プロダクトデザイナーの柴田文江さんとオフィス家具メーカー・イトーキのインハウスデザイナーたちとのコラボレーションによって生まれたワークチェア「vertebra03(バーテブラゼロサン)」は、長らくイトーキのロングセラーだったワークチェア「vertebra」のリデザインプロジェクトとして制作されました。コンセプトは、“「働く」と「暮らす」を越境するワークチェア“。従来のオフィス空間だけではなく、家やカフェのような空間にも馴染むデザインのあたらしいワークチェアとして提案されています。
1981年に発売された「vertebra」は「脊椎」を意味する名前の通り、人間工学的に優れたワークチェアとして、多くの時間オフィスで働くひとたちの「座ること」を支えてきました。時代の変化によってワークスタイルは多様化し、自宅でのテレワークやリモートワークなど、必ずしもオフィスで長時間座って働くことがスタンダードではなくなりつつある中、イトーキが「vertebra03」に込めた思いとは?プロジェクトにかかわるイトーキの5名のインハウスデザイナーと、外部デザイナーとして参加した柴田さんにお話をうかがいました。
「椅子としてのあり方」を引き継ぐリデザイン
――まずは「vertebra03(以下、「バーテブラ03」)」開発のきっかけについて教えてください。
田中啓介さん(以下、田中):弊社の社長が「Knoll(ノル)」や「Herman Miller(ハーマンミラー)」など、昔からロングライフなものとしての定番をつくり続ける企業の姿勢に感銘を受けていて、それなりに歴史のある会社としてイトーキでもそういう商品ができないかなと、2017年の夏頃に話を持ちかけられたんです。
弊社では、1981年に発売されてから、昨年の2018年まで売られていた「vertebra(以下、バーテブラ)」が最も販売期間の長い製品なのですが、商品としてのよさがありながら、現代の働きかたにいま一歩合っていないと多くの社員が感じていて。ただカラーリングを変えるだけといった変化では足りないですし、なかなか踏み出せずにいました。そんなときに、トップからの提案が出て「これはチャンスだ!」と追い風になったんですね。その後、開発本部長を交えてディスカッションを重ねながら、バーテブラを時代のニーズに合わせてリデザインする方向に話がまとまっていきました。
――柴田さんは外部デザイナーとして今回のプロジェクトに参加されていますが、今回のお話を受けてどう感じましたか?
柴田文江さん(以下、柴田):ゼロから何かを生み出すのはもちろんおもしろいけれど、企業文化に根ざしたロングセラー製品をもう一度見直して、今の時代に合わせてリデザインしようという考え方がとてもいいなと感じました。メーカーにとって商品である「もの」は、ブランド全体を体現するものだと思うので。ただ、今まで私は椅子をデザインしたことがなかったので、すごくやりたい気持ちがあっても、本当に依頼がくるのかな……?とは思ってましたね(笑)。
田中:今回柴田さんに依頼した経緯としては、まずバーテブラの方向性を変えたいという根本の思いがあり、オフィス家具のセオリーにとらわれていない、外部のデザイナーに頼みたいと思ったからです。オフィスチェアには、「機能満載で見た目もかっこいい」みたいな、男性が好む世界観が強いと感じる部分があって。あえて女性らしくする必要はありませんが、もう少しニュートラルに、リビングライクな空間に寄り添うデザインにしたいと考えました。そこで何人かのデザイナーの方とお会いした中で、柴田さんに依頼させていただきました。
柴田:正式に参加することになり、設計を担当されるメンバーのみなさんにお会いする前に工場へ見学に行ったんですが、そこですごく脅かされたんですよ(笑)。「みんなバーテブラへの愛がすごいから、うるさくて大変だよ」って。それで私も萎縮しちゃって、その後田中さんに恐る恐るデザインのスケッチを出したんですが、「もうちょっとダイナミックに変えてもらっていい」と言われて、「え? そうなの?」って拍子抜けしたんですよね。
田中:実は、我々もその加減の仕方を迷っていたんですよ。柴田さんからの最初のスケッチを拝見して、改めてもっと変えていいんじゃないかという確信にいたって、だんだんプロジェクトメンバーの目線が合ってきた感じですね。
柴田:そこの擦り合わせが結構むずかしかったですよね。探りながらいろいろなキーワードが出てきたりして、今回のリデザインを生み出すにはその過程がすごく重要だったと思います。
イトーキのみなさんとやりとしていく中で、バーテブラにはコアなファンが多いけど、支持されているのはかたちだけじゃなくて、「椅子としてのあり方」そのものなんだと捉え直したんです。正直、かたちありきだとデザインの自由がきかないし、少しやりづらいと感じていたのですが、そうではなくもっと本質的なところにバーテブラらしさがあるとわかったので、そこからは進めやすくなりました。
――“「働く」と「暮らす」を越境するワークチェア”というコンセプトはどのように生まれたのですか?
田中:開発当初は、いまのオフィスは昔と違ってカジュアルになってきているので、オフィスチェアも空間に馴染むおしゃれなものにデザインしたらいいんじゃないか、くらいのイメージでやりとりしていたのですが、柴田さんと毎回のディスカッションをしていく中で「生きるように働く」といったキーワードが出て、デザインと並行しながらコンセプトも整理していきました。柴田さんにはかなり初期の段階から入っていただいて、僕たちはオープンにアイデアを出し合って、それらに率直なご意見をいただきました。
難しいデザインに、すぐに「NO」と言わないこと
――バーテブラ03がバーテブラからアップデートしたのはどんなところでしょうか。
竹谷友希さん(以下、竹谷):機能的なところでいうと4つの姿勢です。従来の「前傾」「後傾」に加えて「直立」「ストレッチ姿勢」にも自在に対応できるようになっています。あとは、それぞれのワークスタイルや空間に合わせて自由にカスタマイズできるところが大きな特徴ですね。
高橋謙介さん(以下、高橋):初代の「バーテブラ」がもっている機能を改めて分解してみると、その4つの姿勢に対応したものができれば後継といえるかなと思ったので、人間工学的に優れたバーテブラのエッセンスはきちんと引き継ぐべきだと考えました。
柴田:おそらく皆さんがいちばん苦労されたのは背もたれのところだと思うんですね。最初は、背もたれに縦の支柱があるデザイン案を描いていたんですが、チャレンジしてくれるかなと思って、背もたれを浮かせたデザイン案を描きました。
当時のオフィスチェアは見た目の印象がヘビーなものがほとんどで、シートや背もたれ以外の部分の造形がトゥーマッチだと感じていた部分があったんです。初代バーテブラが生まれた頃からは時代背景や技術も変わり、今の時代に合わせたあたらしいバーテブラにしなくちゃと考えた時に、軽快なイメージは絶対に必要だと思いました。また、「リビングライク」なオフィスチェアを考えた時に、家庭用の家具はあまりエルゴノミックではない思うので、コンパクトでスッキリしたもの、それでいてあたらしいオフィスチェアをつくるには、見た目としてラインを感じるジオメトリックなものがいいかなと思ったんです。
竹谷:はじめに柴田さんからいただいたスケッチが相当細い線で描かれていたのがかなり衝撃的で、むしろやる気が出ましたね(笑)。最初は「これで背もたれが成り立つかな」ということが浮かびましたが、スケッチの線がとてもきれいだったので、椅子がきれいな空間に並ぶ様子が想像でき、なんとか実現できないかなと考えはじめました。
橋本実さん(以下、橋本):事務用品を何年もやってきた身からすると、頭をがつんと殴られたような衝撃というか、おどろいたところがいくつもありました(笑)。ただ、僕は難しそうだと思ってもすぐに「NO」と言わないことを信条にしています。できないと判断した方がスムーズにことが運ぶ場合もありますが、それでいいものができるとは限りません。今回のプロジェクトはあたらしい風を入れることが大前提にありますから、難しそうだと感じても「一度考えます」とお答えしていたんです。
竹谷:背もたれの部分は、横にU字のフレームが走っているんですけど、柴田さんのデザイン案では、そこを支点に背もたれが折れ曲がるという動きをさせる必要があって、うまく座り心地が出せるかなというのが第一の不安でした。その後、昔の「バーテブラ」の部品を使って「動き」だけのモデルをつくったりもしました。
橋本:モデルをつくることで、「動き」の部分とパイプの「細さ」が、椅子として成立するのかどうかを確かめたかったんです。結果的に成立することがわかりましたが、「あ、成り立つんだ」って自分たちでも驚いたんですよね(笑)。
高橋:シートポイントとバックポイント、もしくは座位基準点と背もたれ点と言いますが、それらが決まってくるといよいよ本格的にかたちを作りこめる段階になるので、こういったモデルをつくることで確信を得て、具体的な制作を進めていくことができるんです。
柴田:初代「バーテブラ」は、オフィスチェアが動くのがめずらしい時代だったので「動く」ことを前面に押し出して、いかにも動きそうなかたちをしているんですが、いまオフィスチェアはどれも機能性があるので、「動かなそうなのに動くのがいいよね」と田中さんに最初に言われたんですよね。実は自分で描きながら、「これできないんじゃないかな」と思ったんですけど(笑)。ギリギリできるかできないかのラインを皆さんの叡智を集結してくださいました。
どの仕事でもそうですが、デザインと技術の部分でどう折り合いをつけてかたちにしていくかというのはとても悩ましいことなんです。でも、今回はお世辞ではなくデザインを積極的に技術に反映していただけたなと思っています。
橋本:動かないように見えて動くこと、しかもナチュラルに動かしたいと思っていたので、かなり滑らかな動きにこだわっています。座っていて、「あれ? どこが動いているかわからないけど心地いいね」って言っていただけることを目指しました。背もたれの部分はチャレンジしようという思いがいちばん表れた部分ですし、柴田さんにはすごく新しいことを教えていただいたなと思っています。制作の段階では何度も柴田さんのオフィスに通い、一緒につくり上げていく体験させていただきました。
――肘掛を回すことで着座が昇降するのも特徴的ですね。
柴田:わりと早い段階で田中さんが「肘掛で昇降できたらいいよね」って言い出したんですよね。そりゃいいけどさぁ……それ大変じゃない? ってみんな思いましたよね(笑)。
田中:ここの筒を何かに使わないと、単なる肘掛じゃもったいないと思ったんですよね。
橋本:「おいおい、田中さん難題を……」と思いつつも、僕たちも「確かに」と思うところはありました。僕は事務用椅子を長年やってきてますが、設計者としてジレンマを感じているのは、我々がよかれと思って付けた機能の半分以上をユーザーは使っていないらしいということなんです。昇降でいうと大抵が座面の下にあるレバーで調節できるようになっているんですが、見たり触ったりしないとわからないからとりあえずそのまま使う。それを今回は田中さんのひらめきから、お二人にすごくきれいにまとめていただいたと思います。実際に展示会でいちばん驚いてもらえる部分もやっぱりそこですね。