クリエイターの「わ」第7回:新城大地郎

クリエイターの「わ」第7回:新城大地郎

クリエイターからクリエイターへと、インタビューのバトンをつないでいく新連載「クリエイターの『わ』」。編集部がお話をうかがったクリエイターに次のインタビューイを紹介してもらうことで、クリエイター同士のつながりや、ひとつのクリエイションが別のクリエイションへと連鎖していくこと=「わ」の結びつきを辿っていくインタビューシリーズです。

前回のクマタイチさんからバトンを受け、今回お話をうかがったのは、出身地でもある沖縄・宮古島のアトリエを拠点に活動するアーティストの新城大地郎さんです。禅僧であり民俗学者でもある祖父を持ち、禅や仏教文化に親しみながら幼少期より書道を始めたという新城さん。禅や沖縄の精神文化を背景に現代的で型に縛られない自由なスタイルで、身体性、空間性を伴ったコンテンポラリーな表現を追求している新城さんに、作品や仕事場のこだわりなどをお聞きしました。

作品紹介

「達磨と不立文字」

2020年春に代官山ヒルサイドフォーラムで開催された、ランドスケーププロダクツの企画展「風景をつくる眼。」のための2作品です。2m×2mのキャンバスに書いた作品で、これまでのなかでも一番大きい作品だと思います。いつもは紙に書いているので、キャンバスに書いた新鮮さもありますね。

達磨 2000×2000mm Sumi on canvas

達磨 2000×2000mm Sumi on canvas

不立文字 2000×2000mm Sumi on canvas

不立文字 2000×2000mm Sumi on canvas

この展示はランドスケーププロダクツの中原慎一郎さんが、A to Z形式でデザインや工芸、アート作品などを並列に展示されていたもので、Zの部屋に僕の作品を置きたいとリクエストをいただきました。「Z=禅」というテーマにして、禅宗の教義を表す言葉の「不立文字(ふりゅうもんじ)」と「達磨」を書きました。

キャンバスの数も限られるので一発勝負というところがあってなかなか踏み込めず、やっと夜中にスイッチが入って勢いで書き上げた作品でした。

「Art for tricot COMME des GARÇONS 2021 AW collection」

「tricot COMME des GARÇONS(トリコ・コムデギャルソン)」にアートワークを提供しました。トリコ・コムデギャルソンのデザイナーの栗原たおさんがもともと僕の作品を知ってくれていて、以前開催した展示に来てくださったのがきっかけでお話をいただいたんです。

新城さんがアートワークを提供した「tricot COMME des GARÇONS」コレクション

たおさんが僕のことをものすごく信頼してくれて、「私が表現したいメッセージは伝えるから、それを受けて大地郎さんが自由に表現してほしい」と言ってくださったのが印象に残っています。通常ならこうしたいという要望がたくさんあると思うし、なかなか言えない言葉だと思うんですよ。でも「大地郎さんの作品を使って私が服をつくります」というスタンスでいてくださったので、僕も気持ちよく制作できましたね。

実際にできあがった服を見ると、墨で書かれた質感や滲んだ様子など、いま直接服に書いたようにかなり立体的にテクスチャーを再現してくれていてとても感動しました(トリコ・コムデギャルソンにて8月発売予定)。

書をはじめたのは4歳くらいで、中学校3年生くらいまで書道教室に通っていたんですが、その教室が寺子屋のような感じで、書いていて飽きたら公園に行って遊んだり、教室に泊まって朝から書くとか、先生がすごく寛大な方だったんです。教室に行っても筆を持たないで帰ってくることもあったり(笑)。もちろんちゃんと書道の基礎を教えてくれますが、食事をとることと一緒の感覚に書道があるというか、衣・食・住の中に書く行為を置いてくれていたんです。

高校や大学に行ってからもそういうリズムが身についていたので、自然と自分で書く時間をつくってたんですよね。教室を卒業してからは祖父のお寺の寺内床の間で書いていました。そこでは仙厓義梵和尚や白隠禅師などの禅画や禅語に自然と囲まれていたこともあって、そこに習って好きな言葉を自由に書くようになっていきました。

建物や自分の身の回りの空間に興味があって、大学は静岡文化芸術大学で建築を学びました。卒業後は建築事務所で一度働いたんですが、1年目ですでに組織化していく自分を好きになれず、日々違和感を感じてしまっていて……。仕事が終わってから家に帰って制作することでバランスを取っていました。当時は英字新聞をキャンバスとして使用していたんですが、レイアウトされたきれいなメディアに抽象的な文字や絵を書く行為には、「支配されたくない」みたいな気持ちがあったのかなと思います。そういう作品をTumblrやインスタにアップしていたら、編集者の岡本仁さんが展示をしようと声をかけくださったのが2017年ですね。

お仕事クエスチョン

Q.なくてはならない仕事道具はありますか?

筆や硯はもちろんですが、いつも始める前にパロサント(香木)を焚いています。これはずっと続けていて、書く前のメディテーションみたいなもので、この香りとともにはじめるというか。

新城さんがいつも書く前に焚くというパロサント。

新城さんがいつも書く前に焚くというパロサント。

通常は墨を硯ですって使いますが、僕は墨を砕いて銅の器に入れて、超濃淡の墨液とミックスしたものを直火で熱して使うことが多いです。

手前にある銅の器に墨や墨汁を入れて、火にかけて理想の描画材をつくっているという。

最近は地元の宮古島にいる時間が増えたので、島で生まれている色を使って作品をつくりたいなと思っています。もともと興味があったのが「宮古上布」という伝統的な藍染の織物です。宮古で藍をつくっているおばぁのところに行って藍について教えてもらったりしています。

藍畑

藍畑(Photo:masato kawamura)

藍を育てる人は、藍を「生物」として見ているんですよね。単なる色素源ではなく、常に呼吸している、と。発酵段階で藍に元気がないと感じたら黒砂糖や泡盛を与えるんです。神聖化された存在でもあるので、暦によっては藍に触れてはいけない日もあるんだとか。そういうストーリもあって、藍で制作するときは水で溶くのではなく、泡盛で色をつくって使用しています。

藍を使って書いたもの。墨とはまたちがう風合いを感じられる。

Q.あなたの仕事場とそのこだわりについて教えてください。

空間のこだわりとしては好きなものしか置かないようにしています。コップ一つに対してもそうだし、いいムードじゃないと良い作品ができないなと思っていて。音楽もその時の気持ちによって大事にしています。

実は現在使用しているアトリエが老朽化で解体されるのですが、その跡地にギャラリーを計画中です。それからステイできる場所も。来年の春頃には完成予定で進めてます。アーティストの作品展示もそうですが、アーティストインレジデンスをやりたいなと思っていて。

僕からしたら見慣れている風景だけど、外から来た人の見た宮古の表現や視点というものにすごく興味があって、僕も刺激を受けるだろうなと思っています。ペインターでも写真家でも料理人でもよくて、グロッサリー(八百屋さん)も併設するので、たとえば料理人だったら宮古でとれた食材を使った新しい食が生まれるだろうなとか、そういう食やアートをきっかけに文化の循環が生まれるといいなと思っています。

宮古島にある新城さんのアトリエ

宮古島にある新城さんのアトリエ

あなたのクリエイターの「わ」

◯影響を受けたデザイナーやクリエイター

鈴木大拙さんかな。僕の祖父が禅宗ということもありますが、小学校の時も年に一度は京都の妙心寺で坐禅を組みに行ったりしていたし、そういう禅の影響っていうのは無意識に受けていると思います。ロンドンにいた時期があるんですが、そのときは違う文化に触れたこともあって、より自分のルーツというものを見るようになっていて、禅の影響を自分は受けているんだなということは感じました。

宮古(沖縄)にはお寺も教会もあるしさまざまな宗教が存在してるけど、自然崇拝、先祖崇拝は強く残っている島だと思います。神は神棚にいない、自然と共にそばにいるってよく祖父がいっていて。台風とか飢饉とか、島ってそういう自然と直結しているから、そこで神の存在を感じるのが大きいんだと思います。祭祀をやらないから不幸が起こったとか、病気になったとか。そういう気持ちがまだ残っている人が多いのかな。禅の思考と生まれた土地独特の精神性というのは、制作背景に絶対的な影響を与えていると感じるようになってきました。

◯前回のクマさんからの質問①:建築を勉強されたという新城さんですが、いまの作品や作風のなかに建築的な部分はあると思いますか?

よく旅に行く時に墨と筆を持っていくんですが、現地の水で墨をといて、現地の新聞紙に書く作品をつくったりしてるんですね。いま思っている気持ちを、写真を撮るんじゃないくて書いて残すというか、そこでしか生まれない表現を、自分の身体を通して残しているような。それは、建築の言葉でいうと「ブリコラージュ」(※寄せ集めて自分でつくること)なのかもしれないなって、ハッとしたことがあるんです。なので、そういった表現においては、建築的な考え方とつながっているのかなと思いますね。

◯前回のクマさんからの質問②:新聞紙などに墨で書かれる絵のコントラストにはっとさせられるのですが、キャンパスとなる素材を選ぶ基準はありますか?

初期の英字新聞の作品は無意識に選んでいたと思うんですが、当時の社会への反発的アクションだったのかな。コントロールされたメディアに書くことが。

基準と言われると難しいんですが、写真に書いたこともあるんですよ。祖父の撮った写真と僕の作品を一緒に展示したことがあって、その時は祖父が1960年代後半に撮影した宮古の祭祀の写真に対して僕が上から墨を重ねました。カミが写る写真に書くって怖いですけどね、でもそのタブーの先に書かないとわからないことが見えているというか、そこは行為として達成したかった感じですね。

祖父の越えた時間にいまの僕の想いを重ねて書かせてもらいました。

◯前回のクマさんからの質問③:宮古島で仕事をしていてよかったなと思うことは?

なかなか遠くへ行くことが難しい時代ですが、これまで制作以外はいろんな国や土地に訪れていました。そこで人と会ったり展示を見たりする。

さまざまな吸収をして宮古に戻って制作をする。情報が多い世の中だけど、島のリズムはあまり変わってないのかな。生まれ育った場所ということはもちろんだけど、今も宮古をベースにして、違う土地と身体を行き来させることでいいバランスを保てている気がします。

◯ご紹介したいクリエイター

新城さんにご紹介いただくクリエイターは、写真家のナタリー・カンタクシーノさんです。

◯ナタリー・カンタクシーノさんへのメッセージと質問

僕の展示に彼女が来てくれたことがきっかけに知り合った、スウェーデン出身の写真家の方です。作品も素敵だし、モデルもしていて、自分のプロジェクトでは人の心情の所在をテーマにリサーチしていたりと、面白い活動をされているなと思います。

僕もロンドンにいた時に自分のルーツについて考えましたが、ナタリーも外国人として日本に来て生活をしていて、自分の祖国に対する気持ちの変化がありますか?あるとしたらそれはどんな変化でしょうか?

次回のクリエイターの「わ」は、ナタリー・カンタクシーノさんにお話をお聞きします。

タイトル画像:金田遼平 聞き手:石田織座(JDN)

新城大地郎

新城大地郎

禅や仏教文化に親しみながら幼少期より書道を始める。沖縄の精神文化を背景にオールドファッションな書道を飛び越え、身体性、空間性を伴ったコンテンポラリーな表現を追求するアーティスト。1992年沖縄県宮古島生まれ。静岡文化芸術大学卒。2017年10月Playmountain Tokyoにて初個展「Surprise」、2018年TRUNK HOTELロビーインスタレーション、UNTITLED ART FAIR 2020(サンフランシスコ)など。(Photo:yusakuaoki)

https://www.daichiroshinjo.com/