「Ginza Sony Park Project」でソニーが提示する、「工夫して壊す」ということ(前編)

「Ginza Sony Park Project」でソニーが提示する、「工夫して壊す」ということ(前編)

ソニーの創業者のひとりである盛田昭夫が1966年に建設したソニービルが2017年に解体され、「変わり続ける公園」として、2018年8月から解体再開までの期間限定でオープンした「Ginza Sony Park」。さまざまな展示プログラムや音楽ライブ、ユニークなショップなどが楽しめる場所としてだけではなく、訪れる人の憩いの場所として日々多くの人に利用されている。

ソニーという大きな企業が下した「建てない」という決断と、銀座の一等地にぽっかりと開いた空間は大きな注目を集め、ソニー初の建築分野における金賞を2019年度グッドデザイン賞と「iF Design Award 2020」で受賞している。「Ginza Sony Park Project」の中核を担ったソニー企業株式会社の代表取締役社長兼チーフブランディングオフィサーの永野大輔さんと、ソニー株式会社クリエイティブセンターのシニアアートディレクターである城ヶ野修啓さんに、プロジェクトの背景についてうかがった。

※本記事の取材は、2月17日に実施しました。

「建てない」という決断

――「Ginza Sony Park Project」が始まったきっかけについて教えてください。

永野大輔さん(以下、永野):プロジェクトがスタートしたのは2013年からです。最初から公園をつくるというプロジェクトだったわけではなく、あくまでソニービルの建て替えのプロジェクトとして始まりました。

ソニービルは、1966年にソニーの創業者のひとりである盛田昭夫によって「ソニーのブランドコミュニケーションの場」として建てられましたが、ソニーはこの50年間で大きく事業内容が変わってきています。エレクトロニクスのみだった時代から、音楽、映画、ゲーム、金融など、どんどん事業領域の幅が変化してきています。当時、エレクトロニクスのショールームとしてつくられたソニービルの役割が、現在のソニーの事業内容とずれてきたこともあり、次世代の新しいコミュニケーションの場をつくることがプロジェクトの目的としてありました。

――実際に会社として「建てない」と決断したのはどのタイミングだったのでしょうか?

永野:プロジェクトが始まってから1年くらいの、かなり初期の段階ですね。このプロジェクトは、社長直下でスタートしたものでしたが、当時の社長である平井一夫に「建てない」という選択肢を提案するまで、コンセプトの探究にかなりの時間を費やしました。

もともとビルを建て替えるためのプロジェクトだったので、どんなかたち、どんなデザインで、建築は誰にお願いしようかなど、当然「次はどんなビルにするのか」という話から始めていたんですね。そういった議論の中で、ただ建て替えるだけでは他の企業と同じだし、おもしろくないなという感情が湧いてきました。

<strong>永野大輔</strong> ソニー企業株式会社代表取締役社長兼チーフブランディングオフィサー 1969年生まれ。1992年にソニー株式会社入社。営業、マーケティング、経営戦略、CEO室などを経て2017年から現職。「Ginza Sony Park Project」のリーダーとして、2013年からプロジェクトを推進し続け、2018年に「Ginza Sony Park」をオープンさせた。

永野大輔 ソニー企業株式会社代表取締役社長兼チーフブランディングオフィサー 1969年生まれ。1992年にソニー株式会社入社。営業、マーケティング、経営戦略、CEO室などを経て2017年から現職。「Ginza Sony Park Project」のリーダーとして、2013年からプロジェクトを推進し続け、2018年に「Ginza Sony Park」をオープンさせた。

そこで、「ソニーらしさってなんだろう」と改めて考えてみたんです。ソニーが創業時からこれまで一番大事にしてきたことは、「人がやらないことをやる」というスピリット。それを実践するには、2020年に向けて他の企業などがビルを建てている中で、あえて「建てない」ことをすれば、それは人のやらないことであり、ソニーらしさを示せるのではないかと。

「建てない」のであれば、じゃあなにをするのか。建てないからといって駐車場にするでも更地にするわけでもないので、そこにはストーリーが必要だったんです。その時のヒントは、すでに旧ソニービルにありました。旧ソニービルのコンセプトは「街に開かれた施設」。数寄屋橋交差点に面した10坪の三角のスペースにあった「ソニースクエア」は、銀座の一等地に私企業がつくったオープンスペースとして象徴的な場所で、盛田はそこを“銀座の庭”と呼んでいました。その同じ場所で「建てない建築」をつくるのであれば、「庭」じゃなくて「公園」ができるのではないか、という発想になったんです。

「街に開かれた施設」というコンセプトは継承しながら、この場所でなにができるかを考えていく中で、銀座には緑や公園が少ないので、来場者が気軽に休憩や待ち合わせができる場所をつくりたいと思ったんですね。プロジェクトの発表を2016年と考えていたので、ソニービルが建てられた1966年から50年間お世話になった銀座への恩返しになるのではという考えもありました。そして、「人がやらないことをやる」ソニーがビルを「建てない」ということで、新しいソニーの姿勢を示せるのではないかと。

そういったストーリーを組み立ててから社長の平井に話をもっていったところ、「ソニーらしくていいね」とポジティブな反応をもらいました。やはりこの平井の判断がターニングポイントだったと思います。現場からの合議制でステップを踏みながらものごとを決めていくプロジェクトもありますが、今回のプロジェクトは初期段階から私たちメンバーとトップが同じ目線で進んでいたのが大きかったですね。

ソニーの“おもしろがり力”

――城ヶ野さんはプロジェクトのはじめから参加されていたとのことですが、「建てない」という決断をどのように感じていましたか?

城ヶ野修啓さん(以下、城ヶ野):まずはおもしろいなと思いましたね。ソニーのものづくりにおいて基礎となる「人がやらないことをやる」ということは、簡単にいうと、人を驚かせたい、人を喜ばせたいということだと僕は理解しています。僕に限らず、クリエイティブセンターに所属するメンバーは、同じマインドを持っていると思いますし、同じ思いをもったソニーだからこそ、この意思決定がなされたのかなと思います。

<strong>城ヶ野修啓</strong> ソニー株式会社クリエイティブセンターシニアアートディレクター 1977年生まれ。2000年に大学卒業後、ドローイングアンドマニュアル社を経て、2008年にソニーへ入社。グローバルブランドメッセージ、製品・サービスのロゴやプロモーション映像などの制作・アートディレクションや、新規事業立ち上げに参画してのコミュニケーション戦略立案・実施などを担当。

城ヶ野修啓 ソニー株式会社クリエイティブセンターシニアアートディレクター 1977年生まれ。2000年に大学卒業後、ドローイングアンドマニュアル社を経て、2008年にソニーへ入社。グローバルブランドメッセージ、製品・サービスのロゴやプロモーション映像などの制作・アートディレクションや、新規事業立ち上げに参画してのコミュニケーション戦略立案・実施などを担当。

永野:暗黙知としてソニーらしさというのがあるんですよね。それが、「遊び心」や「人がやらないこと」、もしくはデザインであれば「シュッとしたもの」といったような感覚的で言語化できないようなことなのか、それぞれの捉え方というものがあると思いますが、向いている方向は同じという感じですね。

――「Ginza Sony Park Project」にはどのようなメンバーがいるんですか?

永野:最初は5人ぐらいでプロジェクトをスタートしました。デザインやブランド、総務など、異なる組織のメンバーに参加してもらっていましたが、価値観や思考が同じベクトルを向いていたので、ハイコンテクストでのコミュニケーションがとれたことが、プロジェクトを進める上ではとても大きかったですね。「建てない」っていうことに対して「いいじゃん」と自然に感じる人は、相当変わっている人たちだと思いますが(笑)。僕らはかなり深い層のやりとりを行うので、時間がかかるし、はっきり言って面倒なことだと思うんですよ(笑)。それでも、前提となる文脈の意思疎通に時間を費やすのではなく、より深く具体的な議論に時間を使うことができるので、いつも学びがあっておもしろいんです。

チームをつくる上で僕がよく使うのは“桃太郎”のたとえです。つまり、「おもしろいこと」がきび団子なんですよね(笑)。それは社内だけじゃなく社外に対しても、プロジェクトにこういった知識が足りないなと思ったら声をかけます。今回の場合は、社内に建築の知見がありませんので、建築家や建築史家、さらには世の中の感覚がわかる編集者やキュレーターであったりと、社内と社外のメンバーがミックスされたプロジェクトになっています。

それは、ただソニーが独りよがりに「人がやらないことをやる」と宣言しても、世の中との位相が合っていないと伝わるものも伝わらないので、世の中の人がソニーに期待していることや感じていることを、さまざまな角度から分析して理解するためです。その上で、いい意味で期待を裏切ったり、想像を超えるようなことをするにはどうしたらいいかなど、社内外のメンバーとキャッチボールをしながら進めていきました。

Ginza Sony Park

――プロジェクトに対する社内の反響はどのようなものでしたか?

永野:僕らがこのプロジェクトを実践することで、「こんなことやってもいいんだ」という勇気を持ってもらえるような、インナーブランディングの実験になればいいと考えていましたね。ソニーで働く人たちは、みんなおもしろいことをやりたいんですよね。なので、このプロジェクトを発表した時も、素直に「すごいね」と言ってもらえるというよりは、「やられた」と悔しがっている人がいたり(笑)。それはお互いに刺激し合っているということで、ソニーらしいとてもユニークな企業風土だと思います。

なので、このプロジェクトが始まった時も、半端なものはつくれないなと思ったんです。世の中からの期待であったり、ソニーに向けられる厳しい目もありますし、それは社内からも同様なので。いい意味でのプレッシャーがある中で、どうやってそれを超えていけるかということは常に考えています。

城ヶ野:誰かがおもしろいことをやっていたら、違う観点でおもしろいことをやってやろうみたいな、競い合いや“おもしろがり”合戦が続いているんじゃないかなと思いますね。僕は中途入社なのですが、「おもしろがり力」が強い会社だなというのは感じています。なにか困難があると、普通だったら「できるかなあ」と考えてしまうと思うんですけど、「それおもしろいね」といった個人の感覚が先に立つんです。実現できるかはどうかは、あとから考える。ソニーは、かたちのかっこよさや洗練されているかということより、ものをつくる時の姿勢が共通するものとしてあると思います。

ソニーには“机の下”という言葉があって(笑)、仕事とは別にやりたいことをそれぞれ進めていて、ある程度かたちになってきてから突然社内で発表されたりするので、社内にいても「そんなことやってたんだ」と驚いたり。そういう人たちが集まっているので、常に刺激的ですよ(笑)。

GInza Sony Park

公園の再定義と「余白」のデザイン

――公園をつくるにあたって、まずはどのようなことから考え始めたのでしょうか?

永野:公園の設計はソニーでは誰もやったことなかったので、まずはソニーがつくる公園とはどういうものなのかを考えました。約700平米の敷地面積で、銀座の一等地につくる「公園」。それは、代々木公園や駒沢公園のような大きなものではないんですよね。なので、「都市の公園」を再定義する必要がある。その時に、なにが公園の要素になるのかと考えたんですが、緑やベンチ、遊具など、それがあることが公園たらしめているのではなく、それらはすべて“アプリケーション”でしかないと思ったんです。

公園では、散歩やジョギングをしたり、お弁当を食べたり、昼寝をしたり、過ごし方はいろいろですよね。なぜそれができるかというと、「ここはこうする場所ですよ」と定義していないからなんです。何をするのかは来園者に委ねていて、「ご自由にお使いください」という場所があるかどうかが、公園としての要素であり、まずはそういった「余白」をデザインするということから始めようと決めました。

城ヶ野:「建てない」ということは、「目に見えるかたちがない」ということなので、その時になにをデザインするべきかはとても考えましたね。

コミュニケーションデザインでは、一方的に発信するのではなく、相手からなにかしらリアクションを得て、こちら側から返すということが基本だと思うんです。いろんな媒体を介して対象のよさを伝えることがコミュニケーションデザインなので、デザイナーである僕自身がすべてを語れるわけではない。なにかしら読解の余白を残さないといけない中で、どのようにそれを感じとってもらうかということを考えています。たしかに、なにかをつくる上で空白を埋めることで「やりきった」という安心感があるというか、余白を残すことの怖さというのもあると思います。でも、そうしてしまうと来園者の「こうしたい」を受け入れる余地がなくなってしまう。

この公園は700平米の広さですが、人の頭の中はもっと広いと思うんですね。この土地の広さをデザインするよりも、人の頭の中を使ってデザインする方が、よっぽど広がりのあるものになる。そこで、どうやって来園者の頭の中を刺激するかを考える必要があると考えました。最近は禁止事項が多い公園が増えていたり、なにかと窮屈な時代だと思うので、ここでは禁止事項を頭から外すことで行為に結びつくような、そんなことを示せたらいいなと思っています。

――「トラヤカフェ・あんスタンド 銀座店」や「THE CONVENI」、「MIMOSA GINZA」、「“BEER TO GO” by SPRING VALLEY BREWERY」など、ユニークなショップが並ぶのも特徴ですが、セレクトはどのように決められたのですか?

永野:公園にするのであれば、カフェがあったり、コンビニのようなお店や、ビールが飲めるお店があるといいよねと話をしていく中で、「余白」の隙間にお店があるように設計していきました。

永野大輔さん

お店のチョイスも“桃太郎”形式でしたね。「Ginza Sony Park Project」には、デベロッパーやリーシングの専門業者などは入っていないんです。僕らは商業施設ではないので、ここに出店することでどのくらい儲かるか、ということではなく、新しい都会の公園を一緒につくっていこうという気持ちで集まってもらっているので、テナントとは呼ばずにパートナーと呼んでいます。それは、「会社」ではなく同じ志や情熱を持った「人」があってこそだと僕らが考えているからなんです。やっぱり、すべては人のつながりが大事だと思うんですね。建築にあたっては大成建設にお願いしましたが、大成建設という会社が建てるのでなく、大成建設の「誰」が設計するのかが大事なので。城ヶ野も、クリエイティブセンター所属のデザイナーだから参加しているということではなく、彼だからこそメンバーになってもらったんです。

城ヶ野:それでいうと、僕はこのプロジェクトの一員という意識はとても強いのですが、正直デザイナーという意識はあまりなくて(笑)。クリエイティブセンターに所属しているので、デザインの仕事をするんですけれど、いわゆる「ザ・デザイン」というよりは、どうコンセプトに応じた見せ方や空間のあり方を紡いでいくのかに関わっています。

公園がなにをする場所なのかを決めつけないように、このプロジェクトではデザイナーが企画を考えることもあるし、企画をつくる人がデザインを考えることもあって、肩書きではなくメンバーみんなが関わることで、この場をどのようによくしていこうという気持ちが湧きが上がるようなプロジェクトにしています。

Ginza Sony Park

文:高野瞳 写真:中川良輔 取材・編集:堀合俊博(JDN)

Ginza Sony Park
https://www.ginzasonypark.jp/

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