建築出身のデザイナー3人と考える、「プロセスとデザイン」とは? 太刀川英輔×山崎亮×西澤明洋:第3回「みんなでクリエイティブナイト」

建築出身のデザイナー3人と考える、「プロセスとデザイン」とは? 太刀川英輔×山崎亮×西澤明洋:第3回「みんなでクリエイティブナイト」

コミュニティを徹底的に信じ尽くすということ 山崎亮(studio-L代表/コミュニティデザイナー)

ワークショップを通して、かたちのないものをつくる

山崎:地方の方々や、コミュニティの方々と一緒にデザインしていくのが、基本的に僕らコミュニティデザイナーがやっている仕事です。たとえば、そのコミュニティ内の場所をみんなでどうやって使おうかを考えて、設計に反映させていったり。ポラロイドカメラとかで写真を撮って、こんなことやりたいとかを話し合って出てきたアイデアをひとつずつ模型にして、それを具体的なかたちにする方法を考えたり。それが公園や美術館、病院などの施設であっても、地域のひとたちと一緒に話し合って決めていくということをしています。

<strong>山崎亮</strong><br /> studio-L代表。コミュニティデザイナー。社会福祉士。1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院および東京大学大学院修了。博士(工学)。建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトが多い。著書に『コミュニティデザインの源流(太田出版)』、『縮充する日本(PHP新書)』、『地域ごはん日記(パイインターナショナル)』、『ケアするまちをデザインする(医学書院)』などがある。

山崎亮
studio-L代表。コミュニティデザイナー。社会福祉士。1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院および東京大学大学院修了。博士(工学)。建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトが多い。著書に『コミュニティデザインの源流(太田出版)』、『縮充する日本(PHP新書)』、『地域ごはん日記(パイインターナショナル)』、『ケアするまちをデザインする(医学書院)』などがある。

ただ、そうやってコミュニティデザインを通して何かかたちをつくっていくこともひとつの手なんですが、最近はあんまりかたちにならないようなプロジェクトが多くなってきました。たとえば秋田県での仕事で、エイジフレンドリーシティっといった、加齢とともに仲良く生きていくこと、歳を取っても楽しく生きていく街という考え方を、どうやって広めたらいいんだろうということをみんな学び合うプロジェクトを行いました。その時は、人を集めるために、普段通りの呼びかけだとたぶんその地域のいつものメンバーしか集まらないので、「秋田県立美術館で、展覧会をやりたいひと募集」などの打ち出し方をして、そんなこと意識したこともないっていう人たちを集めることができました。

このひとたちに知り合いや親戚を紹介してもらって、楽しそうに生きる秘訣ってなんだろうということを、いろいろ聞き出してきて、それを展覧会にすることにしたんですね。そうやって集まった100人がワークショップをやりながら、高齢者が元気になる秘訣について聞いてみたら、20歳以上年下の友達を持ってる人がめちゃ楽しそうに生きてるってことが分かってきました。だとすれば、自分が20歳以上年上の友だちつくるだけで、もうすでに地域貢献になってるっていうことですよね。高齢者が元気になって、介護負担や医療費、介護費をあまり使わなくて済むようになる。それがわかってきて、ようやく「年の差フレンズ」という取り組みがはじまりました。100人の市民の展覧会が終わった後に、みんなでそういった活動をやるので参加してくれませんかってメッセージを出したところ、1,646人が集まってくれました。

「年の差フレンズ」プロジェクトの様子

「年の差フレンズ」プロジェクトの様子

「年の差フレンズ」プロジェクトの様子

このように、秋田市内で何かムーブメントを起こしていこうというときに、コアになる100人がおもしろい活動をやりはじめて1,600人の仲間をつくれば、秋田市内の各所で「何やってるんだろう?」と気づいてくれるんじゃないかなと思うんです。コミュニティデザインって、こんな風に物理的なものをデザインするだけではないというのが、いま実感していることですね。

「転校生」として、コミュニティを信じ尽くす

山崎:そんなことを考えながらコミュニティデザインということを普段やっていますが、今日はここでしか思い付かないことを喋ってみたいなあと思っています。

なぜそんなこと思ったかというと、2、3日前に参加したイベントで、僕のインタビュー記事を事前に読んできてくれた人から質問をもらったんですね。その記事は、僕が子どもの頃に4年ごとに転勤するような家族だったので、そのたびに新しいクラスの輪に入っていくっていうことを繰り返していたから、いま仕事としてやっているような地域やコミュニティに入っていくっていうことが得意になったんじゃないか、という内容だったんですが、その子も転校生だったみたいで「あの記事読みました」と声をかけてきてくれて。そのあとに、「転校生がコミュニティデザイナーに向いてるっていう理由は何でしょうね?」って聞かれたんですよ。……あれ、それは記事に書いてあるよね?(笑)って思ったのですが、逆にすごい新鮮で。要するに、その記事の答えを出しちゃいけないわけですよ、もう。 僕もうまく答えられなくて、うんと考えたんですね。

それで思いついたのが、ときどきコミュニティデザインに対しての批判を受けるんですが、その多くが「コミュニティを美化してるだけだ」っていう内容なんですね。コミュニティというものを過度に期待し過ぎていて、理想化しているだけだ、みたいなことをね。だけど、そう言われた時にいつも違和感があったんです。というのは、「なぜコミュニティを理想化し過ぎることが悪いんだろう」と思ったんですよ。

コミュニティにいいとこも悪いとこもあるなんて、ジークムント・バウマンを読まなくたって大体分かってるわけですよね。「暖かいつながりは欲しいけど、束縛はいや」みたいな、安全と自由の問題なんて誰もが体感しているのに、それでも「コミュニティの美化」について叩かれることがある。

転校生というのは、その場所にずっと住んでいるわけではないので、そのコミュニティのいやな部分といい部分を、まったく知らないままそこに来て、また去っていくので、安易にコミュニティを美化できる。そこで思ったのは、“コミュニティをいいものだと信じ尽くすことができる”というのが、我々の強みなんじゃないだろうかということなんです。

コミュニティデザイナーは地域に入っていくことでその場所を元気にして、そこに活動を生み出さなきゃいけない。ある地域に行った時に、コミュニティのことを徹底的に信じ尽くすことができるのか。それは、転校生のように、ずっとそこに住んでいない人で、コミュニティについてはいいとこしか考えたことがないということが、とても重要になってくるんですよ。理想化と言われようと、コミュニティは理想的なものだって最後まで言い続けられるのは転校生であって、それこそがコミュニティデザイナーに向いてる理由じゃないかって。

そんなこと、いままでは言ったことなかったんですよ。その日、その子から質問されたことで、自分の中から何かが捻り出されて、これは自分にとっても新鮮だった。だから、今日はいままでとは同じことを言わないように、いつもの答えは封印しようと思います(笑)。

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