2008年より開催され、2019年に12回目の開催を迎えた「TOKYO MIDTOWN AWARD(以下、TMA)」。東京ミッドタウン主催による同アワードは、39歳以下を応募対象に、毎年設定されたテーマをもとに作品を募るデザインコンペに対して、アートコンペは応募者である作家が自由に設定したテーマにもとづいた作品を募集し、第一線で活躍する審査員によって受賞作品が選定される。
一定期間限定でミッドタウン内のパブリックスペースに作品が展示されるのも、このアワードの大きな特徴だ。都市のまん中で、デザインとアートというクリエイションを生み出す若者に光をあてるアワードとして、TMAが果たしてきた役割とはなにか。審査員を務めるインターフェースデザイナーの中村勇吾さんと、アーティストの鈴木康広さんに、あらためてアワードの意義について語り合っていただいた。
ビジュアルとプレゼンテーション力が問われるデザインコンペ
――TMAは2019年で12回目の開催となりました。中村さんは2018年より審査員として参加されていますが、TMAについてどのような印象をお持ちですか?
中村勇吾さん(以下、中村):たとえばメーカーが自社製品カテゴリーに絞って作品を募集するアワードとくらべて、TMAはいろいろな方向性の作品が集まるのがおもしろいと思います。アートコンペのようにテーマが自由というよりも、ある程度制約があったほうがデザイナーは力を発揮すると思うので、今回の「THE NEXT STANDARD」というテーマはハードル高めのお題として、ちょうどよかったんじゃないかと。広がりのあるテーマだし、ジャンルや内容も決まっていないけれど、「いまを更新する」「未来の当たり前になるもの」という価値基準が補助線としてあるので、応募しやすかったんじゃないかな。次回もう一度同じテーマを掘り下げるのもいいのでは? と思ったぐらいです。
――鈴木さんは、今回のデザインコンペの受賞作についてどう思いましたか?
鈴木康広さん(以下、鈴木):僕はアートコンペの審査員ですが、デザインコンペにも興味があって毎回注目しています。「THE NEXT STANDARD」というテーマは、僕もおもしろいなと思いました。デザインはスタンダードをつくることを目指して進んできたところがありますが、その結果、すでに世の中にはスタンダードといわれるものが無数にふわふわと浮いていて、いまは個人の中にそれぞれのスタンダードが生まれつつあるのではないか。そういった問いがテーマや受賞者の作品を見ながら感じられました。
たとえば、ファイナリストの「継木鉛筆」という作品の場合、「たしかに短い鉛筆をこんなふうにつないでみたかった」というようなことを、写真を見て一瞬で思わせてしまう力があると思うんです。でも実際こんなふうにやって見せたひとはいない。未知のものではなく、すでに潜在的にあるものにかたちを与えることも「THE NEXT STANDARD」の本質とリンクしているように感じました。
一方でアートコンペは、テーマは作家に委ねられているため、前提自体がアーティストごとに異なることが重要です。それらを他人と共有するようなコミュニケーションはしない、もしくはルールを鵜呑みにできない、システマチックに生きていくのが大変なひとたちからも応募をいただきます(笑)。デザインコンペに応募するひとたちは、木陰に隠れていて「わっ!」と驚かすように、どうしたらひとを驚かせられるのかを知っているひとたちだなという気がします。TMAの授賞式ではそういったデザイナーの素養を持ったひとと、独自の視点を持ったアーティストの成果が同じ場で披露されるので、応募者にとっては互いに刺激になるのではないでしょうか。どちらがいいということではなく、ひとつのアワードの中で同居していることがおもしろい。
中村:デザインコンペの1次審査はA3サイズのプレゼンシートがダーッと机上に並んでいて、そのまわりを審査員が歩きながら見ていく方式なので、ひとつのエントリーに長い時間はかけられないから、おのずとパッと見て印象的なものが残っていくんです。
鈴木:SNSを中心に広告的な手法やビジュアルコミュニケーションが一般的なものとして定着しつつあるので、デザインコンペの応募者は、ワンビジュアルでひとの心を掴むということに慣れているんでしょうね。
中村:2018年からプレゼン審査が新設されて、審査員が1次審査で宿題的な意見を出して、クライアント目線で「たたずまいはいいけれど、このティッシュめっちゃ醤油が染みそう」とか、「絵はいいけど伝わらない」などネガティブなコメントもいろいろ伝えているんです。それを2次審査では応募者が改善してくるので、いかにリアルなものに落とし込んでくるか、その手腕や説得力も見ています。
鈴木:デザインコンペの受賞作は、商品になりそうでならなかったりする、際どいラインに惹かれます。商品になったら、それがひとつのあり方として安定してしまう感じもあるというか。「THE NEXT STANDARD」は、さまざまな物理的な制約や惰性でスタンダードになっているものに対して、意外とそうではないんじゃないか、という問いかけだと思うので。個として違和感に気づき、時にラディカルに現実を変容させるアーティストの作品のあり方と重なるかもしれません。
中村:僕自身は、商品化されてそれがどのくらい現実の社会に作用するか見てみたいなとは思います。今回の受賞作品は、実際に世の中に定着してほしいと素直に思えるものばかりで、そうなることを願っています。たとえば、グランプリの「すべてティッシュでできたティッシュペーパー」は、商品としてどのくらいそのままのデザインで維持されるのかとか、なんらかの事情でいつ模様が入ってしまったりと、そんなリアルな状況を見てみたい(笑)。
アーティストとしての「ひと」に審査を通して向き合うこと
――アートコンペは応募者が自由にテーマを設定していますが、今回の応募作にはどのようなものが多かったですか?
鈴木:1次審査で選出された作品には、都市における「自然」に着目した作品が多かったように感じます。また、審査員がそれぞれ選出した作品にテーマやキーワードを見出しながら、互いに共振していくようなプロセスが印象に残っています。審査員は応募者であるアーティストの背中を押していく役もあり、集まってきた作品から方向性を見出していきました。選出された作品の組み合わせからどんな共通項が見えてくるかという観点でも議論した気がします。
——中村さんは、アートの受賞作にどんな感想をお持ちですか?
中村:過去の開催時を含めて見てはいますが、なぜ選ばれたのかなどは考えず、ぼーっと見ているのが正直なところです(笑)。今回の準グランプリの宮内裕賀さんの「イカトカイ」なんかは、イカが好きな気持ちはすごく伝わってきますけど(笑)。
個人的な好みでいえば、グランプリの井原宏蕗さんの、ミミズの糞塚を釜で焼成し、陶にした「made in ground」、2018年のグランプリの青沼優介さんがたんぽぽの綿毛でつくりあげた「息を建てる/都市を植える」のような工芸的なものがよかったですね。
デザインコンペなら商品化など受賞したあとのルートが瞬間的にわかるけれども、アートコンペも同じ見方をしてしまうと、出口の見えなさにもやっとしてしまって、ああ自分はそういう脳になってしまったんだなと思ったり(笑)。アートコンペはどのように審査しているんですか?
鈴木:アートコンペはまず書類選考で、これまでの経歴や過去作をまとめたバイオグラフィーとともに、指定された空間の中で作品をどのように展開するか、完成に近いイメージを伝えないといけないんです。アーティストは往々にして、制作の真っ只中にいるため言語化することなく進めることも多く、コンセプト資料は半ば無理矢理言葉にせざるを得ない場合が多いと感じます。そういった、資料では伝えられないことを審査員は受け取るので、書類での審査はとても難しいんです。
デザインは、デザイナーが先回りして掴んだ感覚やビジョンを、瞬時に受け手に伝わるように、用意周到にプレゼンすることが求められますが、アートは言葉では語りにくく、伝えることも、伝わることも時間がかかることを扱うことが多い。プレゼンそのものが苦手なひともいるでしょうし。僕も活動を始めた当初は、人前で話すことはできなかったです。
だから、僕自身はこのコンペの公開プレゼンテーションでは、必ずしもうまく話せなくてもいいと思っています。言葉の精度よりも、その作品をどのようなひとがどのような姿勢で手掛けているのかを知りたいと思っています。むしろ飾ったようなうまいプレゼンは要らないのではないでしょうか。作者自身が言葉にできていないところをプレゼンテーション審査では見るべきだと思っています。こちらもそれを完全に解読できないので、不確かさの中でアーティストとしての「ひと」を見ています。これはあくまでも審査員の1人としての僕の考えですが。
中村:イカがテーマの宮内さんのプレゼンはどうでした?
鈴木:彼女は謎めいていて最後までどんなひとかはわからなかったんですが(笑)、しっかりと自分の判断基準を持っているアーティストでした。とても冷静に「イカと都市」という、一見つながりそうにないものの関係をつなげる考えを身につけていて、審査員の大巻伸嗣さんの着眼によって促されたのですが、不思議なことに話を聞いているうちに審査員たちが引きこまれていきました。
彼女はどちらかといえば「絵画」を描いている作家なのですが、壁のない場所に作品を配置することになっても、キャンバスの背面や周囲への反射などその場の特性をいかして、鑑賞者が作品を存分に体験できるよう緻密に展示しました。作品をコンペや公共空間に持ち込むのは、アトリエの中で生まれた本来の作品性が壊れてしまう危険性を孕んでいるので、彼女に限らずそこに挑戦するクリエイターたちの姿に、僕自身も刺激を受けます。
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