【東京造形大学50周年記念】次世代かもう一つ次の世代かに残る普遍的な紋様をつくりたい-野老朝雄インタビュー(1)

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【東京造形大学50周年記念】次世代かもう一つ次の世代かに残る普遍的な紋様をつくりたい-野老朝雄インタビュー(1)

1992年に東京造形大学 デザイン学科Ⅱ類を卒業し、現在はアーティストとして活躍中の野老朝雄さん。2001年から独学で紋様の制作をはじめ、「繋げること」をテーマに建築のファサードパターンの制作、BAO BAO ISSEY MIYAKEに“TOKOLO PATTERN”のアートワークを提供、東京2020オリンピック・パラリンピックのエンブレムにデザインが採用されるなど、幅広い分野での活動を行ってきた。同校50周年記念事業では、在学生コンペティションの審査員のほか「ZOKEI NEXT 50」展にも参加する。そんな野老さんに、第一線で活躍される先輩として学生時代のお話やものづくりについて伺った。

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建築模型づくりに没頭した学生時代

デザインII類(現室内建築専攻)の白澤ゼミに所属していました。父が建築家で母がインテリアデザイナー、高校時代から父の事務所で模型づくりのアルバイトをしていたので、建築は身近な存在でした。ただ、数学が苦手だったので、芸術系の大学なら昔から好きだった絵や模型づくりを活かして建築を勉強できると考えて進学しました。

学生時代はろくでもないヤツでした。高校時代の美術予備校の時点で絵画では同級生にも勝てないと気づいてしまったから、クロッキーの授業以外はあまり授業に出ず、建築学科の専門過程に進級しても製図が苦手だったから、やっぱり出なかった。ただ模型づくりだけは寝ずにやるほど好きだったので、講評には模型だけ持って出席していました。「模型があるってことは製図もしたってことでいいですよね」なんて意味不明な理屈で突っ切って、次の課題を聞いたらまた講評まで出ない。そういう日々を繰り返していました。

野老朝雄 1969年東京生まれ。デザイン学科建築専攻卒業、AAスクール在籍を経て江頭慎に師事。2001年9月11日より「繋げる事」をテーマに紋様の制作をはじめ、美術、建築、デザインの境界領域で活動を続ける。

野老朝雄
1969年東京生まれ。デザイン学科建築専攻卒業、AAスクール在籍を経て江頭慎に師事。2001年9月11日より「繋げる事」をテーマに紋様の制作をはじめ、美術、建築、デザインの境界領域で活動を続ける。

そんな自分が今では平面作品を軸として制作活動をしているのだから、人生って不思議ですよね。当時の行動を弁解するわけではないですが、授業以外の経験も全部、いまの自分の制作に繋がっていると思うんですよ。美術館に通ったり、悶々として悩んだり、学校の裏の滝で思いに耽ったり、手を動かさない時間だって知識になりましたから。

もちろん、好きな授業もちゃんとありました。楽しみにしていたのは柏木博先生のデザインの授業。NHKで「デザインの20世紀」を担当されていた頃だったので、この授業のために珍しく出てきたら休講でガッカリ…ってことも多かったんだけど。理路整然とまとめられたお話が本当に面白くて、もう一度お話を伺ってみたいです。もう一つは、プロのフォトグラファーや作家を招いた公開授業。お話にワクワクする一方で、若いからすぐ感化されちゃうんですよ(苦笑)。昔は画家に憧れていただけに「本当は建築じゃなくて美術がやりたいんだけどな、いやそんな簡単じゃないぞ」と、ひとりで勝手に葛藤したりしていました。

「これしかできない」ではなく「これはできる」

受け身なくせに、勇み足で偉そうだったなと思います。学生時代にしかできない思考というか、「建築の世界で旗を立てるぞ」みたいな怖い物ナシの自信と「自分に何ができるのか」という悩みがない交ぜな毎日でした。そんな4年間で得た一番大きなことは、「己を知った」ことです。迷って考えて経験したことで、何ができて、何ができないのかが見えてきた。数学はできないけど絵は好きだから美大に行こうと決めた入学に始まり、ルーベンスのような絵は描けないけど模型づくりが大好きだから建築家になろうなんて、自分の中での取捨選択が少しずつできるようになってきたんです。「これしかできない」ではなく「これはできる」ことに取り組めるようになってきたというか。定規やコンパスを使って一番うまくできることがグラフィックではなく建築だと認識したからこそ、卒業後もAAスクールに進学して建築家をめざしたわけですから。

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のちのち、この考え方が周囲の状況に対象が影響を受ける「サイトスペシフィック」と、対象を軸にして周囲が形づくられていく「コンディションスペシフィック」とも置き換えられることに気づきました。例えば、白川郷では近くに茅場があるから茅葺き屋根があるという仕組みが「サイトスペシフィック」で、「ZOKEI NEXT 50」展に出品する僕の最新作が「コンディションスペシフィック」になるんです。

この作品は、2020のロゴ同様に何億種類もグラフィックパターンが描ける「トコロ柄・トコロ紋」を応用したものです。模様の刻まれた小さなピースを手で組み立て、上から紙を当てて鉛筆で転写することで約20センチ角の絵を描くことができます。会場では小さい絵を縦横8個ずつ、64個つくって1,800センチ角に組み合わせて展示する予定です。僕は最初に手でパターンの基礎を描いてMacintoshで元になるピースはつくりましたが、この転写作業は一枚もしていません。美大生レベルの技術があればどんな人でも扱えるのですが、約10人のメンバーが担当するので多少の向き不向きが現れます。だから最後の集合体になった時に多様性が立ち現れるんです。

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僕はアナログでは理想に沿った平面作品が描けなかったけど、こんなふうに描く仕組みや手法を考えることはできる。「つくり方や描き方の仕組み」をつくる場所に今はいるわけです。それこそ学生時代、自分が「できない」ことが何かを思い知ったからできたことなんだと思います。

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