本好きが多い中国と『百年の孤独』
西澤明洋さん(以下、西澤):本日のゲストは「本とデザイン」というテーマにふさわしい方々なんですが、お二人は旧知の仲なんですか?
幅允孝さん(以下、幅):はい、古い付き合いですよね。
森岡督行さん(以下、森岡):そうですね、中国で一緒に講演させていただいたり。
幅:そうでしたね、二泊三日ぐらいで上海と北京を回る弾丸ツアーでしたね。
幅:ちなみに、中国って本好きな人がすごく多いんですよ。日本で本のイベントをやる時は参加者は数十人くらいなんですが、その時は何百人もの方が来られて。
西澤:え、めちゃめちゃ多いですね。
幅:ペンと本を持ってサインを求められたり。そんな経験、サッカー選手ぐらいかと思ってたんですが(笑)。
森岡:でも、それだけ人気なのにはちゃんとバックボーンがあって。中国では本や書店をつくることに対して国が予算をつけているんですよね。
幅:そうですね。あと、中国では外国の本が自由に入ってこない時期が長かったので、一気に本が入ってきたからということもありますよね。
西澤:なるほど、本に対する欲求や憧れがすごいと。
幅:本に対しての枯渇感みたいなものがあると思います。また、時代性がフラットなのもおもしろいなと思って。たとえばジャック・ケルアックと同時にガブリエル・ガルシア=マルケスの文学が一気に読める状況なので、歴史的な文脈というよりは単純に世界的ロングセラーのものがわんさかやってきたことに興奮しているような。実際に、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』がすごく売れているんですよね。ああいった骨太な小説作品がそんなにも読まれる土壌が急激に出来上がってきているというのは、すごくおもしろいと思いますね。
3人が本を好きになった理由
西澤:事前にいただいた質問に入る前に、僕からお聞きしたいんですが、ずばりお二人はなぜ本を好きになったんですか?
幅:僕の場合、幼少期の頃に本だけはお小遣いとは別で買ってもらえたんですよね。愛知県の津島市という田舎町で育ったんですが、駅前の本屋さんによく連れていってもらえて。小さな本屋さんの中を好き勝手に泳いで、漫画や雑誌、本などを自由に手にとることができたという体験は大きかったと思います。
西澤:本の仕事をしてみたいなと思ったきっかけはなんだったんですか?
幅:僕は世代的に就職氷河期だったんですよね。受験戦争も苛烈で、世の中に祝福されたことがない世代というか……。
西澤:僕も一緒ですね、超氷河期。
幅:ですよね。なので、好き勝手やるしかないなという居直りはありました。僕にとって仕事というのは、結局のところ朝起きる理由づくりだと思っているんです。なんというか、おもしろいことがないと朝起きたくないじゃないですか。でも、本のことだったら起きれるかなって思ったんですよね。
西澤:森岡さんはどうですか?
森岡:私は山形県生まれで、高校生の時は雑誌や本が好きで人並みに読んでいたのですが、東京に来てから神保町という街の存在を知ったときに、「すごいな」と素朴に思えたんですね。こんな世界は他にはないな、と思って。当時、予算2,000円で買える本を買って喫茶店で読むのが楽しみだったんですよね。そういったことを重ねていき、この街で働きたいなと素朴に思った。もちろん本は好きだったんですけど、神保町っていう町の存在が自分にとってすごく大きくて、そこが原点だった気がします。
西澤:ちなみに僕は図書館ですね。幼稚園の時に、『エルマーの冒険』の読み聞かせがあって、なんだか続きがすごく気になった時に、母親が図書館に連れていってくれて。僕は滋賀県出身なので、滋賀県立図書館で毎月10冊ずつぐらい借りてました。僕は児童文学や童謡が好きで、はじめはそういった冒険譚みたいなものを読んでいって、ちょっとずつ読める本が増えていくのが喜びで。『はてしない物語』とか、分厚い本を読める僕はすごいぞ!みたいな(笑)。そういった体験を経て、本が好きになっていきましたね。
変化する図書館と、本を届けるということ
西澤:お二人は建築や空間についての造詣が深いと思うのでお聞きしたいんですが、いまの図書館はどうあるべきだと思いますか?
幅:僕らは図書館の仕事がとても多いので、そういったことは普段から考えてますね。昔は公共図書館はタダで本が借りられる場所だと思われがちだったんですが、最近だと教育やコミュニティのための場所としてのあり方に移行してきている気がします。それは、全世界的にそうだと思います。
以前は「この本ありませんか?」と訪れてくる人に対してきちんと本を差し出すことが大事だったので、アーカイブを持っていることが重要だったんですが、いまはそれだけだと誰も来てくれない。なので、図書館の目の前を通り過ぎてしまう人に対しての投げかけを同時にやることがいまの公共図書館のキーだと思います。
森岡:以前、ある商工業団体の図書館をつくるための委員会に所属したことがあったんですが、数ある図書館の中で、ここだけにしかない強みがあった方がいいんじゃないかというお話はしていましたね。ここにいけばあの一冊がある、と思っていただくための蔵書がポイントではあると思うんですが、蔵書だけだと来てもらうまでのハードルがあるなと思っていて。その時に、建築やイベントといったコンテンツにおいて、この図書館はこれが素晴らしいですということが一つでもあればいいんじゃないかと。それをみんなで探しましょうと話していました。
西澤:動物園や水族館も公立の施設ですが、最近では行動展示が取り入れられていたり、オリジナリティのある観せ方を追求する流れがありますよね。図書館もそのような流れがありますか?
幅:きちんと意識しなければ本は届かないという意識は高まっていると思います。なので、建築や家具計画といったものが重要視された素晴らしい図書館が全国的にたくさんできています。もちろん、そういったことは人を呼ぶための一つの要素ではあると思うんですが、ただ“箱”が綺麗なだけで中身がそのままでは駄目で、重要なのはやっぱり読む人なので、本がスムーズに読み手の方まで流れているような、そんな建築になっているかどうかが大事だと思います。
「こども本の森」の場合は、壁面に本があって、子どもたちが本に包まれるような空間を安藤忠雄さんが設計されています。僕らはそれを最大限リスペクトしながらも、やっぱり高いところにある本は子どもたちの手に届かないので、どうすればいいかを考える。たとえば、高い場所にある本に関しては複本をそろえて、それらが置いてあるコーナーをサインで示しています、そのように、建築家の意図をきちんと読み取った上で本の配架や中身を考えることで、建築という場所性と本を読む行為の結び目がつくれると思うんです。
西澤:森岡書店の場合は、本との出会いを一冊までに絞りこんだ究極的なかたちですよね。これは業界だけじゃなく、世界で初めての試みなんじゃないですか?
森岡:はい、たぶんそうなんですよ。でも、私が神田の古本屋にいた頃は、数万冊の本に囲まれて過ごしていたんですよね。古本は、ものによっては数十万円といった高い値段で売ってるんですけれど、こちらとしては全部の本の中身は把握できない。なので、買っていただくお客さんには、ちょっと申し訳ないなと思う時があったんです。高い本を買っていただいているのに、売る方は「これはなんの本なんだろう……?」っていう……。一冊の本屋をやっていることの背景には、そういった体験もあると思います。
幅:森岡さんの仕事は、僕とは真逆なことをやっているようでもあるんですが、一冊を届けることがすごい重要だというところでは近いなと思っていて。以前図書館は蔵書が多ければ多いほど良いとされていましたが、Googleが「図書館プロジェクト」をはじめてからは、数の上では絶対にかなわなくなってしまった。つまり、すべてのリアルな蔵書というのは、選択の結果になってしまったんですね。
なので、蔵書の数を増やすよりは、ある一冊が読み手のもとに確実に届き、読者に刺さって抜けなくなるような状態をつくることがキーだなと思っていて。その時に、僕が遠心力で仕事をしているとすれば、求心力で仕事をしているのが森岡さんだと思うんです。そこに違いはあると思うんだけど、一冊をどう届けるかという点で、すごく森岡さんの仕事はリスペクトしています。ここまで立体的なコミュニティのような書店をつくっていらっしゃるのはすごいなと思います。
紙の本に宿る愛と言霊
西澤:それでは、事前にいただいた質問にお答えしていこうと思います。
Q.私は今年の4月から、エディトリアルデザインをメインに制作を行うデザイン事務所に勤務している新人デザイナーです。
将来の目標は装丁デザイナーなのですが、上司は「これからの時代はWebだ。紙の雑誌や本には見切りをつけたよ」と言っていました。
たしかに、かつて本やポスターの制作活動が活発だった時代があったように、その時代に合った媒体が発展していくのは理解できます。しかし、だからと言って本や雑誌が廃れ、完全に電子媒体へ置き換わるとは思えません。
みなさんは、これからの書籍のかたちがどのように変化していくとお考えですか?
森岡:最近、本をつくる仕事をやらせてもらっていて思うのは、やっぱり夢があるなということですね。そこには愛もあって、それがけっこう大切なんじゃないかなと考えておりまして。たとえば、いま陶芸家の黒田泰蔵さんの本をつくらせてもらっているんですけれど、黒田さん自身が、自分の考えを本にまとめたいというお気持ちがあったからだと思うんですね。それはどういうことかというと、次の世代にメッセージを残そうという時に、本というツールを選んでいるということだと思うんです。
つまり、本はデジタルよりも刺さってくるっていうことだと思うんですね。私は紙媒体としての本の素晴らしさはあるなと思っていて、それがビジネスとしてスケールするかどうかというのはまた別の話だと思いますが、そういうところに本をつくる上でのプライオリティがあるんじゃないかなと考えています。
西澤:僕はデザインをしながら、その考え方を本にまとめて発表していくことをこれまで実践してきたんですが、たとえばそれをブログ形式で発表することもできると思うんですね。でも、僕は本で出したいなと思った。きちんと本として出版するということは、変更ができないアーカイブを世の中に発表することなので、自分の考え方を刻印するものだと思うんです。昨年出した『ブランディングデザインの教科書』に関しても出版するまでの1年くらいずっと書いていて、そういった向き合い方は本という「もの」に対してじゃないとできないのかなと。
ただ、ちょっと時代が変わってきているなと思うのは、本を出しただけで終わらせてはいけないなということですね。そのことには問題意識があって、たとえば、本を映像や漫画にしてみたり、ぎゅーっと凝縮された本の内容をもう一回噛み砕いていく作業をしはじめています。オンラインの特性である、届くスピードが早く、範囲が広い、でも届き方が薄いということと本は対極にあると思うので、それらが相互に絡み合うようなものがあるといいんじゃないかなと思います。本はなくならないと思いますが、本の役割や立て付けがWebのあり方に対してフィットするように変化していく気がしています。
幅:僕も完全に同意で、本とWebはまったく別物なので使い分けの問題になっていくのは間違いないと思っていますね。オンラインのテキストというのはずっとフロー=流れていくものなので、「こうだ」と言い切るような、読点を打つことがやりにくい。
やっぱり紙にするっていうのは、その時ベストだと思えることを書き直しができないものとして絞り出すことですよね。なので、よく推敲されている。推敲というものは、実は言葉に何かを宿らせるためにはいちばん大事で、言葉から伝わる物ごとの奥行きや熱のような、視覚化や数量化できないものを宿らせるためには、推敲があるかないかで大きく違う。それが紙の本とデジタルのそれとの違いですね。デジタル化は当然のことながら進んでいくんでしょうけれど、徹底的に推敲をして、自身の考えを消せない痕跡として残すことができるのは紙の本だと思います。
また、同じようにいまなぜ紙の本を読むのかというと、本には著者名があり、注釈や引用元などもしっかり整理されているので、ひとつのパッケージとして責任の所在がはっきりしているというのはあると思います。紙の本は書き直しができないので、書き手も言霊のようなものをぎゅっと凝縮させるんですよね。そして絞り出されたものを、1人の受け手が読む。いまのアミューズメントはシェアできることがベースになっていますが、本は誰かと一緒に読めない。この、本はひとりでしか読めないということを僕は利点だと思っていて、読み手と書き手が「1on1」で精神の受け渡しができる。これは読書時間ならではのことなんじゃないかと。
最近だとサブスクリプションで映像作品を観る人がとても多いと思いますが、それらは終わりがないというか、永遠に再生し続けるもので、ずっと受動的なまま止められない。一方で、本は気になる一文字があったらそこで止まることもできるし、戻ったり、それについて考えるを巡らせることができる。コンテンツに接している時間を自分でコントロールできるというのは、すごく大きいことじゃないかなと思いますね。