(この記事は2010年4月21日に掲載したものを、再構成して掲載しています)
2008年のミラノサローネで話題をよんだ光のインスタレーション「LIGHT-LIGHT」や、レクサスRXを中心にレクサスの新しい世界観を作り出した「レクサス RX ミュージアム」、LEDを照明に用いることで昼間と夜間の外観の印象を大きく変えた「ユニクロ新宿西口店」など、グエナエル・ニコラさんのクリエイションは国内外のメディアから常に注目を浴びている。
2009年には、人々に感動を与え、都市文化を担う新しい空間を創出したものに与えられる「第3回KU/KAN賞」を受賞。今年のミラノサローネの時には、スワロフスキーによるSWAROVSKI CRYSTAL PALACE2010に参加し、LEDをスワロフスキーに埋め込んで発光させる「SPARKS」を披露した。
来日して今年で20年。東京にベースを置き、グラフィックからプロダクト、インテリア、建築まで幅広く活躍している。フランスに生まれ、パリとロンドンでそれぞれインテリアとインダストリアルデザインを学んだ後、デザイナーとしてのキャリアを日本で積んできた。ジャンルに限定されず、多彩な才能を発揮し続けている。見る人の心を一瞬にして捉える斬新なアイディアや、彼の一貫したデザイン哲学を賞賛する声は止まない。東京の地で前進し続けるグエナエル・ニコラさんに、自身の活動の原点や、クリエイションに対する思いについてを聞いた。
自分の人生を変えた、坂井直樹との出会い
グエナエル・ニコラさんは1966年にフランスで生まれ、7人家族の中で育った。パリの「ECOLE SUPERIEURE D’ARTSGRAPHIQUES ET D’ARCHITECTURE INTERIEURE」のインテリアデザイン科、ロンドンの「Royal College of Art」のインダストリアルデザイン科でデザインを学んだ。そして1991年、25歳の時に来日を果たす。
グエナエル・ニコラ(以下ニコラ):私には映画ディレクターと建築家の兄がいるんですが、彼らが作ったものからの影響は大きいと思います。たとえば、映像は後に何も残らないし、建築は動かない。私は今、その中間をやっているのかな、と。末っ子で、家の中に居場所がないから、物心ついたときから手を動かして何かを作っていた、というのもあるけどね(笑)
来日後、どのようなデザイナーになりたいか明確なビジョンは描いていたものの、見知らぬ国で仕事を獲得する術や、それが果たして成功するかどうかは全く分からなかった。そして、意を決して自らアプローチをかけた相手が、ロンドンにいた頃から憧れを抱いていた坂井直樹だった。坂井は日産の「Be-1」やオリンパスの「O-product」を手がけたコンセプターである。グエナエル・ニコラさんの熱意から、坂井とは何度かコラボレーションを果たすこととなる。
そして、もうひとつ忘れてはならないのが、三宅一生との出会いだ。店舗「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」と香水「LE FEU D’ISSEY LIGHT」のデザインを手がけたことは、彼にとって人生の転換期ともいえる。いずれも、「この人と仕事がしたい」という思いから自らアクションを起こし、仕事につなげることができたプロジェクトであり、デザイナー、グエナエル・ニコラさんにとって人生を大きく左右する出会いだったといっても過言ではない。
ニコラ:坂井さんと一緒に仕事をして、ビジュアルやプレゼンテーションの重要性を知りました。その頃、私は日本で仕事を始めたばかりで、全く日本語が話せなかったから、その場でいかに人を魅きつけることができるか、説得力を持たせられるかなどを学びました。また、イッセイさんには、“電話で5秒で伝わるアイデアを”とよく言われたものです。つまり、コンセプトを明確にするということが常に求められた。そうすれば、絶対に“ぶれる”ことはないからね。
坂井さんは、私に“日本で働けるんだ”という自信をつけさせてくれた。イッセイさんは、実社会で未経験だった私に、パリのショップデザインという大きな仕事を手がけるチャンスを与えてくれた。今、私がこうして日本でインテリアの仕事をしているのは、まさしく二人のおかげなんです。
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