JDN編集部の「そういえば、」2020年5月

JDN編集部の「そういえば、」2020年5月

ニュースのネタを探したり、取材に向けた打ち合わせ、企画会議など、編集部では日々いろいろな話をしていますが、なんてことない雑談やこれといって落としどころのない話というのが案外盛り上がるし、あとあとなにかの役に立ったりするんじゃないかなあと思うんです。

どうしても言いたいわけではなく、特別伝えたいわけでもない。そんな、余談以上コンテンツ未満な読み物としてお届けする、JDN編集部の「そういえば、」。デザインに関係ある話、あんまりない話、ひっくるめてどうぞ。

ドキュメンタリー映画『死なない子供、荒川修作』

そういえば、ドキュメンタリー映画『死なない子供、荒川修作』を観ました。現在、荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所の公式サイトでは、本作のほか、『WE、マドリン・ギンズ』、ネオン・ダンス『パズル・クリーチャー』などが、6月末まで期間限定で無料公開中です。

『死なない子供、荒川修作』予告編

荒川修作は美術家として活動し、公私のパートナーである詩人のマドリン・ギンズとともに、さまざまな建築作品を発表してきました。代表的な建築として、岐阜県・養老公園の「養老天命反転地」、岡山県・奈義町現代美術館に常設展示されている「奈義の龍安寺」、「三鷹天命反転住宅」などがあります。

このドキュメンタリーでは、荒川氏が行った過去の講演会などの映像を織り交ぜながら、「三鷹天命反転住宅」を中心に取り上げ、住人やここで生まれ育った子どもの記録映像、宇宙物理学者・佐治晴夫氏のインタビューで構成されています。 荒川氏が繰り返し述べている「人間は死なない、人間は永遠に生きる」とは、いったい何なのかを考えさせられました。

三鷹天命反転住宅は、「死なないための家」だと荒川氏は言います。それぞれの住戸は、内外に鮮やかな14色が施され、丸い部屋や丸い畳、砂利を敷き詰めた床やデコボコな床、光を取り込むたくさんの窓から成り、奇妙で歪んだ空間は、身体への刺激にあふれています。「天命反転」とは、“reversible destiny”、すなわち運命を逆転させるということ。刺激に満ちた空間で日々を過ごすことで、今まで不可能とされてきたことが可能になるという意味が込められています。

これまでのあたりまえが「あたりまえ」でなくなってしまった現在、今までの価値観から変わっていくことを余儀なくされていると感じています。 人間の感覚や知覚、生命に対し、一石を投じてきた荒川氏の作品や言葉を反芻しながら、自分自身や自分を取り囲む環境について、じっくり向き合っていきたいと思いました。といっても、実は機会を先延ばしにしてしまい、まだ実際に作品を見たことがありません……。もう少し外が落ち着いたら、 身体いっぱいに作品世界を味わってみたいと思っています!

(荒木 瑠里香)

新しい取り組みをおこなうアーティストたち

そういえば、リモートワークをはじめて2か月が経ちます。展示会やイベントがぱったりと無くなってしまいさみしい日々が続きましたが、そんな最中でも工夫してオンラインで何とか新しい取り組みをしているアーティストやデザイナーが増えているように感じます。

最近連絡をくれた、アーティストの取り組みを紹介させてください。

■オンライン展示「BECV」
https://becv.jp/

「BECV」は、不要不急の活動が制限される中での表現のあり方を探るオンライン展示です。アーティストの石橋友也さん、新倉健人さん、吉田竜二さんの3名が企画したもので、コロナウィルスのリアルタイムの感染者数データと連動し、終息とともに自動で閉鎖される仕組みになっています。

becv

「BECV」サイトキャプチャ

赤く表示されている箇所が本展の入り口(ENTER)ですが、これは日本での28日間の感染者数の推移のグラフになっており、新たな感染者が少なくなるほど、入り口は小さくなり、SARSなどの特定エリアでの終息の基準となった「28日間新規感染数ゼロ」を満たすとともに入り口は消失し、展示も閉幕となるそうです。

参加作家は、阿部真理亜さん、齋藤はぢめさん、サユリニシヤマさん、平島桂子さん、三浦慎平さん、宮川知宙さん、新倉健人さん、吉田竜二さん、石橋友也さん(5/29時点)。作品はいずれも4月以降に制作した新作で、今後不定期にさまざまな作家の作品を更新していくそうです。ちなみに、中心となって企画を行った石橋友也さんには、以前、文化庁メディア芸術祭の取材させてもらいました。こちらの記事もぜひご覧ください!

■デート
https://www.d–a–t–e.com/

「デート」は、以前、クリエイターのお仕事でご紹介した美術作家の関川航平さんによる特設サイトです。会期中に風邪をひいて治すまでをおこなうパフォーマンスや、実際には存在しないモチーフを入念に描き込んでいくドローイングなど、気になる作品を多く手がける関川さんですが、最近ではメディアでコラムを連載するなど多岐にわたる取り組みを行っています。

4月の中旬にオープンした本サイトでは、関川さんがフィクションともノンフィクションともとれる、毎日短い文章をアップしています。以下、関川さんからいただいたコメントです。

「デート」サイトキャプチャ

「文章を読むことでアクティブになる、境界面?領域?があると思っていて、その領域がアクティブになることを『デート』と称し、そこに触れられないかしばらくトレーニングを続けてみようと思っています」。

今後もオンライン展示やオンライン企画は加速していく気がしています。またJDNでもまとめてご紹介できる機会があればと思います!

(石田 織座)

AppleTV+のドキュメンタリー「HOME」

そういえば、AppleTV+のドキュメンタリー「HOME」をこの前一気に観てしまいました。

世界中のさまざまな国や街の「HOME=家」を紹介するシリーズなのですが、デザインや建築の独自性、そしてその家が建てられるプロセスやストーリー、地域性、文化、経済状況など、1エピソードごとにまったく異なるストーリーが語られていくので、とても学ぶものが多いドキュメンタリーだと思います。

ぼくが印象的だなと思ったのは、それぞれのエピソードで登場する家主が語る「HOME」という感覚が、雨露をしのぎ、日々の暮らしを営むための場所という生理的・安全欲求を満たすだけはなく、自分らしさや家族らしさ、誰かにとっての居場所であること、自然と人間との関わり合い方のひとつの実験など、人間としての「個人」の感覚に結びついていることでした。

自閉症の長男と暮らす家族を描く「スウェーデン」編や、アーティストのカップルと子ども2人が森の中で暮らす「メイン」編、10平米のアパートの内に移動式家具のシステムを構築する建築家が登場する「香港」編など、どこか「HOME」という対象に対して、パーソナルな感覚を通して向き合うような描かれ方をしているように思います。もちろん、サステナビリティや都市の過密化といった社会的な文脈にも触れられているのですが、あくまで「個人」という小さな単位を包み込むものとして、「HOME」が静かな親密さの中で表現されているような、そんな感覚。

それは、「住む」ということが「在る」ということとイコールだということなのだと思います。ここ2ヶ月ほどの外出自粛期間中、ずっと家の中にいたからかもしれませんが、世界中の住宅を観てわくわくしながらも、個人的で小さな感覚の内側へすーっと潜り込んでいくような、そんな気持ちになってしまうドキュメンタリーでした。

緊急事態宣言が解除され、また以前と同じように多くの人たちが電車に揺られ、会社へと通う生活がはじまるのかもしれませんが、「果たして自分は、以前の自分と同じままなのだろうか?」ということをふと考えてしまいます。うまく言語化できないパーソナルなもやもやとした感覚が、「HOME」という繭の中で少しずつ育ってきたようにも思うのですが、この期間中そういった人も少なからずいるのではないかなとも感じたり。フルリモートワーク期間最後の週末、またゆっくりと自分の時間を過ごそうと思います。

(堀合 俊博)

タイトル画像:松原光