「imm cologne ケルン国際家具インテリア見本市」出展の経験から得られた、「カンディハウス」のグローバルスタンダード戦略

[PR]
「imm cologne ケルン国際家具インテリア見本市」出展の経験から得られた、「カンディハウス」のグローバルスタンダード戦略

「imm cologne ケルン国際家具インテリア見本市(以下、imm)」は、毎年1月ドイツで開催される家具見本市。60年以上の歴史をもち、イタリアで開催される「ミラノ サローネ」と並ぶ国際見本市だ。今年は、世界50ヵ国から1185社が出展し、約11万4000人もの人々が来場した。そんな家具業界の世界的イベントには、日本の企業も出展している。北海道旭川市にある「株式会社カンディハウス」は、2005年から出展。次回2017年には、12回目の参加となる。今回、マーケティング本部の染谷哲義さんに海外の家具見本市出展にあたってのこれまでの体験と成果についてうかがった。

「imm cologne ケルン国際家具インテリア見本市」2016年の展示風景

「imm cologne ケルン国際家具インテリア見本市」2016年の展示風景

旭川市の伝統からはじまったカンディハウスの家具づくり

弊社は、北海道旭川市を拠点とする家具メーカーとして、1968年に創業しました。旭川市は、家具の産地として100年を超える歴史があります。婚礼箪笥の産地として有名でしたが、時代が進むほど需要は減っていき、箪笥自体も衰退しています。カンディハウスの前身となる「株式会社インテリアセンター」は、創業者の長原實が「脚物家具」を中心に設立しました。長原はもともとデザイナー志望でした。会社を立ち上げる前には、ドイツに留学しており、家具づくりをはじめ、先進的なヨーロッパの家具メーカーのシステムにも強く影響を受けたようです。

株式会社カンディハウス 取締役 マーケティング本部 本部長 染谷哲義さん

株式会社カンディハウス 取締役 マーケティング本部 本部長 染谷哲義さん

創業当時の旭川市では、家具づくりにおいてデザインは、いまほどは重要視されていないようでした。長原は、産地・旭川が生き抜く道としてやはりデザインが重要ではないかと警鐘を鳴らしていたんです。後々、海外展開に積極的に取り組むことになるのも、単にマーケットを国外に求めるだけでなく、デザインを重視していた創業者の西洋家具という文化への想いと挑戦だったのかもしれません。

アメリカからはじまり、ヨーロッパ、アジア市場へ

私たちの最初の海外ビジネスは、1980年代にアメリカからはじまりました。ただ、為替の急激な変化が要因でビジネスが厳しくなり、別の市場の開拓が必要になったのです。日本における北欧ブームは根強いものがありますが、弊社のデザインのお手本のひとつになったのは北欧モダンスタイルです。そのため、ヨーロッパ市場への進出は早くから頭にありましたが、最大の理由は、アジア市場の開拓に向けた土台づくりでした。

「CONDE HOUSE U.S.A.」に併設されているショップ内の様子

「CONDE HOUSE U.S.A.」に併設されているショップ内の様子

当時から、中国を中心にアジア市場が大きく成長することは予測できました。とはいえ、大企業でさえ、いきなり乗り込んでも難しい市場です。そんなこともあって、アジア進出の種まきとして、まずは西洋家具の本場であるヨーロッパでのブランド訴求を目指しました。

予想以上の成果を得られた2016年の出展

11回目の出展となる今年は、ミヒャエル・シュナイダーさんによる「TEN(テン)」というシリーズを発表しました。来場者からの評判も高く、2007年にはじめてグローバルシリーズとして発表した「tosai LUX(トーザイラックス)」の出展成果を上回りました。とても良いスタートを切れたと思っています。

ドイツ人デザイナー 、ミヒャエル・シュナイダーによる、木と樹脂によるコンビネーションのダイニングコレクション「TEN(テン)」

ドイツ人デザイナー 、ミヒャエル・シュナイダーによる、木と樹脂によるコンビネーションのダイニングコレクション「TEN(テン)」

ただ、このような結果を得られるようになるまでには、長い道のりがありました……。「imm」への初出展は2005年でした。同じ年、ヨーロッパ市場を開拓するため、ドイツに現地法人を構えたのですが、現地でビジネスを成功させるためにも「imm」に参加することは、家具メーカーとして当然の選択でした。ただ、初年度はかなり厳しいスタートになりました。文字通り、注文がひとつも取れなかったんです……(苦笑)。

4237

弊社は、ヨーロッパのデザインに強く影響を受けた創業者が立ち上げた会社ということもあり、創業時から「北欧のモダンスタイルに日本らしさをプラスした家具」というコンセプトがありました。敗北した原因は、まさにそこにありました。「隣国からでも買えるような家具を、なぜわざわざ日本から」と思われてしまったんです。

ここで引き下がる訳にはいきませんでしたが、これではビジネスとして成立しません。次の年、世界的な市場でも浸透しはじめていたウォルナット(クルミ)を材料としたラインナップと、素材と加工技術が際立つ、モダンな無垢のテーブルなどを出品したところ、やっとオーダーをいただけました。しかし、可能性は見出だせたものの、さらなるステップアップに向け、新たな発想が必要でした。

次ページ:ペーター・マリーとの協業から見えた目指すべき道