色部義昭が語る、日本デザインセンターの未来を構想する「VISUALIZE 60」ができるまで

色部義昭が語る、日本デザインセンターの未来を構想する「VISUALIZE 60」ができるまで

1959年創立の広告・デザイン制作会社「日本デザインセンター(以下、NDC)」。2020年9月より開催中の企画展「VISUALIZE 60」は、さまざまな領域を横断する同社の60のプロジェクトを、全4回の展示と書籍の販売を通して紹介している。

「DESIGNは、VISUALIZEへ」というキーワードが掲げられている同展では、約60年間のNDCの歩みを総合的に振り返るものではなく、近年発表された事例を中心に、同社のこれからを感じさせる新しいプロジェクトも多数展示されている。展示ディレクターであり、同社の取締役を務めるアートディレクター/グラフィックデザイナーの色部義昭さんに、展示が生まれた背景についてうかがった。

はじめてのワークショップを通して生まれた「構想系プロジェクト」

––まずは、今回の展示の企画がはじまったきっかけについてお聞かせください。

日本デザインセンターの50周年の時に、『デザインのポリローグ 日本デザインセンターの50年』という本のアートディレクションを僕が担当したんですが、そこから10年が経ち、60周年を機に何かイベントを企画しようという話が生まれたのがはじまりでした。60年というのは、人の年齢でいうと干支が一周還った還暦。会社の年齢としてもひとつのサイクルを終えたような感覚もあり、創業当初といまのNDCとでは、かなり様子も変わってきているなと感じています。なので、60年を単純に振り返るようなものではなく、これからの60年がどうなっていくのかという、未来に向けたメッセージとしてなにかできないだろうかと考えはじめたのが企画のはじまりでした。

<strong>色部義昭</strong> グラフィックデザイナー/アートディレクター 1974年千葉県生まれ。グラフィックデザイナー。東京藝術大学大学院修士課程修了。株式会社日本デザインセンター取締役、色部デザイン研究所主宰。Osaka Metro、国立公園などのブランディングをはじめ、市原湖畔美術館、東京都現代美術館、須賀川市民交流センターtette、天理駅前広場Cofufun、TokyoYard Projectなど、施設のVIやサイン計画などを多数手がける。亀倉雄策賞、ADC賞、SDA最優秀賞、CSデザイン賞グランプリ、JAGDA新人賞、One Show Designゴールドペンシルなど国内外のデザイン賞を受賞。AGI会員、東京ADC会員、JAGDA会員、日本デザインコミッティーメンバー。

色部義昭 グラフィックデザイナー/アートディレクター 1974年千葉県生まれ。グラフィックデザイナー。東京藝術大学大学院修士課程修了。株式会社日本デザインセンター取締役、色部デザイン研究所主宰。Osaka Metro、国立公園などのブランディングをはじめ、市原湖畔美術館、東京都現代美術館、須賀川市民交流センターtette、天理駅前広場Cofufun、TokyoYard Projectなど、施設のVIやサイン計画などを多数手がける。亀倉雄策賞、ADC賞、SDA最優秀賞、CSデザイン賞グランプリ、JAGDA新人賞、One Show Designゴールドペンシルなど国内外のデザイン賞を受賞。AGI会員、東京ADC会員、JAGDA会員、日本デザインコミッティーメンバー。

ちょうど、会社として受注の仕事だけではなく自分たちで仕事をつくっていくことにも慣れていこうという動きもあったので、企画についての骨子が固まる前に、展覧会のコンテンツのアイデアを持ち寄ってかたちにするためのワークショップを全社で実施しました。おそらく、NDCとしてはじめてのことだったと思います。

―ワークショップはどのように実施されたのでしょうか?

ざっくり言うと、自分たちの強みであるデザインを生かした事業構想をしてみようというものでした。その時に、できるだけデザイナーだけじゃなくて、プロデューサーや管理本部、バックオフィスのスタッフも含めたチームにも参加してもらい、メンバーをシャッフルしながら数日に渡って実施しました。その後、一部のメンバーたちを中心に、ワークショップで生まれたおもしろいアイデアを「構想系プロジェクト」として、展示に向けてかたちにしていきました。

現在NDCには260名ほどの社員がいて、いろんな人が働いているんですが、普段はなかなか交わる機会がないんですよね。ワークショップは名古屋支社も含めて実施したので、いままでにない組み合わせのチームが動くことでたくさんの出会いが起こり、とても新鮮でしたね。社員にとっても新鮮な経験だったと思います。

―「DESIGNは、VISUALIZEへ」というテーマが決まるまでに試行錯誤はあったのでしょうか?

「VISUALIZE」は、「本質を見極め、可視化する」を意味する言葉として、日頃から代表の原研哉が語ってきた社是のような言葉なんですが、企画を進めるにあたってメンバーといろんな議論をしながらも、最終的にこの言葉しかないとすんなり決まりましたね。今回のプロジェクトを表現する上では、いまやってることを言語化するだけじゃなく、今後自分たちがチャレンジしていく領域も包括する必要がありました。「VISUALIZE」は、そういった意味でも器の大きい言葉だと感じています。

―松屋銀座で実施された最初の展示についてお聞かせください。

松屋銀座では、「なるほど/だったりして」というテーマをもとにプロジェクトをセレクトしました。そこでは、観に来るお客さんもたまたま買い物に来た方など、デザインやNDCについてまったく知らない人も訪れることを視野に入れなくてはいけないので、「デザインとはなにか」ということよりも、とっつきやすいひらがなの言葉とともにお仕事紹介をすることで、「なるほど」と思えたり「だったりして」という可能性を感じてもらえるようなプロジェクトを選んで展示しました。

松屋銀座での展示の様子

松屋銀座での展示の様子

―NDC内「POLYLOGUE」を会場に実施されている「VISALISE 60」の構成をつくる過程はどのようなものだったのでしょうか?

そちらに関しては紆余曲折がありましたね。まずは、60のプロジェクトをどういう軸で選ぼうかという議論がある中で、グローバルとローカル、もしくはイノベーティブとオーセンティックのような、どちらか一方というわけではなく、それぞれを行き来するようなものという軸が生まれました。また、そのプロジェクトがなにをVISUALIZEしているのかという「問い」を語ることができるのかということも、セレクトのポイントにはなりましたね。

色部義昭さん

構想系プロジェクトに関しては、この展覧会をプロトタイプを見せる場として考えています。中には、テキストエディタ「stone」や、観光ピクトグラム「EXPERIENCE JAPAN PICTOGRAMS」といったすでに発表しているものもありますが、まだ事業化されてるプロジェクトはないんです。特に、今回の展示に向けて新しくつくったものに関しては、立ち上がりのアイデアに終始せず、これからずっと考え続けることが大事だと思っています。

テキストエディタ「stone」

テキストエディタ「stone」

観光ピクトグラム「EXPERIENCE JAPAN PICTOGRAMS」

観光ピクトグラム「EXPERIENCE JAPAN PICTOGRAMS」

あらゆるサービスやブランドというもの振り返ってみても、そこには終わりというものがないですよね。特にいまの時代は、プロトタイピングが以前よりも簡単にできるようになっていて、あたかも存在するもののようにをつくることができるようになってきています。

たとえば、今回展示している「MOUNTONE」というアプリは、デモ映像なども合わせて、すでに存在してるかのように展示されています。先にかたちにしてしまうことでより具体的なフィードバックを得られるので、次の展開が考えやすくなっていきます。構想系プロジェクトは、そういったプロセスに自分たちが慣れていくための場としての意味もありますね。

「MOUNTONE」

「MOUNTONE」

—構想系プロジェクトを通して、NDCで働く方々の中で意識の変化はありましたか?

そうですね。一歩一歩ですが、展覧会をきっかけにいただいた反響に対して、自分たちがどうやって応えていこうかという動きが生まれてきています。

実は、いままでクライアントとなる企業の発信は仕事を通してたくさんしてきましたが、自分たちの会社自体を発信することってあんまりしてきてないんですよね。今回のような機会はNDCにとってひとつのチャレンジでもあると思っています。

色部義昭さん

表札のデザインを通した街のブランディング

—今回展示されている「色部義昭 WALL」についてうかがいたいと思います。実装されたものではなく提案型のプロジェクトとのことですが、制作の背景について教えてください。

制作したのは2016年頃でしたが、このプロジェクトより前に、銀座地区の回遊性を高めるための実証実験を、中央区と一緒に実施した経緯がありました。ちょうどIMF国際会議が国際フォーラムで行われていた時期で、街にずっと残るサインをつくるというよりは、国際フォーラムのある千代田区から中央区の銀座まで足を運び回遊してもらうための期間限定のプロジェクトでした。

「色部義昭 WALL」

「色部義昭 WALL」

日本の地理は、欧米の「ストリート×アベニュー」といった標識とは違って、目的地までなかなかたどり着きにくいというか、地形が理解しにくいと思うんです。当時の実証実験では、仮に1丁目から8丁目まで色分けをすることで人を導いていったらどうなるだろうと、カラーリングやサインシステムのデザインを僕が担当したんですが、その時から街のデザインということに対して、少し目を開いて考えてみるようになりました。

たとえば、自分の記憶を呼び起こしてみると、フランスの通り名を記したサインにはフランスらしい風情があり、ポルトガルではタイルなどの焼き物でサインができていたりと、その街ごとに特徴があるんですよね。そこで、東京という街をブランディングする上で、ロゴなどの目立つワンポイントの記号をつくるよりも、住所表示のような街中に散らばっている小さな末端の情緒をデザインするという着想もあるんじゃないかと思ったんです。

そこから実際につくってみようと、タイププロジェクトの鈴木功さんと一緒に取り組んで制作したのが横長のサインでした。当時、ギンザ・グラフィック・ギャラリーでの個展で展示したんですが、ギャラリーの住所を記したサインの原寸大ポスターを街に貼り出したりしましたね。

ギンザ・グラフィック・ギャラリーでの展示ポスター

ギンザ・グラフィック・ギャラリーでの展示ポスター

共通認識を生むための時間をつくる

-今回セレクトされたプロジェクトを振り返ってみて、50周年からの約10年間でどのような変化があったと感じていますか?

これまでは、CIやポスター、あるいはブックデザインといった、グラフィックデザインのオーセンティックなジャンルの仕事がとても多かったんですが、近年ではサイン計画やUIデザインといった、空間やオンスクリーンメディアにまでグラフィックの領域が広がってきています。それぞれ視覚的なコミュニケーションがベースにありますが、建築空間や電子機器といった道具の中であったりと、世の中でデザインが求められるシーンはここ10年ほどで大きく変化し、拡張してきています。今回の展示では、規模の大小にかかわらず、我々がそういった状況の変化に対して積極的に提案と実装を重ねてきたプロジェクトを中心にセレクトしていますね。

—『デザインのポリローグ』の中のインタビューにて、「建築は最近グラフィックに接近してきている」と語られていますが、それがこの10年間でより顕著になってきているということでしょうか?

そうですね、それはこの10年ほどで大きく変わったことだと思います。当時は、まだサイン計画に力を入れることに対しての意識が、美術館などの施設を運営している側の人たちの中にあまりなかったと思うんですが、この10年でさまざまな成功事例などが出てくる中で、徐々にサインなどの部分もデザインなんだということが知られてきたんだと思います。

色部義昭さん

たとえば美術館であれば、来館者の体験価値を上げるためには、これまでは建築や展示作品、広報といった領域が分かれていたものを、「来館者の体験」としてひとつながりで考えることが大事だということに、みんなが気がつきはじめたと思うんですよね。それは提案する僕らだけじゃなくて、クライアント側の意識もかなりアップデートされてきていて、以前よりデザインが期待される分野やシーンが増えてきているのを感じています。

須賀川市民交流センター「tette」の仕事では、サイン計画と同時に本を分類するラベルのデザインなどもしています。このプロジェクトでは、一般的な図書館の分類法とは異なり、自分たちで決めた言葉をテーマとして分類するテーマ配架という方式を取っています。司書の方々がいままでやってきたノウハウが通用しないため、はじめはいろいろと懸念を示されていました。

須賀川市民交流センター「tette」

須賀川市民交流センター「tette」

サイン計画では、ともすると竣工した瞬間がいちばんきれいな状態ということになりかねなくて、施設が運用されていくうちに、貼り紙などでどんどんアレンジされてしまったりと、誰にとっても幸せじゃない状況になってしまう。それはおそらく、デザイナーや建築家が建物ができあがるまでの過程で、自分たちが一方的にいいと思ったものをつくって、完成したら終わりという仕事の仕方をしてきたからだと思います。提案する側とされる側という対向する関係ではなく、一緒に悩みながら確認しあったり、さまざまな事例を一緒に共有することで、なにがよくてなにが悪いのかという共通認識をつくることが大事だと思います。

「tette」の仕事では、司書の方と一緒に、高く評価をされている日本の図書館を出張で見に行ったりしましたね。そうやってお互いの知見を共有する時間をつくることで、共通認識が生まれてきます。結果的に、掲示物など汚くなりがちなものに対して運営時のルールをつくり、それを遵守していただけるようになりました。これは僕にとっても、すごく大きな体験でしたね。

tette

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