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まず最初に、個人として、この、前の前の世紀のテクノロジーときちんと向かい合うべきなんじゃないかと思いました。体験として、それをまず、やる必要を感じました。撮られたもの、フレームの中に何を入れたか、じゃなくて、撮影者の衝動も込みで、撮影するっていう行為そのものを捉える必要が、あります。そうなると、撮影者はもう隠れることはできない。そこにカメラがあることも含めて、ようやく、撮ったっていうことになるんじゃないかとも考えました。撮影は、なんだか儀式的で、撮影者と被写体に必ず影響を及ぼします。その経過を丁寧に捉える必要もありました。
映像を使って物語るのではなく、毎日の現実と即興的にセッションすること。カメラは、そのためにしかありません。2003年11/14〜2004年元旦までの7週間、一日49秒の、49日間。撮影というパフォーマンスの、記録。

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