「第23回文化庁メディア芸術祭」でアート部門の新人賞を受賞したボイスプレイヤーの細井美裕さん。受賞作品の「Lenna」は、自身の声のみを素材に、2つのサブウーファーを含む24個のスピーカーを用いた22.2chでの音とその空間の響きの関係性を提示する作品として、2019年には、山口情報芸術センター[YCAM]にて22.2chで展示され、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]では無響室の中で2chで展示され注目を集めた。
また、「Lenna」は作者が著作権を保持したまま受け手によるリミックスや再配布を許可する「クリエイティブ・コモンズ」として公開することで、さまざまな環境での活用を促す“社会実装”を視野に入れた作品でもある。複数のレイヤーが折り重なる「Lenna」が提示するコンセプトと、作曲家およびエンジニアとの協働によって進められた制作プロセスについてお話をうかがった。
「社会実装」を促す作品コンセプト
――「声」を主体とした作品をつくるようになった経緯について聞かせてください。
細井美裕さん(以下、細井):高校生の頃に、コンテストで毎回金賞をとるような強豪校のコーラス部に所属していたのですが、3年生の時の国際大会で、他の国の出演者たちのパフォーマンスの魅力に圧倒されたんです。結果としては私たちが金賞だったのですが、なんだか負けた気がして、合唱の技術力だけじゃない、演出や企画制作といった“演奏の手前”に関わる必要を感じました。そこで進路について模索する中で、音大ではなくいろいろなことが学べる慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に進学することにしました。
その後、授業でプログラミングや理論、アートマネジメントなどを学びながら、2年生の時にテクノロジーを主体とした音楽やアート作品やインスタレーションを手がけるクリエイティブスタジオにインターンで入ることになり、東京藝術大学の友だちとイベントなどをするようになって。卒業後はインターン先に入社して3年ほど働き、その後プランナーとしてフリーになってから自分の作品を発表するようになりました。
「ボイスプレイヤー」と名乗りはじめたのは声による作品を発表してからで、楽器としての声みたいなイメージなので「シンガー」ではなく「ボイス」と表現しています。私はミュージシャンでもないので、曲のリリースやプロモーション、ライブ活動などをしたいわけではないんです。自己表現としての「音」というのがベースにあって、それを社会に出す手段として、配信であったり、CDといった盤でのリリース、さらに展覧会での発表など、それぞれの方法で実践しています。
——新人賞を受賞した「Lenna」のコンセプトについて聞かせてください。
細井:「音をつくる環境」と「聞く環境」、さらにそれを「実践できる」ということがコンセプトとしてありました。まず「つくる環境」については、いまはパソコンでいろいろなことができるようになっていますが、その中でできることだけが創造ではないと思うんですね。なので、もっとそういった前提を疑いながらさまざまなことを試した方がいいなと思っていたんです。「聞く環境」については、配信されているものをスピーカーやイヤフォン、ヘッドフォンで聞く以外に、空間に思いを馳せるような聞き方が美術館などのサウンドインスタレーションではできるので、展示空間での作品をつくりたいと考えていました。
さらに、それらを「実践する」作品にするために、なにかつくっている人たちやこの作品を聞いた人たちが手を動かすきっかけもつくらないといけないと思ったので、クリエイティブ・コモンズで作品を公開することしたんです。エンジニアの世界では、プログラムのフレームワークは基本的には公開されていて、誰かがつくったものをもとに自分がつくることで、また別のかたちでなにかに還元していくという考え方が一般的で、大学の時からそういった考えは慣れ親しんだものだったので。
また、「Lenna」というタイトルは、画像処理のサンプルとして広く使用された女性の名前から付けています。作品のコンセプトをどうやって表現したらいいだろうと考えた時に、社会に広まっていくことのひとつのリファレンスとして思い出し、作品名として使いました。「Lenna」は画像処理の論文などに必ず出てくる話なのでキャッチーだし、「Lenna」のことを知っている人には私がなにをやりたいか伝わりやすいのではないかと。
――作品を通した「社会実装」もコンセプトのひとつですが、それについても教えてください。
細井:「社会実装」というのは、クリエイティブ・コモンズとして配布したものがなにかしらの方法で活用されるということです。プログラミングの例でいうと、コードを書くだけでは動かすことはできなくて、それを実際に“run(実行)”させなくちゃいけない。なので、クリエイティブ・コモンズで配布することが“run”ボタンで、どこまで私の熱意とは関係ない人の行動のきっかけになるのか、ということが大事でした。実際に、大学や研究機関などから利用についての申請が来ていて、いくつかリミックスのプロジェクトも進行中です。
「Lenna」のコンセプトを昇華するチームワーク
――「Lenna」の制作プロセスについて教えてください。細井:「Lenna」は、作曲家とエンジニアのチームで制作しました。まず私が考えたコンセプトを全員が同時に聞いてもらい、その後はチームの誰かが一人で決めるということはなく、みんなから出てきた意見をもとに進めていきました。私がイメージとやりたいことだけを話して、作曲家とエンジニアはそれぞれの解釈の仕方で制作する。こちらからなにかお願いする時も、具体的な技術については言わずに、それぞれに任せています。
「Lenna」は7分ほどの作品ですが、全編にわたって私の声の音域の下限から上限までをなるべく使うようにしています。前半はマルチチャンネルフォーマットの音のサンプルとして機能させたかったので、鳴っている音の位置がわかりやすかったり、発声を考えていろいろな子音が入ったりと、ある種リファレンス的な役割を果たしています。 でも、音をオブジェクトとして配置していく手法はすでにいろいろなアーティストがやっているので、私が考える全方位のシステムでできる表現として、全体が音で覆われているからこそできる音の一体感を表現したいと思いました。
そこで、作曲家の上水樽力くんには譜面上の音符やメロディではなく、湿気や明るさなど、色や質感が伝わるような抽象的なオーダーをしました。中盤で、私が必ずやりたいと思って上水樽くんに伝えたイメージは、「かなり湿気がある空間で、すごく広いお風呂に浸かっていて、大きい扉が開いて、そこから光がもれて、湿気があるから光が広がっているのを見ている」というシーンでした。彼が全方位の作曲をしていることを知っていたので、私が伝えたイメージに対して彼なりの方法で解釈し、昇華してくれたんだと思います。
それはエンジニアたちも同じですね。「Lenna」は、3人のエンジニアにミックスとシステムをお願いしていますが、蓮尾美沙希さんは作品のベースとなる音の配置やリバーブ感などをつくって、葛西敏彦さんは質感に関わるもっと細かいニュアンスの調整、久保二朗さんは立体音響のシステムをつくってくれていて、それぞれのやり方で制作に関わってくれています。
――「Lenna」は22.2chというフォーマットで制作されたことにも注目が集まっていますが、それについてはどう感じていますか?
細井:22.2chという形式で制作したのは、2019年の段階で、近いうちに社会に流通するであろう最大のチャンネル数が22.2chだったからだけで、そこが本質ではないんです。ただ、ある程度技術的な側面に興味をもたれることは覚悟していたので、そうなった時にきちんとコンセプトを語れるようにしておかなくちゃとは感じていました。テクノロジーを作品の軸にしてしまうと、コンセプトが負けてしまうので。
作品の仕様書にも、展示する空間に沿ってフォーマットを考えることを作品の一部として記載しています。NTTインターコミュニケーション・センター (以下、ICC)で2chでの展示をしたのもその実践のひとつで、今後もさまざまなフォーマットで展示できるといいなと思っています。
また、配信で音源をリリースすることで、たとえばうっかり22.2chの音源を聴いた女子高生がなにか引っかかるものを感じてくれたらうれしいなと思います。美術館や配信といったそれぞれのメディアに作品を忍び込ませることも、「社会実装」につながるのではないかと。
——「Lenna」の場合は22.2chという音響テクノロジーを使用していますが、表現におけるテクノロジーの関係についてどのように考えていますか?
細井:テクノロジーが更新されたとしても、表現されたコンセプトが変わらず残っているかが作品にとって大事だと思っていて、それはテクノロジーを使った表現をする人にとっては永遠の課題だと思います。SNSなどメディアがどんどん更新されてく中で、アウトプットが変わってしまうだけで作品の価値がなくなってしまうのではなく、時代が変わっても生き残るためには、コンセプトを強くしないといけないと思っています。
私たちは、上の世代の恩恵を受けている感じがするんですね。いまの40代ぐらいの人たちが初期のフレームワークをつくり、次の世代がそれを使いやすくしてくれた。私たちは、すでにあらゆるものが使いやすい状態でそれらを組み合わせるだけでそれなりのものができる。でも、そのままでは開拓者たちの熱意にかなわないと思うんです。その時に、上の世代の人たちが使いやすいものにしてくれたさまざまな分野を、どうやってつなぐのかを考えることが、ひとつの突破口なんじゃないかと思っているんです。なので、なるべくものの見方が凝り固まらないように、いろいろな場所でいろいろな人と作品をつくることで、自分の可能性を広げていきたいです。
記憶に結びつく空間の響き
――ICCと山口情報芸術センター(以下、YCAM)の展示では、どのようなことを考えましたか?
細井:音楽的になにか解釈して欲しいというよりは、空間を意識してもらえるような作品として展示したかったので、ICCとYCAMでは対極的な展示方法を通して、音が鳴る空間によって作品がこんなにも変わるのだということを提示したかったんです。
ICCは無響室じゃないと成立しないシステムになっていて、閉じられた空間で椅子に座り、両脇の2つのスピーカーから全方位を囲まれるように聴こえるようにしています。一方YCAMでは、24個のスピーカーが設置された空間の後ろにホワイエが広がっているので、YCAM自体が歌っているような、空間の残響も考慮したミックスにしています。
ICCの展示では「お花畑みたい」といった声や「死後の世界」という人もいて、ネガティブとポジティブの両方の感想があっておもしろいですね。「Lenna」は声が主体の作品だからこういった感想が出てくるというのはあると思います。もしピアノの音だったら、全方位からピアノが鳴るような光景は非現実的なので記憶に紐付かない。それは、鑑賞にはなるけど個人的な体験の記憶とは結びつかないんですね。「Lenna」は声なので、「おばけみたい」といったような感覚とも結びつくんだと思います。
昨年YCAMで、打楽器奏者の石若駿さんとの公演「Sound Mine」のために、山口県のいろいろな場所で、固有の響きを再現するためのデータ「インパルス・レスポンス(IR)」を採集しに行ったんですが、パフォーマンスではボイスプレーヤーとパーカッショニストである私たちが、採集したIRを変えていって、“空間を演奏”するような表現を目指してパフォーマンスしました。そうすることで、たとえばある人がトイレのIRから「実家の居間っぽい」と感じることがあるかもしれないような、響きの記憶がその人の記憶に紐付くようなパフォーマンスにしたかったんです。
――細井さんが表現したいイメージはどのように思い浮かぶんですか?
高校の時の体験が、いま私が制作している作品とつながるような原体験になっていると思います。全国大会で各県のコンサートホールに行くたびに、会場に入ると先輩に舞台の縁に連れて行かれて、そこで手を叩くように言われていたんです。その時には理由を教えてもらってなくて、後々それはホールの空間の響きをチェックしていて、声をどう響かせるか考えていたんだとわかって。
その時に、音や声そのものじゃなくて、空間自体が鳴っているように感じていたんです。自分の声や音は同じなのに、空間によって鳴り方がまったく違うということが、空間と音のつながりについて考えるきっかけになりました。作品をつくる上で、そういった音の響きと空間の関係を提示したいという思いがあります。
賞をもらって、「やってもいい」と言ってもらえたような気がした
――新人賞の受賞について、どのように感じていますか?
細井:昨年「Lenna」で日本音楽録音賞というエンジニアの賞をいただいたのですが、メディア芸術祭に応募したのは、作品のコンセプトについても見てもらいたかったからです。この作品は技術的な作品ではありますが、コンセプトもちゃんと考えたので、そこはチームの中での戦いというか、私の意地として(笑)。
あとは、こういったメディアアートの世界への入り口が、メディア芸術祭が主催のワークショップだったということもあるので、「ここに帰ってきた」という感じになるといいなとは思っていました。SFCの学生だった頃に、YouTubeで観た映像作品に衝撃を受けて、その作品に関わっている作家が登壇していた受賞作品展でのワークショップに参加したのが、この世界に入るきっかけにもなったので。その時はメディア芸術祭どころかメディアアートがなにかも知らなかったんですが(笑)、「すみません、こういうのをつくりたいと思ってるんですけど、どう思いますか?」みたいな感じで話しかけたら、作家がおもしろがってくれて。
ただ、応募するにあたって栄誉としての賞が欲しいという気持ちはあまりなかったですね。高校生の時に賞をいただいたことが必ずしも快感にはならないことがわかっていたし、自分が海外の人たちのパフォーマンスに感動したのは、賞とは関係ないことだったので。もちろん、受賞することで周りへの感謝の気持ちにはつながるなぁと感じていますが、私はそれよりもいま自分の作品が技術とはまた違う芸術のどの文脈に位置しているのか、審査員による作品評が欲しかったんです。
私のやっていることはなかなか周りに理解されず、ふとした時に「こんなことやっていいのかな」とずっと思っていたので、賞をもらえることで「やってもいい」と言ってもらえたような気がしています。なので、うれしいという気持ちよりも安心したんですよね。よかった、って。
——9月に開催される受賞作品展では、来場者にどのようなことを感じてもらいたいですか?
細井:受賞作品展でも、来場者に音を聞く自分と、音が鳴っている場所の関係を考えて欲しいと思っているので、音そのものをつくるというより、それを再生する空間と人との関係を提示できればと考えています。なので、実際に場所に来て体験して欲しいですね。
今後も、特徴的な響きのする場所で「Lenna」を展示したいなと思っています。「Lenna」は「声」が主体の作品なので、作品が空間に「憑依する」という言葉をよく使うんですが、壁の反射などを利用して、部屋自体を鳴らすような、さまざまな空間に「Lenna」を憑依させたいですね。ほかにも、屋外や森、地下水路などに「Lenna」を旅させたいと思うので、どこか憑依できそうな空間があったら教えて欲しいです。今後も、私が感じた原体験を表現するような作品と展示を考えていきたいと思っています。
【文化庁メディア芸術祭】
文化庁メディア芸術祭はアート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門において優れた作品を顕彰するとともに、受賞作品の鑑賞機会を提供するメディア芸術の総合フェスティバルです。平成9年度(1997年)の開催以来、高い芸術性と創造性をもつ優れたメディア芸術作品を顕彰するとともに、受賞作品の展示・上映や、シンポジウム等の関連イベントを実施する受賞作品展を開催しています。
【第23回文化庁メディア芸術祭 受賞作品展】
会期:2020年9月19日(土)~27日(日)
会場:日本科学未来館(東京・お台場)を中心に開催
文:白坂由里 写真:高木亜麗 取材・編集:堀合俊博(JDN)
取材協力:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]