クリエイターの「わ」第13回:うーたん・うしろ

クリエイターの「わ」第13回:うーたん・うしろ

クリエイターからクリエイターへと、インタビューのバトンをつないでいく連載「クリエイターの『わ』」。編集部がお話をうかがったクリエイターに次のインタビューイを紹介してもらうことで、クリエイター同士のつながりや、ひとつのクリエイションが別のクリエイションへと連鎖していくこと=「わ」の結びつきを辿っていくインタビューシリーズです。

前回の諸角拓海さんからバトンを受け、今回お話をうかがったのはセラミックアーティストとして活動するうーたん・うしろさんです。「焼き物のまち」として知られる栃木県の益子で制作活動をおこなっているうーたんさん。世界観がはっきりとした色味や力強い文様が特徴の作風で、一度見ると脳裏に焼き付くような感覚があります。

消防士を経て陶芸の道に進んだという異色の経歴を持つうーたんさんに、なぜ陶芸に興味を持ったのか、インパクトの強い作風についてなどお話をうかがいました。

経歴や作風について

もともと僕は消防士を7年くらいやっていて、そのときに巨大な火の体験というか、火の破壊的な面を感じる機会が多くありました。基本的に火は何かを損なうもの、鎮圧するものとして関わってきましたが、陶芸をはじめたことで火を使って何かをつくり出すこともできるんだとハッとさせられたんです。いまは破壊と再生は表裏一体で、創造のためには破壊があり、創造されればいつかは破壊されていくという、両者のせめぎ合いを火を通して感じています。

作風については、直接関係するかわかりませんが、消防士のときに人が亡くなってしまう現場に触れてきて、言い方が少し強烈だけど遺体が持つ強烈な存在感を感じる機会が多かったんですよね。たとえば電車で隣におじさんが立っていても強い存在感はありませんが、仮にその人がバタッと倒れて亡くなってしまったら、突然すごい存在感を放ちます。芸術作品と人の死を比べてはいけませんが、素朴な感覚として、どんな創作物も存在感という意味においては遺体には勝てないということを感じていました。そこから作品が放つ存在感については意識して制作しているかもしれません。

うーたん・うしろ 作品

作品でよく登場する「文様」は、昔からプリミティブな文様造形に興味を抱いていた時期が長く、縄文土器やケルトの唐草の連続文様、アイヌの刺繍に見られる文様など、いろんな地域で展開されている文様って何なんだろう?という感覚を持っていたんです。いま僕なりに考えていることは、命や生命の現象もそうですが、ある種の凝集力や重力、なにか集まろうと維持しようとしている塊が文様なのかなと。

でも物理次元では基本的にすべて固まることなくほどけていく世界なので、拡散する力が働きます。たとえば砂浜の場合は、砂が風によって拡散していこうとする一方、重力によって落ちて留まろうとする力もある。その両方がせめぎあったときに、ああいう砂の模様が生まれることになるんです。だから留まる力と拡散していく力がせめぎ合ったときに起きるダンス、みたいな感覚でしょうか。文様をそういうものとしてとらえていて、ものづくりのほかに踊りも平行してやりながら創作活動をしています。

作品紹介

「Pattern Cup」

これは直近の一番大きい展示のときの作品で、代表作として紹介することが多いものです。ライティングをブルーにしているので、少し過剰に青くなっていますが、こういった、粘土に文様を彫る作品を多くつくっています。

うーたん・うしろ 作品

陶芸をはじめたころからつくっている「Pattern Cup(パターンカップ)」はコップぐらいのサイズで、親指くらいの幅の文様を全体に彫り付けています。それがどんどん展開して、最近は1mぐらいの大きさの壺のようなものもつくっています。大きなものも文様の彫り方はコップと同じで、さらにその上から文様を重ねて2層ある状態です。こういった「文様を扱う」ようなことをけっこうやっています。

昨年は、夏に表参道のCIBONEで「うーたん陶芸:凹凸(ボコデコ)」、年末に浅草のes quartで「うーたん陶芸:月の鏡」という2つの展示をやらせていただきました。この2つの展示は、お互いに補完しあうようなコンセプトになっていて、コミュニケーションをテーマにしていました。そういった意味でもこの2つの個展は作家活動の中で意味合いが大きいもので、近年の活動・作品の代表となる展示だったと感じていますね。

浅草 es quart「うーたん陶芸:月の鏡」

es quartでの展示の様子

CIBONE「うーたん陶芸:凹凸(ボコデコ)」展示の様子

CIBONEでの展示の様子

パターンカップの場合は、カップ自体をろくろで厚めにつくり、あとで彫っていく方法で仕上げていきます。陶芸用の丸い金属の輪っかのような道具で少しずつ彫っていき、あら削り、あら彫りしたあとに精度を出していき、研磨するという方法です。彫刻的につくっている感覚に近いかな。大きいものに関してはろくろではなく手びねりで、よりプリミティブな方法でかたちを立ち上げていき、最終的に文様を彫ります。多めに造形して足し算したものを、引き算してかたちにしていく方法です。

手のなかで収まりきる造形のおもしろさもありますが、大きなサイズになると、腕が指みたいになるんですよね。それを感じたのは窯をつくっているときで、自分の手に負えないサイズのものを使っているなという感覚がありました。そういう大きいものと対峙してる感覚が心地よいと感じるときがあって、大きな火を消してるときや、1週間ぐらいかけて山を登るときの感覚に近いと思います。

うーたん・うしろ 作品

お仕事クエスチョン

Q.なくてはならない仕事道具はありますか?

トンチのような回答ですが、「感度がすぐれた身体」は不可欠だなと思います。陶芸の場合は粘土造形なので、厚みや質感をとらえながら、粘土をぐっとひねったり伸ばしていったりとおもに触覚を使うんですよね。もちろん視覚も重要で、遠近それぞれで見たときにどうなるかなど、デッサン的なとらえ方で全体を把握したり、窯焚きの際の火の色を判断したり。窯焚きの時にはいろんな感覚をフルで使う必要が特にありますね。

あとは大きい作品になればなるほど長時間同じ姿勢をとるので、腰を悪くすることもあって……。そういう意味で健康な状態であることも大事で、それによってようやくその作品に対しての解像度も上がるし、自分なりに世界や社会で起きてることを理解する解像度も少しは高まるんじゃないかなとか。いま何が起きているのかを観察する、観察できるような感度が大事かなと。

Q.あなたの仕事場とそのこだわりについて教えてください。

いま住んでいるのは、昔農家の方が住んでいた家で、隣の蔵だったところをスタジオに改装しました。

制作前に毎回きれいな状態にするのも大事だなと思っているんですけど、波があって、制作が佳境になってくると空間も制作ムードになり、その制作時における、いちばん最適な散らかり方になるんですよ(苦笑)。粘土が山盛りになっているほうがちょうどよかったり、よく使う道具が常にテーブルの上に出ていたりとか。良い言い方をすると、そのつど最適化していっているような。

あとは田舎でまわりに家が少ないので、音楽を大きい音で鳴らせるのはうれしいですね。音楽のジャンルはいろいろで、オーケストラを爆音で流しながらつくるときもあれば、ジャズやヒップホップを聴くこともあります。リズム感が心地よくて落語もたまに流しますね。

Q.仕事をする上で大切にしている日課

日課は散歩で、長いときは2時間くらい、最低でも30分ぐらい歩いています。頭でっかちに考えやすいので、散歩中は思考をフラットにしたり、今日何をするかを考えたりしています。

あとは単純に「世界は動いているなぁ」と感じるためかもしれません。制作に向かっていると自分と作品とその制作空間だけになり、閉じている感覚になるときがあるんです。自分の時間だけで過ごしていると、自分の思考や考え方が真実で絶対という風になりがちなので……。そういう感覚とは関係なく、自分を世界に慣らす時間のようなものを1日の中に入れておくとバランスが取れる気がします。あとは散歩の流れで、帰ってきてからヨガや先祖から受け継いだ体操をやっているかな(笑)。

あなたのクリエイターのわ

◯影響を受けたデザイナーやクリエイター

いろいろな人に影響を受けていますが、いまパッと思い浮かぶのは南方熊楠と宮沢賢治です。お二人に共通しているのは、自分のペースで自分の人生をやっていくというところですね。

南方熊楠は粘菌学で有名ですが、オカルトなところがあって、猫と話したりおばけと話そうとしたり、夢のなかでいろんな体験をしていた方です。明治時代末期に発布された神社合祀令に対し、反対運動も展開していました。反対したのは2つの観点からで、粘菌学の視点では神社には固有の森林の生態系があり、その自然を壊してしまわないようにということ。また、民俗学の観点からは、神社を祀っている氏子さんたちが持つ民族学的な、目には見えない昔話や小さな宗教みたいなものがなくなってしまうのを危惧したようです。

宮沢賢治も同じように、お金持ちの家に生まれたけれど、法華経の考え方に傾倒していった方です。農業的な実践と平行して詩や文章を書きながら、宗教は宗教、創作は創作、生活は生活と分けず、自分の全人生をまるっとその対象に対して全方面から投じていた印象があります。全人格でもって何かに投じていく―その生活から創作、考え方や対人関係など何から何まで全部で取り組んでいる感覚を身近に感じられたのが、このお二人かなと思います。生き方の態度として影響を受けました。

僕もおそらくそうですが、たぶんまわりの人にたくさん迷惑をかけていて、でもそういうなかでもいろいろな人とコミュニケーションをとりながら、感謝を伝えたり謝ったりしながらやっていくのが生きるということかなと思います。自分の力だけで全部完結させて、誰にも迷惑をかけないというのはけっこう難しい。そういう持ちつ持たれつな関係のなかで、生きていき、そのなかで制作や表現があるのかなと感じています。

◯前回の諸角さんからの質問:うしろさんは消防士から陶芸作家になりましたが、これからどういう作品をつくっていきたいというイメージはありますか? また、クリエイターとして、ふだんどこから情報を集めていますか?

作品単体でいうと、文様造形をより発展させていきたいというのがイメージのなかにあります。まだ現実化できていないものがたくさんあって、その文様を展開していくことを考えています。あるいは造形だけではなく、釉薬の縮れ方など人為的ではない自然なかたちで、それこそ指紋ができ上がるみたいなかたちで文様が生まれていくことも研究してまして、文様というものの現象を展開していきたいなというふうに思っています。

情報の集め方は、すごく普通ですがインスタでいまの情報を見ていることが多いかもしれません。いまこういう展示をやっていて、友だちはこういう作品をつくったんだとか、いまの情報で言えばインスタから得られる情報が多いかなぁ…。もちろん本はたくさん読むし、Webマガジンも読むし、自然を観察するという意味では散歩も当てはまるでしょうか。瞑想で自分の中にある情報を整理することもありますね。

◯ご紹介したいクリエイター

うーたんさんにご紹介いただくクリエイターは、YUVI KAWANOさんです。

◯YUVI KAWANOさんへのメッセージと質問

YUVI KAWANO(カワノユウビ)さんは、ランジェリーをつくっているアーティストです。はじめてお会いしたのは、引っ越したばかりの益子のスタジオに友人と遊びに来てくれた時で、当時からユミックスと呼ばせてもらっています。

うちの穴窯の制作初日、敷地の草むしりをしてくれたり、実は僕の作家名であるうーたん・うしろの名付け親の1人でもあります。当時身近にランジェリーをつくっている方がおらず、作品を見せてもらったり制作に関わるお話を伺ったりと、大変興味深かったことを覚えています。

土を掘り粘土づくりからやっていると以前話したときに、ランジェリーの素材と共通するところがあると、興味を持っていただいた記憶があります。ユミックスのつくるランジェリーにおいて、素材とはどのようなものですか?また、素材を選ぶ時に気をつけていることはありますか?

次回のクリエイターの「わ」は、YUVI KAWANOさんにお話をお聞きします。

タイトルデザイン:金田遼平 聞き手:石田織座(JDN)