「Ginza Sony Park Project」でソニーが提示する、「工夫して壊す」ということ(後編)

「Ginza Sony Park Project」でソニーが提示する、「工夫して壊す」ということ(後編)

ソニーの創業者のひとりである盛田昭夫が1966年に建設したソニービルが2017年に解体され、「変わり続ける公園」として、2018年8月から解体再開までの期間限定でオープンした「Ginza Sony Park」。さまざまな展示プログラムや音楽ライブ、ユニークなショップなどが楽しめる場所としてだけではなく、訪れる人の憩いの場所として日々多くの人に利用されている。

ソニーという大きな企業が下した「建てない」という決断と、銀座の一等地にぽっかりと開いた空間は大きな注目を集め、ソニー初の建築分野における金賞を2019年度グッドデザイン賞と「iF Design Award 2020」で受賞している。「Ginza Sony Project」プロジェクトのはじまりから「建てない」という決断の背景についてうかがった前編に続き、ソニー企業株式会社の代表取締役社長兼チーフブランディングオフィサーの永野大輔さんと、ソニー株式会社クリエイティブセンターのシニアアートディレクターである城ヶ野修啓さんに、新しい公園をつくるプロセスと、プロジェクトの今後についてお話をうかがった。

※本記事の取材は、2月17日に実施しました。

解体のデザインと、「工夫して壊す」ということ

――それでは、具体的に「Ginza Sony Park」の建築プロセスについて教えてください。

永野大輔さん(以下、永野):Ginza Sony Parkは増築ではなく「減築」になるので、建築家などの専門家とコミュニケーションを取り入れながら、旧ソニービルの地上8階分を減築し、地上1階と地下4階の構造にしていきました。銀座は地下水が多いので、もともとあった地上8階分がなくなると、構造的に軽くなって建物が浮いてしまう可能性があるんです。なので、その分地下に約90トンの鉄と土砂を埋めて重しにしています。これほど大規模の減築は例がないと思いますので、専門家が構造計算を緻密に行いました。たとえば、地下1階は天井を抜いているんですが、構造的に問題ないかを確認しながら決めていきました。現場には本当によく足を運びましたね。

<strong>永野大輔</strong> ソニー企業株式会社代表取締役社長兼チーフブランディングオフィサー 1969年生まれ。1992年にソニー株式会社入社。営業、マーケティング、経営戦略、CEO室などを経て2017年から現職。「Ginza Sony Park Project」のリーダーとして、2013年からプロジェクトを推進し続け、2018年に「Ginza Sony Park」をオープンさせた。

永野大輔 ソニー企業株式会社代表取締役社長兼チーフブランディングオフィサー 1969年生まれ。1992年にソニー株式会社入社。営業、マーケティング、経営戦略、CEO室などを経て2017年から現職。「Ginza Sony Park Project」のリーダーとして、2013年からプロジェクトを推進し続け、2018年に「Ginza Sony Park」をオープンさせた。

さらに、なにを残せば空間として生きてくるかを考えながら解体していくという、「解体のデザイン」を進めていきました。旧ソニービルは、当時の建築では画期的な「花びら構造」というユニークなフロア構造で、それもまた「人がやらないこと」でした。1フロアが4枚の花びらで構成されているような、漢字の「田」の字型に4つに区分されていて、1フロアの4つの平面が少しずつ段違いに配置されていました。なので、ひと周りすることでちょうど1フロア分になる構造で、それがずっと一筆書きのように上層階まで続いてたんです。

Ginza Sony Parkの地上フロアにある、数寄屋橋交差点から2ステップ上がる構造は、当時の花びら構造の駆体を残したものです。解体中の現場は発掘作業みたいでしたよ。50年前に旧ソニービルを建てたソニー創業者のひとりである盛田昭夫と建築家の芦原義信さんの思想が感じる部分は、リスペクトの意味を込めて残しています。

天井の梁や壁面のいたるところに、旧ソニービル建設時に書かれたチョーク跡が残る。

天井の梁や壁面のいたるところに、旧ソニービル建設時に書かれたチョーク跡が残る。

旧ソニービルを解体する中で発見されたピンクのタイルは、磨き上げて残している。

旧ソニービルを解体する中で発見されたピンクのタイルは、磨き上げて残している。

地下3階から地上までの吹き抜け部分。天窓から外の光を取り入れられている。

地下3階から地上までの吹き抜け部分。天窓から外の光を取り入れられている。

トイレサインは、建築家の芦原義信が手がけた旧ソニービルにおいて特徴的だった、ルーバーのかたちをモチーフにしている。

トイレサインは、建築家の芦原義信が手がけた旧ソニービルにおいて特徴的だった、ルーバーのかたちをモチーフにしている。

地下鉄通路からつながるエスカレーターは当時のまま。壁には旧ソニービルの写真がギャラリーのように飾られている。

地下鉄通路からつながるエスカレーターは当時のまま。壁には旧ソニービルの写真がギャラリーのように飾られている。

城ヶ野修啓さん(以下、城ヶ野):トイレの脇のエレベーターシャフトだったところの吹き抜けにはソニーロゴの電飾があるんですが、それは当時のソニービル塔屋に掲げてあったものをそのまま持ってきています。

<strong>城ヶ野修啓</strong> ソニー株式会社クリエイティブセンターシニアアートディレクター 1977年生まれ。2000年に大学卒業後、ドローイングアンドマニュアル社を経て、2008年にソニーへ入社。グローバルブランドメッセージ、製品・サービスのロゴやプロモーション映像などの制作・アートディレクションや、新規事業立ち上げに参画してのコミュニケーション戦略立案・実施などを担当。

城ヶ野修啓 ソニー株式会社クリエイティブセンターシニアアートディレクター 1977年生まれ。2000年に大学卒業後、ドローイングアンドマニュアル社を経て、2008年にソニーへ入社。グローバルブランドメッセージ、製品・サービスのロゴやプロモーション映像などの制作・アートディレクションや、新規事業立ち上げに参画してのコミュニケーション戦略立案・実施などを担当。

永野:ただ、それを積極的に示すことはしていません。それも公園としての「余白」で、「ソニーパークはこういうものですよ、こんな仕掛けがありますよ」と言い過ぎない方がいいと思うんです。なぜこういう段差があるんだろうって思って調べる人もいるだろし、解釈は受け手に委ねた方がいい。僕はよく、現在は「解釈の時代」だと言っているんですが、いまはそういった受け手に委ねるような余白が必要とされる感覚や空気があると思いますし、そういった時代の感覚を反映させることは大切だと思っています。

また、建物の建て替え手法として、これまでの「壊す」「残す」「工夫して残す」という3つの選択肢の中に、もう1つの選択肢として「工夫して壊す」ということを加えたいと思ったんです。リノベーションは「工夫して残す」にあたると思うのですが、ただの建て替えでもリノベーションでもない、ビルを解体して公園にすることで、「工夫して壊す」ということを実践したかった。建築プロセスそのものも新しく、人と同じものをやらないことを提示することで、世の中がもっとおもしろくなるんじゃないかという思いもありました。

移設されたソニーロゴの電飾。「B1」といったフロア表記から、以前はエレベーターシャフトだったことがわかる。

移設されたソニーロゴの電飾。「B1」といったフロア表記から、以前はエレベーターシャフトだったことがわかる。

旧ソニービルのハニカム状のタイル。欠けている部分もそのまま残している。

旧ソニービルのハニカム状のタイル。欠けている部分もそのまま残している。

地下のエントランスには、地下鉄から公園への流れをシームレスにするために取り払った柱の跡が残っている。

地下のエントランスには、地下鉄から公園への流れをシームレスにするために取り払った柱の跡が残っている。

公園をインターフェースとした、「バックグラウンド」のブランディング

――展示のプログラムはどのように決めていますか?

永野:なにをプログラムするのかは定期的に編集会議を行って決めていますが、ルールとしては「半年先のものは決めないということ」。平成から令和に変わった後の空気がわからなかったように、半年後の空気感ってわからないと思うんですよね。先のことを決めすぎてしまうと、それが時代と握手できないということにつながってしまうと思うので。

また、オープン後1年間は、ソニーの製品やコンテンツを主題にしたイベントは一度もありませんでした。それは、ここはショールームではなく公園であるという認知をつくりたかったからです。商品を展示するのではなく、ここでしかできない体験を編集したいと思っています。1年間やってきて公園としての認知が高まってきてから、はじめてソニーの製品を前面に出したプログラムとしてウォークマン40周年の体験展示をやったんです。

プログラムを編集していて、アートと音楽の要素を組み入れているプログラムはお客様の満足度も高く、Ginza Sony Parkの空間と相性がいいなと感じています。共通するのは、どちらも解釈は受け手側に委ねられているということ。Ginza Sony Parkと同じように、音楽とアートには余白があるので。

かつてあったフランス料理店「マキシム」の入り口への螺旋階段がそのまま使用されている。段差に残る「We’re just animals」の文字は、Suchmosのリリースイベントの際に書かれたもの。

かつてあったフランス料理店「マキシム」の入り口への螺旋階段がそのまま使用されている。段差に残る「We’re just animals」の文字は、Suchmosのリリースイベントの際に書かれたもの。

ここでGinza Sony Parkについてアンケートをとっているんですが、「遊び心がある」という回答が圧倒的に多いんですね。まさにこの言葉が欲しかった。ソニー製品がなくても、この場所からソニーらしさを感じてもらえる。それは、製品がなくてもブランディングはできるということなんです。

コーポレートブランディングにはユーザーと会社の間にインターフェースになるものが必要だと思います。20世紀はそれが「商品」でしたが、時代の変化によって人々の価値観や考え方が多様化しているので、インターフェースになるものも多様化していくのが自然な流れだと考えています。なので、これまでの「ウォークマン」や「PlayStation」、「aibo」といった「商品」と同じレイヤーに、新しいインターフェースとしてGinza Sony Parkという「公園」を存在させました。

商品をインターフェースとしたものがフォアグラウンドのブランディングだとしたら、Ginza Sony Parkはバックグラウンドのブランディングだと思っています。会社のイメージやスペックを伝えるだけでは商品は買ってもらえないし、愛されない。商品を売ることに直結するのではなく、長い時間軸でのブランディングを、Ginza Sony Parkが担っている。ブランドコミュニケーションとしては層が深くなっていると思います。

永野大輔さん

プロジェクトから「未来への第一歩」へ

永野:ここをオープンしてわかったのは、公の機関がつくるから必ずしも公園になるわけではないということです。民間の機関であっても、公園のようなものはつくれる。公園はできて終わりではなくて、たくさんの人の営みや行動によって、パブリックスペースになっていく。公園はそこに集う人たちのもので、公園をつくるのはその人たちだと思うんです。僕らはそのプラットフォームをつくっただけで、公園かどうかを決めるのは僕たちではない。

ここの様子はよく見に来ていますが、時々地下1階のテーブルで、そばにランドセルを置いて座っている小学生の女の子がいるんですね。ある時、「あ、今日もあの子いるな」と見かけたら、そこにお母さんがやって来てたんです。女の子はそのまま宿題をやっていて、お母さんはそこで本を読んだり、スマホをみたり、または2人でお茶を飲みながら話したり。しばらくそうやって過ごしてから、地下鉄の方へ歩いていったんですね。

おそらくあの子は、学校が終わってからお母さんが仕事が終わるのをここで待っていて、お母さんも「そこで待ってなさい」と言ったんじゃないかと思うんです。ここならお金もかからないし、スタッフもいるから安全で、雨に濡れることもなく、地下鉄にもすぐ乗れる。それは、お母さんがこの場所を子どもとの待ち合わせに最適だと選んでくれたということなんですよね。それを見て、こういった公園をつくってよかったなと思いましたね。それは、ソニー商品の購買に直接つながるのかどうかという話ではないですよね。

もしかしたら、その子にとっての“マイファーストソニー”がGinza Sony Parkで、何年後かにソニーの商品を手に取ってくれるかもしれない。それがバックグラウンドのブランディングで、そういう時間軸で考える場所でいいんじゃないかなと思っています。

――プロジェクトの今後について教えてください。

城ヶ野:ビル解体前に、「It’s a Sony展」というものを開催したのですが、そこではいままでの歴代の商品を並べたり、ソニービルの壁に絵を描いたりしたんですね。そして、Ginza Sony Parkをつくるにあたって、どんな公園が欲しいかを付箋に書いて壁に貼ってもらうようにしたら、1万個くらいが集まったんです。それは、この場所に対するみなさんからの期待値だと思うので、それはパークが担っていることとして、どうやって次につないでいくのかということを考えていきたいと思っています。

「It’s a Sony展」の様子

「It’s a Sony展」の様子

永野:ソニーが考える「人がやらないことをやる」ということをより言語化すると、3つのポイントがあります。それは、「再定義する」「世の中に問う」「未来への一歩」。この3つがそろうとよりソニーらしさが強化されると思っています。Ginza Sony Parkは、都市の公園を再定義し、その在り方を世の中に問いました。最後の「未来への一歩」になっているかどうかは、いまはまだわからないんですね。それは、次の時代の人たちが、「工夫して壊す」という一歩を踏み出すかどうかにかかっているんです。その時まで、僕らのプロジェクトは続くと思っていますし、そうすることで世の中が変わっていくはずです。

閉園後には、「公園」というコンセプトはブラさず、公園を縦に伸ばす「UPPER PARK」の建設を考えています。もちろん、普通のビルを建てるつもりはありません。

城ヶ野啓修さん、永野大輔さん

文:高野瞳 写真:中川良輔 取材・編集:堀合俊博(JDN)

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