非日常を踊る 第7回:松岡大

非日常を踊る 第7回:松岡大

2020年春、新型コロナウイルス感染症の影響で1回目の緊急事態宣言が発令され、文化芸術活動にかかわる人たちは大幅な自粛を余儀なくされた。フォトグラファーの南しずかさん、宮川舞子さん、葛西亜理沙さんの3名が、撮ることを止めないために何かできることはないか?と考えてはじまったのが、表現者18組のいまを切り撮るプロジェクト「非日常を踊る」だ。

コンセプトとして掲げられたのは「コロナ禍のいまを切り撮ること」と「アートとドキュメンタリーの融合写真」という2つ。プロジェクトは、タップダンサーやドラァグクイーン、社交ダンサー、日本舞踊家などさまざまなジャンルのダンサーがそれぞれの自宅や稽古場という「裏舞台で踊る姿」を撮影した、2020年を反映するパフォーマンスの記録となった。

本コラムでは、フォトグラファー3名が想いを込めてシャッターを切った写真と、南さんが各表現者にインタビューした内容を一緒に紹介していく。今回は、2020年9月に撮影を行った、舞踏家・松岡大さんの写真とインタビューを紹介する。

松岡大/舞踏家(撮影:葛西亜理沙)

2005年から舞踏グループ「山海塾」に舞踏家として参加し、「金柑少年」や「うむすな」、「めぐり」などの主要作品に出演している松岡大さん。2011年からウォーキング形式のパフォーマンスイベント「LAND FES」を主催し、2016年からは舞踏の体現者である大野慶人さんの動きを最新のデジタルテクノロジーで保存するためのプロジェクト「YOSHITO OHNO ARCHIVES / DIGITAL 3D IN MOTION」を、非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想のメンバーとして発足するなど活動の幅が広がっている。

舞踏家・松岡大

撮影場所は、都心から車で約2時間ほどの、山梨県の山間部に位置する松岡さんの自宅。当日は小雨が降って肌寒く、村を囲う森林に霧がかっており、その山の厳かな雰囲気が「山海塾の舞踏家」の撮影日にふさわしく感じた。

「舞踏」とは、日本発祥の前衛芸術の一つである。山海塾は1975年に創設された舞踏カンパニーで、フランスなどヨーロッパでの評価が高く、1982年以降の作品では世界のコンテポラリーダンスの最高峰であるパリ市立劇場と共同プロデュースが行われている。松岡さんはそんな山海塾の舞踏家の一員として、世界各地で公演を行ってきた。2005年の加入当時は、世界中の人々の反応に触れることがすごく刺激的だったという。だが、長年携わったことで、次第に劇場の外に興味が湧いてきた。

松岡大さん(以下、松岡):「俺はこれから何ができるんだろう?」と改めて考えた時に、舞台芸術の中で自分が培った技術が、もっと社会の中で共有されたり、応用されてもいいのかなと思ったんですね。

そういう“社会と関わっていきたい”という思いが、主催する「LAND FES」の開催にもつながりました。このイベントは、観客が街を歩きながらミュージシャンとダンサーによるライブセッションを体験できるものなんです。

たとえば、下町の商店街の中でダンサーとパーカッショニストのセッションがはじまります。観客は、踊りながら移動するダンサーを追いかけていくと次の場所にたどり着き、その場所で別のダンサーとチェロ奏者の即興がはじまります。日常の中にヘンテコな人たちが入ると、ガラッと風景が変わるというか、その非日常へ移り変わる景色やその場限りのライブを楽しんでもらえたらいいなと思っています。

今回の撮影のために、歌舞伎白粉を剃髪した頭から上半身までに塗って臨んだ松岡さん。この「剃髪・裸・白塗り」という外見は、舞踏家の基本的な特徴だという。彼は白塗りメイクをする手を止めることなく、よどみなく話を続けた。

松岡:体を使ったクリエイティブな表現は、役者やダンサーだけではなく、もっといろいろな人に開かれていく状況があるといいと思うんですよね。セリフなど言葉を介さない舞踏は、明確なメッセージとして伝わりにくいですが、裏を返せば正解やルールがないため、どんな境遇の人にもトライしやすいと言えます。

たとえば、舞踏のワークショップを開催した時、ダウン症や自閉症の方がみんなで一緒にダンスをすることで、すごく表情が明るくなったことがあったんです。その光景を見た親御さんが喜んでくれたりして。

舞台で作品を披露する場合、その作品の良し悪しだけで評価される部分があります。ですが、劇場の外に出れば、たとえ完璧な作品にならなくても、多くの人々と関わっていくことは自分の中でも価値のあることだと発見できました。

ところが、行動の幅を広げていく過程で、パンデミックによりすべてが一旦止まってしまった。文化を担ってきた人たちは、こういうことで活動が止めざるをえないのかと、無力感に襲われたという。

松岡:しばらくして冷静さを取り戻して、こういう事態、あるいはもっと鬼気迫る緊急事態になった時にどうするべきなのかを考え抜きました。たどり着いた結論は「コミュニティを大切にすること」と、「日頃からサバイバル能力を高めること」でした。

前者については、個人で戦う限界を感じたことが大きかったです。自粛期間が明けて、また動き出すぞという時は大きい組織から動き出しますよね。そうすると弱い人たちは削られちゃうというか……。その脆弱さを実感したからこそ、この機会に「LAND FES」をNPO法人化したんです。法人化したら解決するわけではありませんが、仲間や自分を支えてくれるファンの方も含めて、常にちゃんと連絡を取り合える状態がすごく大事だなと思いました。

そのコミュニティをつくる一環で、「paytreon」というアメリカのサービスを利用したクラウドファンディングを、「LAND FES」で開始した。これは月額制のクラウドファンディングで、ファンが一定額を支払う対価として、定期的にオンラインのパフォーマンスなどを提供するというものだ。今のところ、コミュニティの人数は右肩上がりである。

松岡:もうひとつの結論の「日頃からサバイバル能力を高めること」については、コミュニティにとって、役に立つサバイバル能力はなんだろう?と思った時に「炊き出し」かなと。万が一の事態に備えて、アーティストが炊き出しに必要な知識と技術を身につけた上で、炊き出しの現場で披露できるパフォーマンスの練習をしようと思っています。

アーティストの生き抜く力が育つし、コミュニティにとってもありがたい。まさかの一石二鳥的な発想だ。ちなみに、その炊き出しの第一候補となる料理はカレー。アウトドアの定番中の定番メニューなので、納得である。

松岡さんは撮影の準備を整えて、「炊き出しトレーニングって面白くないですか?」と、自らの型破りな発想に笑った。白塗りの笑顔はすごくシュールだが、彼の気さくな性格に場が和んだ。

松岡:そのほかにも舞踏のアーカイブをつくることも計画中です。日本で生まれた身体表現だけど、日本に舞踏学校はありません。そんな中、舞踏のパイオニアである第一世代の方たちが、引退したり亡くなったりと、その知識や技術の記録がないことに危機感を持っています。国内外の需要に応えるため、オンラインなのか映像で残す方がいいのかなどまだ詳細を詰められてはいませんが、動き出しています。

社会に繋がっていくことをとっかかりに、さまざまなことを同時進行している。それぞれの活動がどう広がっていくのか、またはいくつかの活動が作用しあうのか、松岡さん自身も分かっていない。1960年代、まったく無名だった舞踏家らは自らの表現をクリエイトし、公演の機会やファンを開拓していった。松岡さんの行動力は、先達に負けず劣らず舞踏家らしい。

取材・執筆:南しずか 写真1~2枚目:葛西亜理沙 タイトルイラスト:小林一毅 編集:石田織座(JDN)