よく通る大きな声で話す藤巻氏。レジュメなし、ノリが良ければ脱線も恐れず、というざっくばらんな語りぶりに、会場から思わず笑いがこぼれます。
■「型破り」の20年 「‘型破り’とは自分で言うことではないのですが、仕事を始めて20年、思えば全部アドリブでやってきた気がする」という藤巻氏。
伊勢丹という大企業に属しながら、「プレゼンや企画書などは全部無視。『その心は』と聞かれれば、『私の直感です』とか『今そう思うからやるんです』とか、いわば勢いだけでやってきた男であります」と自己紹介します。
配属先の売場で宣伝が必要だと直感すれば、アルバイトをかき集めて日本テレビの朝の番組を‘ジャック’したり、「聖域」とされていた売場を一夜にしてゲリラ的に模様替えしたりと、まさに型破りなエピソードに会場は大いに沸きます。
■原点は新入社員時代に 入社から5年は販売担当だったという氏。メーカーから服を預かって売り、売れなければ戻すという委託販売が基本の百貨店業界にあって、このとき「自分の目で見て選ぶことの大切さ」を覚えたといいます。
「自分で商品を選び、買い付けた商品をどう並べ、どう宣伝を打つか。この三つを一貫させないとだめなんだな、ということに気づいたんです」
■バーニーズで培ったバイヤーの目 バイヤーとしての転機は29歳のとき。伊勢丹との提携が持ち上がっていたバーニーズ・ニューヨークへの出向でした。
「トップバイヤーについて、フロアづくりやリサーチの重要性、広告宣伝などを学びながら、とにかくものの細部を見る。その重要性をたたき込まれました」。
おかげで今でもものに触ったり細部を見たりする癖がついた、と氏。「彼女たちの仕事は、コンセプトへのこだわりやヒューマニズムに溢れていて、まさに‘魂をもって’買い付けるというか…。最近もいろいろな人に出会うけれど、ファッションが好きでしょうがないという職人のような人が少ないのがすごく残念」。
■潜在ニーズと顕在ニーズ その後、伊勢丹へ戻るも、売れているものをただ置いている、という体質は「何も変わってなかった」。
この状況に変化をと、93年にA.P.C(アーペーセー)を入れたところ、新しいスタイルを持つ顧客が来店するようになったといいます。
「僕は顕在ニーズ・潜在ニーズということをよく考えるんですが、デザインの面白さ・威力が人の心を動かすと思うんです。で、若手のデザイナーたちと何か仕事しなきゃと思って生み出した」のが<解放区>や<リ・スタイル>でした。
「今思うと、やはりこれからはコラボレート・ビジネスが必要だと感じていたんだと思います。一人ではできない、いろんな人の力を集めなくてはいけない、と」。
「バーニーズ時代、一番在庫があったのは実は私で、でもそのブランドが10年たって買われ出したりする。『常に売れるから』という発想ではなく、『今こういうものが必要なんじゃないか』という観点でファッションを楽しむことをしていかないと、今は難しい時代なのでは」。
量を売るより本当に好きなものを、との思いから、2000年夏からはデザイナー・徳永俊一氏*1と新プロジェクトを立ち上げ、バイヤーへ提案する側にまわった藤巻氏。
「モノが溢れた今。当たり障りのないものよりも、まず自分がどういうスタイルで生き抜いていくのか、が大事。スタイルがないと、人に提案していくこととか、こういうものが良いと言い切ることができないと思う」。
質疑応答より
「こういうキャラクターの方なので何を聞いても大丈夫(笑)」。司会者にこう促され、まず「あれだけ顧客が多くて、百貨店のサービスはできているのか?」と質問があがります。
日本の百貨店に本当に良いサービスはない、ということは常々藤巻氏も感じていたところ。
「バーニーズにいるような、顧客のスタイルを啓蒙してくれる販売員は日本にはいない」。
「最近ではバイヤーにも、手法とかこだわりについて聞いてくる人が少ないらしい。このままでは百貨店も淘汰されてしまうのではと思います。過去を壊す、その壊し方にもエネルギーがいるわけで、伊勢丹でさえも一度は大きな爆発が必要なんじゃないかと思いますね。大型商業施設が動かないとやっぱりマーケットも動かないので、個人的には百貨店をすごく応援しているんです」。
マーケティングに関しては、徳永氏のデザインをプロデュースする立場にある今。「オリジナルのデザインができるデザイナーに、自分のような人間がマーケットを見て伝える、そのコラボレーションが大事」。
「マーケットに偏ると、どこにでもあるものになってしまうし、逆にデザイナーが突出しても今という時代に受け入れられるか、という問題がある。デザイン・ビジネスという以上は、作って売って、その利益でまた作り続けなければならないから、どこを狙うかは非常に難しいですよね」。
「<解放区>は若いデザイナーの登竜門であり、育つ場所であり、とてもおもしろかった」。
「あのようなプロジェクトをまたやりたいと思っています。たいがいの百貨店は良い立地にあるのに、1階に化粧品ばかり入れてもったいないですよね。業界も動かないといけないと思います」。
2001年7月7日、桑沢デザイン研究所にて
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 藤巻 幸夫氏
*1 徳永俊一 1962年生。文化服装学院在学中に第59回装苑賞受賞。92年エス・テ・ス設立。
2001年、バッグのブランド「ミュルミュール・デール(murmure d'air)」を立ち上げる。大半がキャンバス地のトートバッグ、ハンドル部分は色違いで取り換え可能、ユーザーに着こなしをゆだねた新しいコンセプトの商品。
01年7月からはバッグの「Kitamura」のデザイン・ディレクターとして服のラインをスタート。
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