非日常を踊る 第8回:デラフエンテチャベス由香

非日常を踊る 第8回:デラフエンテチャベス由香

2020年春、新型コロナウイルス感染症の影響で1回目の緊急事態宣言が発令され、文化芸術活動にかかわる人たちは大幅な自粛を余儀なくされた。フォトグラファーの南しずかさん、宮川舞子さん、葛西亜理沙さんの3名が、撮ることを止めないために何かできることはないか?と考えてはじまったのが、表現者18組のいまを切り撮るプロジェクト「非日常を踊る」だ。

コンセプトとして掲げられたのは「コロナ禍のいまを切り撮ること」と「アートとドキュメンタリーの融合写真」という2つ。プロジェクトは、タップダンサーやドラァグクイーン、社交ダンサー、日本舞踊家などさまざまなジャンルのダンサーがそれぞれの自宅や稽古場という「裏舞台で踊る姿」を撮影した、2020年を反映するパフォーマンスの記録となった。

本コラムでは、フォトグラファー3名が想いを込めてシャッターを切った写真と、南さんが各表現者にインタビューした内容を一緒に紹介していく。今回は、2020年10月に撮影を行った、フラメンコダンサーのデラフエンテチャベス由香さんの写真とインタビューを紹介する。

デラフエンテチャベス由香/フラメンコダンサー(撮影:宮川舞子)

社会人になってからフラメンコをはじめ、スペインのセビリアへ留学したデラフエンテチャベス由香(以下、由香さん)。2002年よりフラメンコユニット「Las Chispas」として舞台やライブなどに出演し、2003年にはマルワ財団第1回コンクールグループ部門で審査員特別賞を受賞。文化庁舞台芸術国際フェスティバル「舞踊とオーケストラの饗宴」では振付・出演を行った。老舗のフラメンコ会場である「El Flamenco」にも多数出演。産後復帰してからは、ライブ活動や後進の指導にあたっている。

2017年にはセビリアの名誉あるペーニャ(フラメンコ愛好家が運営する、フラメンコを見せるバル)に出演し、名誉会員にも認定されている由香さんと、ギターを弾く夫のフランシスコさん。床に座って由香さんの踊りを見ているのは一人娘のサマラさん。

今から20年以上前のこと、由香さんは短大の卒業旅行でスペインを訪れた。そこで見たフラメンコに一瞬で恋に落ち、直感的にその“スペインの無形文化遺産“を人生の軸に選んだ。

デラフエンテチャベス由香さん(以下、由香):あんなに心が湧き立つ踊りを見たのははじめてで、子どもの頃に習っていたバレエとは違った魅力を感じました。

フラメンコにもいろいろジャンルはありますが、私が好きなのはインプロビゼーション(即興)。歌い手とギターを弾く人との掛け合いに踊りで応えるスタイルです。バレエは決まったことを極めることが美しさだと思いますが、フラメンコはその人らしさがその瞬間瞬間で見えるのがいいんですよね。

その時の感情をナチュラルに表現できること。そんな自分にとって心地よいものを追い求め続けたら、結婚にも繋がった。

フラメンコに魅了されてから約10年後、フラメンコダンサーとして活躍していた由香さんは、新宿の「El Flamenco(現ガルロチ)」でライブの出番を終えたカンタオール(フラメンコの歌い手)に、彼女が関わるイベントへの出演交渉のために声をかけた。

彼の名前は、デラフエンテチャベス フランシスコハビエルさん(以下、パコさん)。フラメンコの発祥の地といわれているスペインのセビリア生まれ、セビリア育ち。まさに生粋のフラメンコシンガーである。彼はイベントへの出演を快諾した。

由香:そのイベントを終えたあと、数日後に開催予定の自分の誕生日パーティーにスペイン人の出演者全員を招待したんです。その場では社交辞令的に全員が「行くよ!」と言ってくれましたが、当日ちゃんと現れたのはパコさんだけでした。しかも誕生日プレゼントとして、新宿伊勢丹のキレイな花束を抱えていて。

そんな律儀な彼に惹かれ、出会ってから1年未満のスピード婚。彼は日本でのアーティスト契約期間が終わるとスペインへの帰国が決まっていたため、将来をふまえて二人はすぐに決断した。

二人は結婚するにあたり、東京で暮らすことに決めた。夫のパコさんは、ほとんど日本語を話せないが、東京で活動することは理にかなっていた。実は、一般社団法人「日本フラメンコ協会」によると、日本のフラメンコ人口は5万人ほど。スペインに次いで、フラメンコ熱が高い国といわれている。そのため、パンデミック以前は、さまざまなスペインの一流アーティストが来日していた。

需要が高い職場にいれば安定して仕事があるが、パンデミックが発生し、エンタメ業を生業とする二人はコロナ禍のあおりをもろに食らった。

由香:私はダンサー以外にフラメンコの先生や日本語講師、スペイン語の通訳・コーディネーターなど複数の仕事をしていますが、1回目の緊急事態宣言から約4カ月間すべての仕事が止まりました。

昨年は一人娘が通う小学校もしばらく休校になったので、親子三人でずっと家にいました。夫の故郷のスペインは世界的に早い段階からパンデミックとなり、スペインにいる義理の兄と義理の甥っ子がコロナにかかったり、知り合い2人が亡くなりました。だから、まだ日本で感染者が少なかった時期でも他人事とは思えず、外出する気になりませんでした。

日々、家族と自宅で過ごす時間が増えたことで、夫婦喧嘩が何度も勃発したが、そんな家族の危機をつないだのは料理だった。

由香:旦那はすごく料理がうまくて、スペイン料理も日本料理もなんでもつくります。「レンテハ(レンズ豆の煮込み)」と「イカとジャガイモとの煮込み」は特に好きなメニューで、どちらもスペインの家庭料理です。

なるべく一緒に食べて、食事以外の時間はお互い別々の部屋にいて、なるべく一緒にいないようにした。相反する行動をしたことで、家族のバランスが取れて、辛かった自粛期間を乗り切ったそうだ。だが、世界のあちこちで新型コロナウイルスは猛威を奮っていて、収束の気配が見られない。

由香:まだうちの経済もフラメンコ業界も元のようには戻ってないです。

本場スペインのフラメンコ業界も厳しい状況が続いている。タブラオ(フラメンコショーを行う場所)は、観光客がいることで比較的ビジネスが成り立っている。スペイン統計局によると、昨年1月から7月に同国のホテルに滞在した外国人観光客は、前年同期比70%以上減少。都市封鎖や移動制限があるうちは、店を開けたところでどうにもならない。

それと同様に、スペイン人の日本への入国にも制限がある。だから今できることは、日本人同士で踊ったりすることで、日本のベースを無くさないことだと話す。

由香:フラメンコはやっぱりスペインのものだと思っていて、三拍子、四拍子、変則五拍子など日本にはないリズムだし、歌の意味を理解するために私はスペイン語を勉強しました。だから、スペイン人が10伝えたものが、私たち(日本人)だと9になるかもしれないけど、それをなるべく9以下に落とさないようにして伝えていくことが大事だと思います。

由香さんはこれまでも、夫とワークショップを主催し、後進の育成に取り組んできた。踊りのレッスンだけではなく、フラメンコの起源や歴史、日本人が苦手なスペイン語の発音の違いなど、自分たちの持ちうるすべての知識や技術を伝えてきた。コロナが落ち着いたら、そういったワークショップを「もっと頻繁にやろう」と夫婦で話し合った。

日本に灯ったフラメンコ熱。踊り手と歌い手の夫婦は、その情熱を絶やす気は毛頭ない。

撮影カットを確認する、由香さんとカメラマンの宮川さん。

取材・執筆:南しずか 写真1~2枚目:宮川舞子 タイトルイラスト:小林一毅 編集:石田織座(JDN)