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卒展特集2004
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IAMAS 情報科学芸術大学院大学+国際情報科学芸術アカデミー




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 「複眼狂想レッスン」 / 丸尾 隆一 


池田 泰教「7×7」
宇田 敦子「hands-on movie 『ベーグル』」
川北 奈津「からくりブロック」
福田 伸矢、藤原 徹「Sync Think Tags」
ジャン=マルク・ペルティエ「煙舞」
山川K.尚子「KOTODAMA」

丸尾 隆一「複眼狂想レッスン」


今尾 日名子「cooing」


後藤 宏旭「low」

萩原 健一「ジオラマ」
早川 貴泰「可畏キモノ」
和田 明美「町内情報化」
櫻木 拓也「ie」
福森 みか「音点字:点字を楽しく学ぶためのシステム」




カットの順番、タイミング、無関係な字幕の挿入、画の比率とフレーム、固定カメラ。これらの要素をランダムに変化させ日常の記録による映像をオートマチックに構成すると、どのような意味を持つ映像になるのだろうかと考えた。もちろんそれだけで、私の作為的な意思から逃れて映像が一人歩きするとは思わない。しかし、普段見ている物の多くが作為に満ちている中で、どれほどその作為と付き合って見るという事を意識しているのだろうか。映像は、誰がどういった事を考えて作ったという事を考えなくとも、すぐに多くを語り始めてしまう。私が意図して見せる映像もそうであるならば、私の作為的な意思をなるべく省き、それでも多くを語る映像を、どうコントロールするのかという事を試みたいと思った。
私がすでに撮った物と会場の様子を中継する映像とテレビ放送が自動的にスイッチングされ、そこに字幕やフレームエフェクトやフェードイン、フェードアウトなどがリアルタイムに合成され、ラジオや電話の音声などが無作為にインサートされる。無作為な編集や構成の中にも作為的な数秒間が自動的に生成されてしまう。私たちが普段見ている物に対しても、作者や意図とは無関係に、その中にある意味をでっち上げる自分がどこかにいるのではないのだろうか。




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