JDNの立ち上げに多大なご協力をいただいた、日本を代表するインテリアデザイナー内田繁さんが2016年11月21日に亡くなりました。
長くJDNとお付合いいただいている読者の中にはJDN初期の中核コンテンツ「桑沢デザイン塾」を覚えていらっしゃる方もいるでしょう。もしかすると著名なデザイナーの代表作を紹介し販売する「デザイナーズコレクションギャラリー」を覚えている方もいらっしゃるかも知れません。これらは内田さんがいてこそ、形にすることができたコンテンツです。
JDNを始めた1997年の夏、私は20代だったのですが、当時の私の上司に連れられて、内田さんの事務所に訪問したことをよく覚えています。
当時はインターネットといってもWebを見たことがない人が圧倒的多数で、存在そのものに信用がありません。そして、始めたばかりの新規事業ですから売り上げも顧客もゼロです。そんな状況ながら、様々なデザイナーやデザイン関係の方を快く紹介いただき、自分たちでコンテンツを作り出す力がない当時の私たちを大いに助けていただきました。
私、個人としては、デザインが好きでしたが美大に行けるほど絵が好きでもうまくもなく札幌の総合大学で心理学を学びました(当時はデザインについて学ぼうとしても、その程度の考え方しか持てなかったんですね。実際のところ受け皿もありませんでしたが)。学生の頃はバブル後期でしたので、東京のきらびやかなデザイナー達の活躍を雑誌やテレビで見て憧れる、という時期を過ごしました。先進的な空間や家具を作るスターデザイナーである内田さんは、まさに憧れの人でした。
桑沢デザイン塾の取材で毎週のように桑沢デザイン研究所を訪れ、グラフィック、プロダクト、インテリア、日本文化など様々な観点で、第一線のデザイナーや識者の方達からの熱い講演を聞き、記事を作りました。その6年ほどの経験は、私にとってデザイン全般を学ぶ大学院と呼べるものだったと思います。塾で語られる知らない言葉を調べて、広範な概念を文字にまとめようと苦労したことは大きな財産です。また、生涯の友人を得ることができた素晴らしい機会となりました。
内田さんには何度となく「おい、お前ら、行くか?」と優しい言葉で声をかけて頂き、渋谷や西麻布の夜の街に連れて行っていただきました。
私が、スイスの建築・デザイン事務所の代表であるパトリック・レイモンさんと仲良くなった理由も、お互いが楽器演奏を生涯の友としていることもあるのですが、それよりもお互いが内田さんに非常に影響を受けていることがあったからです。
内田さんがいらっしゃらなかったらJDNは生まれていません。
心より御冥福をお祈りいたします。