これまでの一般部門のグランプリを振り返ると、空間をグラフィックの力でさらに魅力的な場所へ進化させた作品が受賞する傾向にありました。しかし今回グランプリに選ばれたのは、カッティングシートで漫画表現に挑戦した平面アート作品。過去の受賞作品と比較すると異彩を放つ本作ですが、カッティングシートの新たな可能性を引き出す独創的なアプローチが評価され、グランプリに輝きました。
作品を制作したのは、東京藝術大学大学院でデザインを専攻しているLiisaさん。本記事では、作品で表現したかった想いやカッティングシートの魅力についてうかがいました。
漫画表現と向き合うなかで応募した、平面アート作品
――Liisaさんはイタリアの高校を卒業後、日本の美大に留学し、現在にいたるとうかがいました。どのような経緯で日本への留学を決めたのでしょうか?
私は父親の仕事の都合で、幼少期から高校時代をイタリアで過ごしました。日本の漫画やアニメといったサブカルチャーにすごく惹かれ、絵を描くことも好きだったため、日本で絵の勉強をしたいと京都精華大学のストーリーマンガコースに進学。漫画の描き方を基礎から学び、実際に編集者の方とやりとりしながら商業漫画を描いていました。
――漫画制作に打ち込んでいた中で、現在通っている東京藝術大学院への進学を決めたきっかけはなんだったのでしょうか?
編集者の方とやりとりしていく中で、漫画を多くの読者に読んでもらうためには、解釈の仕方をわかりやすくしなければならないという漫画のあり方について、疑問に感じるようになったんです。作品の解釈の仕方は人によって違っていいはずなのにって。それからセリフやモノローグで解釈を限定させるのではなく、一枚絵で漫画の物語性を伝えられる方法はないだろうかと表現を模索するようになりました。
大学4年時には、一枚絵や空間を使って漫画の物語を表現した個展を開催しました。もう少しこのスタイルでの表現を極めたいと、東京藝術大学院に進学したんです。
――CSデザイン賞についてもともと知っていましたか?
はい。Instagramで作品募集の投稿を見て、ホームページで賞の概要は拝見したのですが、その時点では応募しようと思っていませんでした。受賞作品の多くが空間デザインにカッティングシートを活用したものだったので、自分が制作するような平面アート作品の土俵ではないだろうと。
――なるほど、では今回応募しようとおもったきっかけはなんだったのでしょうか?
CSデザイン賞の応募が開始される少し前に、「TOKYO MIDTOWN AWARD 2023」のアートコンペで優秀賞をいただいたのですが、その作品でカッティングシートを使った際にお世話になった中川ケミカルの担当者さんから平面アート作品も応募可能だと教えてもらいました。
それを聞き、平面アートも応募していいんだという驚きと同時に、著名なデザイナーのみなさんに自分の作品を審査してもらえるんだとワクワクしました。また、カッティングシートは学生の身からすると少々値が張るので、グランプリ賞金の100万円もとても魅力的でした(笑)。
現実と感覚の違和感を作品に落とし込む
――今回グランプリを受賞した作品「明日は遊園地へ行こうね」は、どのようなことを表現しようと制作した作品なのでしょうか?
この作品を応募した「TOKYO MIDTOWN AWARD 2023」は、入賞すると東京ミッドタウンの一角に作品が展示されます。いろんな人が行き交う公共空間の中で飾られるものなので、見た人を一瞬でも喧騒から引き離し、物語の世界に引き込む作品をつくりたいと思いました。
漫画もアートも、共通して現実から引き離す力を持っていると私は信じています。公共の場にアート作品を置く意味を考えた時、その現実から引き離す力を最大限に生かすべきだと思いました。
作品のモチーフに小学校を選んだ理由も、小学校は誰もが過ごしたことのある場所なので、その親しみやすさから作品の世界に没入しやすいと考えたからです。また、見た人が自分の中で物語を想像できるよう絵に含みを持たせ、より作品に没入してもらおうと考えました。
――漫画表現も舞台設定も、作品の世界への没入感がテーマだったのですね。
実は没入感と同時にもう一つ、表現したかったことがありました。それは、見る人を拒む力です。漫画でもアートでも小説でも、何かを見た時に“完全に”没入することは難しいと考えています。必ずどこか一歩引いた目線の自分がいる。そんな感覚は、イタリアに住んでいる時からあったように思います。
自分の故郷とも言えるイタリアの風景を見ても、どこかその風景が自分のものではないような…。それは自分の国籍が中国だからなのか、日本文化に憧れを抱いていたからなのか、はっきりと理由があるわけではないですが、目の前のものと繋がっているようで繋がっていない感覚をずっと抱えていました。
この感覚は私のようなバックグラウンドを持っていなくても、多くの人が感じたことのある感覚だと思っています。例えば戦争映画を見て悲しみや怒りを感じたとしても、日本で平和に暮らしていると、この地球で本当に戦争が起こっていると実感がわきにくい。
でも、事実として戦争は起こっている。そんな感覚と事実のギャップが生む違和感は、私たちにとってリアリティのあることだと思うんです。そのリアリティを描くために、「没入する」と「拒む」を同時に表現したいのだと思います。
カッティングシートの新たな活用方法をゼロから模索
――今回の作品では、漫画で色の濃淡などを表現するスクリーントーンの代わりにカッティングシートを使用していますが、カッティングシートを選んだ理由を教えてください。
大きい作品を制作する際、漫画原稿のサイズでの使用を想定したスクリーントーンでは大きさが足りません。また、アート作品をつくる上で素材の耐久性はすごく重要です。大きく使え、かつ耐久性の高い素材。この2つを兼ね備えていたのがカッティングシートでした。
――カッティングシートの使用方法を含め、制作過程について教えてください。
まずミリペンとマーカーを使い、線画を描きます。その線画を撮影し、パソコンに取り込み、写真データの上からどんな柄のスクリーントーンをどこに施すか、あたりを決めていきました。完成したらスクリーントーンのデータを紙に印刷し、切り貼りしながら実際の見え方を確認。ドットが潰れたり、モアレが起こったりしないよう、細かくドットの大きさをデータ上で調整します。
最終的にドットのデータを中川ケミカルさんに送り、透明のカッティングシートに印刷していただいたものをキャンバスに貼っていきました。
――作品制作にカッティングシートを使ってみていかがでしたか?
実際に使ってみて、耐久性の高さにはとても驚きましたね。制作当初はカッティングシートではなく、マンガで従来使われているスクリーントーンを使おうと考えていました。しかし、スクリーントーンは伸縮性がないため、大きい紙の伸び縮みにはついていけず、時間が経つと剥がれてしまうんです。
一方、カッティングシートは湿度の変化によって伸び縮みするという特性があるため剥がれにくい。その上細やかなカッティングもできて加工の自由度が高いので、今回の制作にぴったりの素材だったと思います。
――作品を制作する上で苦労したポイントはどこですか?
カッティングシートでスクリーントーンを再現するという前例のないチャレンジだったので、自分で一からやり方を模索するのが大変でした。特にカッティングシートはスクリーントーンと違って、水や油を弾く性質があるため、上からペンで加筆することが難しい素材。いろんな画材を試しながら、カッティングシートの上から描ける塗料を探しつづけました。
中川ケミカルさんも前例がない中で真摯にアドバイスをくださり、カッティングシートの新たな活かし方を一緒に見つけていきました。
自分がこの世界にいた証を残しつづけたい
――前例のない形でカッティングシートを使った本作ですが、改めてグランプリを受賞していかがでしょうか?
審査員のみなさんが「どうやってカッティングシートを使っているのだろう?」と、不思議そうに作品を見てくださっていたと聞きました。カッティングシートは看板やショーウィンドウで使われるイメージだったので、それ以外の使われ方が新鮮に映っているのかなと。
漫画業界でデジタル化が進み、スクリーントーンという技法自体が廃れている中で、カッティングシートという素材を使って新しい見せ方ができたことを嬉しく思いますね。
――最後にLiisaさんが今後制作していきたい作品やテーマについて聞かせてください。
絵は死ぬまで描きつづけたいと思っていますし、作品を通じて人間のリアリティを表現していきたいです。世界中でデジタル化が進む中で、私は人の痕跡というものにとても惹かれています。例えば漫画家の原画展などで、筆跡や修正跡などが原稿に残されていると、その人の生きた証を感じられますよね。そういった証を自分の作品にも残していきたいんです。
カッティングシートは商業的な使われ方が多いですが、今回の作品を通してつくり手の温度を表現する素材としても使えることがわかりました。今後も自分の表現を追求しながら、カッティングシートの新しい使い方を模索していきたいと考えています。
■CSデザイン賞 公式サイト
https://www.cs-designaward.jp
文:濱田あゆみ(ランニングホームラン) 撮影:井手勇貴 取材・編集:石田織座(JDN)