非日常を踊る 第11回:坪井保菜美
2020年春、新型コロナウイルス感染症の影響で1回目の緊急事態宣言が発令され、文化芸術活動にかかわる人たちは大幅な自粛を余儀なくされた。フォトグラファーの南しずかさん、宮川舞子さん、葛西亜理沙さんの3名が、撮ることを止めないために何かできることはないか?と考えてはじまったのが、表現者18組のいまを切り撮るプロジェクト「非日常を踊る」だ。
コンセプトとして掲げられたのは「コロナ禍のいまを切り撮ること」と「アートとドキュメンタリーの融合写真」という2つ。プロジェクトは、タップダンサーやドラァグクイーン、社交ダンサー、日本舞踊家などさまざまなジャンルのダンサーがそれぞれの自宅や稽古場という「裏舞台で踊る姿」を撮影した、2020年を反映するパフォーマンスの記録となった。
本コラムでは、フォトグラファー3名が想いを込めてシャッターを切った写真と、南さんが各表現者にインタビューした内容を一緒に紹介していく。今回は、2020年9月に撮影を行った、坪井保菜美さんの写真とインタビューを紹介する。
坪井保菜美/新体操指導者、ヨガインストラクター、アーティスト(撮影:南しずか)
5歳から20歳まで15年間新体操を続け、新体操日本代表選抜団体チーム「フェアリー ジャパン POLA」のメンバーとして、2008年の北京五輪では予選総合10位という記録を残した坪井保菜美(以下、坪井)さん。2009年には世界新体操選手権三重大会で団体総合8位、種目別決勝リボンロープ4位、フープ10位を記録。同年に現役を引退した坪井さんが2015年から本格的に始めたことは、絵を描くことだった。
特に1回目の緊急事態宣言の際は、暇さえあれば絵を描いていたという。競技の第一線を退いてから11年後、新体操と同じくらい情熱を注ぎ込めるものがハッキリしたのだそうだ。
坪井:最初の緊急事態宣言の時は、6時間や8時間とかぶっ通しで絵を描いてました。これからは新体操と絵の両方で、自分を表現していきたいと思っています。自分の表現で他人が元気になってくれると嬉しくて、そういう思いが両方続ける原動力になっている気がします。
7歳の時に初めて新体操の大会に出場した坪井さん。自身の演技の良し悪しより、体を使って表現することで、会場の観客が拍手をしてくれたり、コーチや家族が喜んでくれたことが何よりも嬉しかったという。もっと家族に自分の踊りを見て喜んでほしいと真剣に上を目指し続け、ついに2008年には北京五輪の日本代表選抜団体チームの選手に選ばれた。
坪井:本来、競うことは好きじゃありません。でも、結果を残せなくて悔しい思いをして、その後の人生を過ごすのは絶対に嫌だなと思って……。(環境を)与えられた以上は、必死にやってきました。北京五輪の前は心身ともにギリギリまで追い込んで練習して、その結果、身体が勝手に動いていくような感覚があるぐらい本番を楽しめました。
オリンピックという大舞台で踊れる幸せを感じながら踊ったが、チームとしては思わぬミスが起きてしまい、目標だった決勝進出を逃してしまう。踊り終えて結果が出るまでの時間は、今までにない重たい空気だった。
坪井:新体操のフロアが真っ黒な穴に見えるくらい、悔しかったです。だからこそ、翌年の世界新体操選手権三重大会までの道のりは、オリンピック以上にメンタルも強くなければ対応できないと覚悟を決めて臨みました。
迎えた本番、日本チームに油断はなかった。種目決勝リボンロープ4位という、その当時の団体種目別で同大会の日本最高成績を出したのである。すべてを出し切った上に、五輪のリベンジもできたことで「今できる新体操以外のことにチャレンジしたい!」と坪井さんは競技人生に終止符を打った。
坪井:引退してからは毎日早稲田大学に通う日々を楽しみました。もう試合などの理由で欠席することもないし、帰り道にカフェに寄ったり休日にショッピングしたり、ちょっとした旅行に行ったりと、新体操漬けの日々にはできなかったことを満喫しましたね。でも、3カ月くらいで一通りやりたかったことを終えると、少し物足りなさを感じ始めました。
そんな時に、ヨガの論文を執筆中の同じゼミの友人から「ほっち(坪井さんのニックネーム)は、イメージ的に、すごくヨガができそう」と言われたんです。かなり体も鈍っていたので、彼女にすすめられるままにヨガ教室へ行ってみました。
坪井さんは、その一度の体験で心身を整えるヨガに魅力を感じた。体を使ってきた元新体操選手の自分だからこそ、他人に伝えられるヨガの利点があるかもしれないと思い、ヨガのインストラクターの資格を取得した。ヨガを教え始めたり、元オリンピック選手として芸能活動をする中で、一旦離れていた新体操業界からも「子供向けの体験教室を開きたいから、手伝ってくれない?」と声がかかった。
坪井:体験教室が終わる頃に、生徒たちから「これからも保菜美先生のレッスンを受けたい!」という声があったんです。じゃあ、やってみようかなと軽い気持ちではじめたヨガでしたが、徐々にやりがいを感じてきて今もずっと続けています。
人にすすめられたり、とりあえず試してみるなど興味のあるものだけ続けていたら、だんだん仕事が軌道に乗ってきた。その中で唯一、自主的に始めたことが絵を描くことだ。
坪井:実は、アートはけっこう身近な存在だったんです。弟が東京藝術大学で日本画を専攻し、卒業後は予備校の先生をしていて。じいちゃん、ばあちゃんも風景画や美人画、お習字など描くことに携わっていました。
美術系の家族に囲まれて、坪井さん自身も小さい頃から絵を描くことや物をつくることに興味を持ち、ちょくちょく制作を行っていた。
坪井:積極的に描き始めたのは、2015年くらいですね。自宅で部屋に転がっていたペンと紙でハスの花や太陽を無心で描いてみたんです。そうすると、自分が描いたものだったんですが、でき上がった絵から元気をもらえて。(私の表現から)他の人も元気やパワーを感じてくれたらいいなと、新体操を続けた時と同じ動機でコツコツ描くことにしました。
坪井:作品のインスピレーションは日常的に湧いていて、頭の中に浮かんでるイメージを形にすることもあれば、なんとなく描いているうちに手が動いて絵が繋がっていくこともあります。
コロナ禍の自粛間中には、大きなF50(1168x910mm)サイズのキャンバスに初挑戦しました。引っ越し前に断捨離を始めた友人から「もう描かないから、もらってほしい」と、大きな木枠を譲り受けたので、古いキャンバス紙を剥がして、新たなキャンバスをガッチャンガッチャンとおっきいホッチキスで貼りました。すべてが初めての作業でしたが、面白かったですね。
そのほかにもいくつかの作品を仕上げた坪井さん。テキーラの瓶やレザー紙のブーケに花を描いたり、彫刻刀で版画を彫ったり。制作意欲が尽きないことから「一生現役で描き続けたい」と確信した。一方、日々の10kmのランニングも欠かさなかったというところが、さすがアスリート。大好きな新体操も体力が続く限り、続けるつもりである。
坪井:当面の目標は個展を開くことです。子供の時に万華鏡の美しさに惹かれて、癒されていたから、自分の絵をプロジェクターで投影することで、万華鏡みたいな揺れる光とゆっくり動く色や模様を表現できたらいいなぁと思っています。
新体操と絵の制作は、必ずしも平行線ではない。2019年9月半ばには初めてコラボレーションも行った。
坪井:新体操教室の発表会で、私がデザインしたTシャツを生徒にプレゼントし、会場には私がつくった横断幕を飾ったんです。また、その際には先生の出し物として踊ることもしました。
引退後は仕事の軸がハッキリせず、どこに向かっているのかいまいち自信を持てなかったというが、現役引退から10年以上経過し、「すべての人生経験に無駄がなかった」とやっと思えるようになったと、坪井さんは笑顔を見せた。20歳前後に新体操を世界レベルまで極めた坪井さん。アーティストとしてのキャリアはこれからだ。
取材・執筆:南しずか 写真1~2枚目:南しずか タイトルイラスト:小林一毅 編集:石田織座(JDN)