幸福の解体新書『vs自分らしさ/NOT A 構文の罠』

幸福の解体新書『vs自分らしさ/NOT A 構文の罠』

みなさんごきげんよう。このコラムでは、巷にあふれている幸福にまつわる言葉と格闘し、その本質を疑っていく。それにより、幸福のクオリアに対する解像度を上げ、ひいては本質的なクリエイティブを生み出す力を高めることを目的としている。

本日はVS「自分らしさ」。平成の幸福言説の最前線に当たるこの言葉をぶった斬ってみようと思う。

「自分らしさ」という文言が使われて久しい。あらゆる広告やらサービスやらの宣伝にこの文言が使われている。クリエイティブ業界のみなさんも、耳にタコができるくらい耳にしたことがあるのではないだろうか。

「自分らしいクリエイティブ」をつくりたいと思うクリエイターは多い一方で、どうしても自分らしいクリエイティブにならずに四苦八苦する人も多いのではないだろうか。今日のコラムを読めば、その理由と打破の方法はきっとわかるはずである。

さて、兎にも角にもまずは「自分らしさ」という言葉の意味を固めることが近道。ということで、Chat GPT先生にその意味を聞いたところ、

「自分らしさとは、個々人が自分自身の特性や考え方を尊重し、自己を表現することを指す言葉です。これは、自分が本当にどんな人間であり、何を望んでいるのかを理解し、他人の期待や社会の標準に左右されることなく、自分らしくあり続けることを意味します。

自分らしさを追求することは、自己認識や自己受容のプロセスであり、他者との比較や競争から離れ、自己の真のニーズや価値観に基づいて生きることを目指すことです」

とのこと。要は、社会や他者の評価に従うのではなく、自分の心に従って生きることを指すらしい。また、典型的な使用パターンとしては、

(1)自己表現としての自分らしさ:「彼女はいつも自分らしさを大切にしている」「彼の服装は彼の自分らしさを反映している」。ここでは、個人の特性や好み、アイデンティティを表現するために「自分らしさ」が使われます。

(2)他者へのアドバイスとしての自分らしさ:「人は自分らしく生きるべきだ」「自分らしさを大切にすることで、より充実した人生を送ることができる」。ここでは、「自分らしさ」が他者に対して、自己を受け入れ、尊重し、表現することの重要性を伝えるために使われます。

(3)個人の特性やアイデンティティを強調するときの自分らしさ:「彼女の音楽は彼女の自分らしさをよく表している」「そのアート作品は彼の独自の自分らしさが感じられる」。ここでは、「自分らしさ」が個々人の独自性や個性を強調するために使われます。

とChat GPT先生に教えてもらった。さすが、現代の叡智である。面倒な説明をすべてショートカットしていただいた。

自分の心に従って生きること、それを表現すること。一見すると何も問題なさそうで、ポジティブに映るこの言葉。今回はそんな「自分らしさ」について解体していこうと思う。結論から述べると、「自分らしさは、自分らしく生きることを回避するための言葉」になっていることが問題だと私は考えている。

まずはじめに、「自分らしさ」という「らしさ」はない。

「ブランディングとは、その企業や個人の『らしさ』を抽出することだ」……なんていうブランディング論も、もしかしたら耳タコになるレベルで聞いたことがあるかもしれない。

ここで使われる「らしさ」とは何なのか。この言い回しを聞くに、「その対象の特性や性質」のようなことだろう。つまり、「自分らしさ」という言葉は「自分の特性や性質」という意味合いの言葉である。

さて、ブランディング企業がこの「自分らしさ」を引っ張ってきて、「企業や個人らしさを大切にしたクリエイティブを提案します」と謳っていたとする。一見すると「個性を尊重した素晴らしいクリエイティブを提供しますよ」という輝かしいメッセージにも見えるが、一方でそれは何も言ってないに等しいと、みなさんお気づきだろうか。

つまり、「らしさ=特性や性質」とは結局なんなんだ?ということなのである。

「特性や性質」という特性や性質は存在しない。「陽気である」「怒りっぽい」などそこまで踏み込んでやっと「その企業や、人らしさ」を言語化しているといえるのであって、「私は自分らしさを大切にしています」というのは「私の特性や性質を大切にしています」と言っているにすぎない。本質的なことは何も言えてないのだ。

実は「NOT A構文の罠」にハマっている

コンセプトを統べる仕事をしている関係から、私は自社や企業の人事的な立ち回りをすることも多い。そんな中で、この「自分らしさの罠」に陥っている就活生を数多く見てきた。例えば彼らに、

「自分らしさを大切にしていることはわかった。では、あなたのらしさとは結局何なのか?」
という風に聞いたとする。しばしば見られる回答として、

・嘘偽りない自分を表現すること
・他人の正解に縛られずに行動すること
・建前を介さず話すこと

などといった言い回しが返ってくる。確かにこれは、「回答している」といえる。だが、質問の本質に答えられてはいない。それはなぜか。これらはすべて「NOT A構文の罠」に陥っているからだ。

先ほどの回答をよく見てほしい。どれも「Aではない『何か』」という表現になっており、この「何か」を回答できてはいない。「Aではない」だけであって、B,C,D,E,F,G……と無限に存在する可能性を限定できていない状況にある。

答えを用意することはできていても、「君にとっての嘘偽りない状態」「他者ではないあなたの正解」「建前ではないあなたの本音」を言葉にすることができていないのだ。

ここではないどこかへ(そんなものはない)

結局のところ、「自分らしさ」という言葉を使用するその根底に「自分の特性、性質で生きたい」というストレートな欲求は存在しない。「Aではないどこかにいきたい」というニーズだけがあり、それを叶える道具として使われている。故に、「自分らしさ」という言葉は軸がある強い言葉だったはずなのに、どこか優しく柔らかい、悪くいうと軟弱な言葉になってしまった。

そして、「Aではない何か」という粒度感の軸しか持てていないとどうなるか。「Aではない何か」を提示してくれる他者軸に縋ってしまい、決して「自分らしい」とはいえない状態に陥る。「自分らしさ」には、このような矛盾した構造を持ってしまう危険性が隠されている。

「自分らしさ」を謳う商品や企業。自身の旅や暮らしを発信し、それを「自分らしさ」とのたまうインフルエンサー。どれもこれも似たような説明、内容、立ち振る舞いをしていると思ったことはないだろうか?

彼らは本来の意味での「自分らしさ」を提示しているのではなく、「AではないB」を提示しているだけだ(その人にとっての「自分らしさ」が、必ずしもBとは限らないにもかかわらず)。「らしさ」とは個々人により異なるはずなのに、「自分らしさ」を謳うそのまわりには、量産型の「自分らしさ」を振る舞う人々が大量発生している。ここでの「自分らしさ」は、誰しもにとって望ましい新しい正解軸を提示する際の、体のいい口実なのである。

処方箋:「自分らしさ」を使ってしまう裏にある、自分の怖れに目を向けよ。

長い時間をかけて、「自分らしさ」という言葉こそ「自分らしい」生き方を遠ざけるのだと示してきた。かりそめの「自分らしさ」に自分を託してしまうと、自分がBなのかCなのか、いつまで経っても決められない。では、どうすれば本当の意味で「自分らしく」生きることができるのか。私からの処方箋としては、

「『自分らしさ』と使ってしまう裏にある、自分の怖れに目を向ける。」

ことを提示しておきたい。ここまで「自分らしさ」のクオリアを探していった結果、使用者にとってこの言葉は「Aではないどこかにいきたい」「自分の性質を決め切りたくない」という願望を含んでいるとわかった。

だとすると、「自分にとっての自分らしさとは何だろう?」と考えるよりも、「なんでAは嫌なんだろう」「なんで自分は軸を決めたいと言いながら、決めることを恐れているのだろう」と考える方が本質に辿りつきやすいことは明白だろう。

そうやって探っていくと、例えば「自分が自分の軸を決め切ることで、誰かに嫌われたくない。かといって、Aのままでいるのは嫌だ。だとしたら、当たり障りのない自分らしさを大事にしているというレベルに主張をとどめる。そうすることで、他人に共感されやすくした方が自分の希望を叶え切るよりも楽だろう」というような本音にも辿り着きやすい。

ここまで辿り着けば、「決めることが、嫌われることに繋がる」という必ずしも等式として成り立たない主張を抱いていることや、「そもそも万人に好かれたいと思ってもないのに、見えない誰かに嫌われたくない」と怖れている自分に気がついていくはず。

「あれ?なんでそんなに嫌われたくなかったんだっけ?」と自分が嫌われるのを怖れ始めた過去にまで遡れば、「嫌われたくない」という怖れに振り回される前の、「自分らしい自分」だった当時の自分の本質にも気づけるはずだ。

まとめ

以上で「自分らしさ」の解体ショーを締めくくろうと思う。まとめると、「自分らしさ」は使うと「NOT A構文」に陥り、「自分らしさ」からはむしろ遠ざかる言葉として機能してしまっているという事実がわかったと思う。

ブランディングやクリエイティブに携わる人へのTipsも、最後に一つ提供しておきたい。「自分らしさ」を自身のクリエイティブとして打ち出すとき、その提案には「決め切りたくない」「ぼかしたい」というあなたの怖れが入っている可能性がある。「自分らしさ」を使用する際には、そんなあなたの怖れにも目を向けられると、きっと「あなたらしい」提案ができることだろう。

以上、本日も対戦ありがとうございました。