというのが、僕らの役割だと思っています。
岡崎:審査はまだ体験してないからわかりませんが、わけがわからないほどのいろいろなものたち、うごめいているものたちが人智を超えるぐらいたくさんあったり、ぱっと見たときに整理できないくらいの状況だったりすると、すごく楽しみですね。やっぱり単純に、量という指標があると思うんですね。たくさん集まることが望むことかもしれません。
原:審査員としては三澤遥さんも比較的新しく入ってきましたが、岡崎さんや三澤さんの世代は、世代として何かありそうな気がするんです。
ジェネレーションについてことさら言う性分ではないけれど、たとえばデザイナーの佐藤卓さんなんかはデビュー以来すごく長い付き合いなわけです。3歳ぐらい年上の存在で、深澤直人さんは2つぐらい年上です。僕らは仲が良いのか悪いのかわからないけれど、でも常に並走してきているんですよ。それが否応なくひとつのジェネレーションをつくっている気もするのね。
三澤さんや岡崎さんは、そういう僕のジェネレーションとはまったく違う道を行っている。僕らも実はそうだった。先輩たちがならしたコンクリートの道を行かず、脇に逸れて野原を徒歩で行くような人たちだったと思うんだけど、いまの岡崎さんたちも、先輩たちがつくってきた道ではないあぜ道を行こうとしている。そういうジェネレーションが審査員として入っていることは、メンバー構成としてすごく重要だと思います。
――最後に、応募者に対してのコメントをお願いします。
原:しるしとは何かと聞かれると「ある資格において何かの代わりになるもの」といつも答えるんだけど、最近印象的だったのは、パリ五輪のプロモーション映像です。エッフェル塔の脇をジェット戦闘機が飛んでトリコロールを描きましたよね。あれは衝撃でした。うまいなーと感心しました。
「パリで五輪をやるよ」というメッセージをたった2秒ぐらいの映像で、世界中に示せたんです。あの「しるし」はすごかったですね。一瞬でビジュアライズされました。ビジュアルデザインというのは、ああいうことができることだと思いますね。
岡崎:単純に言うと「こうであるべき」みたいなところと相当遠い、新しいしるしを見てみたいです。当たり前すぎる、普通のもののなかにもたくさんあるし、僕らにとって未開拓のゾーンもあるから、多数いる審査員全員の知見を持ってしても、まだ知らないぞというような、新しい領域のものが現れると面白いと思います。
■第17回シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティション
https://sndc.design/
取材・文:角尾舞 撮影:加藤麻希 編集:萩原あとり(JDN)