日常の情景を物語へと織りなすテキスタイル -氷室友里の韓国大型個展「JOY, TODAY」の舞台裏(1)

日常の情景を物語へと織りなすテキスタイル -氷室友里の韓国大型個展「JOY, TODAY」の舞台裏(1)

2025年秋、韓国・ソウルに開館した文化施設「グラウンドシーソー・ハンナム」。同施設のこけら落とし展となったのは、日本人のテキスタイルデザイナーである氷室友里さんによる展覧会「JOY, TODAY」です。2026年4月まで開催された同展では、訪れる人々の日常への眼差しを驚きや喜びをもって新たにし、7万人もの来場者を動員しました。

氷室友里さんによる展覧会「JOY, TODAY」

本記事では、作家の氷室さんと展覧会ディレクターのキム・ジャヒョンさんら制作チームによる対話的な展覧会づくりの舞台裏に迫ります。

韓国の若者に向けた新しい鑑賞体験へ

――まずは、グラウンドシーソーについて教えていただけますか?

キム・ジャヒョンさん(以下、キム):グラウンドシーソー(GROUNDSEESAW)は、展示企画や空間コンテンツを手がける株式会社メディアアンドアートが運営する複合文化施設ブランドです。20〜30代の韓国の若い層をターゲットに、友人や恋人と過ごす場となる美術鑑賞を文化として根付かせてきました。伝統的な美術館やホワイトキューブとの差別化を図る文化プラットフォームとして、2020年の立ち上げ以来、鑑賞者が楽しめる演出を大事にしています。

グラウンドシーソー

キム:ハンナムのほか、ソウル市内に複数の施設を展開しており、それぞれの地域文化に合わせた企画も行ってきました。「YOSIGO写真展」(2021)や「偶然のウェス・アンダーソン展」(2021-22)、ゴッホ作品をメディアアートに昇華した「ファン・ゴッホ・インサイド展」(2024)など話題を呼ぶ展覧会を多数展開し、累計観覧者数は580万人(2025年時点)を突破しました。「YOSIGO写真展」においては2024年に日本への巡回展も実現しました。

展覧会が6カ月ほどと長期にわたることも特徴です。先般、ソチョンとミョンドンの拠点は閉館しましたが、今後また新たな拠点が開館する予定です。

グラウンドシーソー・ハンナムはブティックやフードコートが入居する複合施設で、高級レジデンスが隣接するなど、文化への感度が高い層が集まる。

グラウンドシーソー・ハンナムは、ブティックやフードコートが入居する複合施設で、高級レジデンスが隣接するなど、文化への感度が高い層が集まる

――キムさんは学生時代に日本への留学経験があり、日本語が堪能でいらっしゃいますが、氷室さんを知ったきっかけは何だったのでしょうか?

キム:世界中のアーティストを常にリサーチしている中で、SNSのリール動画で氷室さんの作品を見つけたことがきっかけです。ロエベとのコラボレーションプロジェクトの動画で、総再生数が700万回を超えていました。グラウンドシーソー・ハンナムのこけら落としを担う作家を探していたところだったので、すぐに連絡を取りました。

氷室さんのインタラクティブテキスタイルという手法とポジティブな世界観が、私たちが目指す対話的な鑑賞体験とマッチすると直感し、また広大な会場を存分に活かしてもらえるという確信がありました。

氷室友里さん(以下、氷室):初めてコンタクトをいただいたのは展覧会の8カ月ほど前でした。ブランドの問い合わせフォームにご連絡いただき、そこから何度かオンラインミーティングを重ねて、開館半年前の時点で現地視察を実施しました。約900m2もある広大な会場は、まだスケルトンの状態でしたね(笑)。

氷室友里/テキスタイルデザイナー。株式会社HIMURO DESIGN STUDIO 代表取締役。日本とフィンランドでテキスタイルデザインを学び、2016年に自身のブランドYURI HIMUROを立ち上げる。日々の暮らしに驚きや楽しさ、豊かさをもたらすことをテーマに、オリジナル作品の開発や空間演出、企業へのデザイン提供などを行う。ミラノサローネをはじめ、パリ、台北、上海、エルサレムなど、国内外に活動の幅を広げる。

氷室友里 テキスタイルデザイナー・アーティスト/株式会社HIMURO DESIGN STUDIO 代表取締役。日本とフィンランドでテキスタイルデザインを学び、2016年に自身のブランドYURI HIMUROを立ち上げる。日々の暮らしに驚きや楽しさ、豊かさをもたらすことをテーマに、オリジナル作品の開発や空間演出、企業へのデザイン提供などを行う。ミラノ、パリ、台北、上海、コペンハーゲン、韓国など、国内外に活動の幅を広げる

――そこからどのように企画を立ち上げていったのでしょうか?

キム:まずは、氷室さんの幼少期の思い出や現在の興味、作家としての哲学、これまでの作品のコンセプトや制作プロセス、今後挑戦したいことなど、包括的なロングインタビューを会話と文面で行いました。その回答をもとに私が「今日の喜び(キョウノヨロコビ)」という展覧会コンセプトを掲げ、社内へ展開・説得するための企画書を一気に練り上げました。

足元にあるものや身近な風景が持つ美しさ、忙しい現代人が見過ごしがちな魅力に光を当てて、ポップでポジティブな驚きを与える氷室さんのクリエイションを韓国の若者たちに届けたいと思ったんです。

キム・ジャヒョン/展覧会ディレクター。株式会社メディアアンドアート コンテンツプロダクションチーム パートリーダー。大学でメディア学を専攻した後、幼い頃から好きだった絵画を本格的に学ぶためにイギリスでイラストレーションを学ぶ。現在は韓国を拠点にグラウンドシーソーでの展覧会の企画・制作に携わり、アーティストと作品に込められた物語を解釈し、多くの人々に伝える過程で大きなやりがいと喜びを感じている。

キム・ジャヒョン 展覧会ディレクター/株式会社メディアアンドアート コンテンツプロダクションチーム パートリーダー。大学でメディア学を専攻した後、幼い頃から好きだった絵画を本格的に学ぶためにイギリスでイラストレーションを学ぶ。現在は韓国を拠点にグラウンドシーソーでの展覧会の企画・制作に携わり、アーティストと作品に込められた物語を解釈し、多くの人々に伝える過程で大きなやりがいと喜びを感じている

氷室:キムさんからのロングインタビューを通じて、これまでの活動が言語化され、私自身も見過ごしがちであった思いや、ものごとの価値を見つめ直す機会となりました。アーティストとしてのバックグラウンドを持つキムさんと、作家同士として共鳴できたことが大きな支えになりました。

開催まで実質5カ月というタイトなスケジュールでしたが、この10年の集大成をかたちにしようという思いが湧き、過去最大規模となる170点の展示となりました。

キム:開館に間に合わせるために、氷室さんには展示する作品のスケールと量をあらかじめ決めて、布の発注数を早々に確保していただき、そのスケールをもとにした会場構成案を作品作りと同時進行させました。

これにより、施工前のイメージ材料として重要な3Dパースが早い段階ででき上がり、チーム全体に共有されました。企画書のコンセプトに沿って、会場デザインやグラフィックデザイン、マーケティングといった各部門が具体的な提案を持ち寄り、形にしていったんです。

氷室:代表作「SNIP SNAP」は、生地の表層を手作業でカットして表情を出していく作品なので、作品の大小に関わらず細部への手間がかかり、複数作品を一度に私1人で手がけることが難しいものです。そのため、スタッフはもちろん、時には家族も総出で制作に取りかかりました。膨大な展示品の準備に向けて体育館のような場所を借りて作業する日もありました。

氷室友里の代表作「SNIP SNAP」シリーズ。絵柄が織り込まれた下地の上に、表面の糸が浮いた二重構造の織物になっており、使い手がハサミで表面の糸をカットすると、内側に隠された別の色や模様が現れる仕組み。切る場所や切り方によって独自のストーリーが完成する参加型のテキスタイル © YURI HIMURO

氷室友里の代表作「SNIP SNAP」シリーズ。絵柄が織り込まれた下地の上に、表面の糸が浮いた二重構造の織物になっており、使い手がハサミで表面の糸をカットすると、内側に隠された別の色や模様が現れる仕組み。切る場所や切り方によって独自のストーリーが完成する参加型のテキスタイル © YURI HIMURO

8つの情景から立ち上がるそれぞれの物語

――会場は氷室さんの作品のモチーフにつながる8つの情景や視点を巡る構成で、キービジュアルも8点展開されていますね。

展覧会のキービジュアル

展覧会のキービジュアル

キム:身の回りに広がる豊かさや鮮やかさを表現するためにキービジュアルを複数展開しました。そうした世界観を実際の空間演出に落とし込むにあたっては、季節の移ろいを感じながら自然の中を歩くような鑑賞体験を提供したいと考え、視覚的な楽しさはもちろん、BGMやフレグランスの選定にもこだわりました。

会場に足を踏み入れた鑑賞者を、まず木々や花々が歓迎するという意図を込めたのが、Chapter 1「喜びが花ひらく庭」に広がる「BLOOM COLLECTION」です。

Chapter 1「喜びが花ひらく庭」の「BLOOM COLLECTION」。 ©︎ GROUNDSEESAW

Chapter 1「喜びが花ひらく庭」の「BLOOM COLLECTION」 ©︎ GROUNDSEESAW

Chapter 1「喜びが花ひらく庭」の「BLOOM COLLECTION」。 ©︎ GROUNDSEESAW

氷室:ロングインタビューの際に「作品を実際に動かす仕掛けをつくってみたい」「たくさんの花を見せたい」とリクエストを出していたのですが、それを見事に反映していただきました。

キム:絵柄の異なる表と裏が同時に見えるよう、物干し竿のような横向きのポールに作品を掛けています。それをモーターで動かすことで、表面の面積が広がると裏面が狭くなり、またその逆へと交互に見え方が変化する機構を開発しました。

鮮やかな花冠や葉が描かれた表面と、その茎や枝が描かれた裏面を通して、植物の生き生きとした姿を想起してもらうためのオリジナルの什器です。これを実装できるテクニカルディレクターの選任には奮闘しました。

氷室:Chapter 2「地中の秘密」では、「SHIBA」シリーズの新作「SHIBA Seoul」を展示しました。表面の緑色の糸を芝生に見立ててハサミで刈る(切る)と、中から動物や虫などが現れる仕掛けのシリーズです。

Chapter 2「地中の秘密」©︎ GROUNDSEESAW

Chapter 2「地中の秘密」 ©︎ GROUNDSEESAW

氷室:今回はそこに、アイスアメリカーノを片手に行き交う人々や、公園のトレーニング器具でエクササイズに勤しむ人々など、視察の際に印象に残ったソウルの日常風景を作品に取り入れました。芝刈りに勤しむキャラクターたちの物語が、韓国の文脈と交わるような構成になっています。私とキムさんで実際にトレーニング器具を試してみたりもして、そこでの思い出も作品に盛り込みました。

新作「SHIBA Seoul」シリーズの一場面。

新作「SHIBA Seoul」シリーズの一場面

恐竜の化石や土器の発掘現場をイメージした「HAKKUTSU」シリーズ

恐竜の化石や土器の発掘現場をイメージした「HAKKUTSU」シリーズ

――Chapter 3「空の劇場」とChaper 4「海のうた」にかけては、さまざまな場面転換がありますね。

キム:Chapter 3の冒頭では昼と夜の空が交差するような演出を施しました。

氷室:空間を横切る大規模な作品「SKY」は、白い糸で表現された雲をハサミでカットすると、中から青空や飛行機などが姿を現す作品です。作品と同寸の台紙をつくり、制作スタッフがそれに沿ってカッティングできるようにしました。大変な時にいつも制作をサポートしてくれる私の両親は、私よりもこのカッティング技術が上達してしまったほどです(笑)。

Chapter3「空の劇場」で天井部から滑らかな曲面を描いて空間を横断する「SKY」シリーズ ©︎ GROUNDSEESAW

Chapter 3「空の劇場」で天井部から滑らかな曲面を描いて空間を横断する「SKY」シリーズ ©︎ GROUNDSEESAW

氷室:そこから続く暗闇のゾーンには、業界向け見本市以外では初公開となる「Night Window」を展示しました。光ファイバーで織り上げたテキスタイルが、クッション内部の光源に当てられて模様が浮かび上がる仕組みの作品です。格子状の窓枠の中にさまざまな人々の暮らしのシーンが現れる演出になっています。

光ファイバーで織られたテキスタイルの上でアニメーションのごとく絵柄やキャラクターが変化する「Night Window」。発光ジャカード織物「Light Weave®」の開発は大喜株式会社、テクニカルサポートはnomenaによるもの ©︎ GROUNDSEESAW

光ファイバーで織られたテキスタイルの上でアニメーションのごとく絵柄やキャラクターが変化する「Night Window」。発光ジャカード織物「Light Weave®」の開発は大喜株式会社、テクニカルサポートはnomenaによるもの ©︎ GROUNDSEESAW

 

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キム:そのChapter 3とChapter 4の間に、「SNIP SNAP」の制作プロセスを紹介するコーナーを設けました。氷室さんのスタジオの様子やインタビューをまとめたドキュメンタリームービー、インスピレーションを受けた彫刻や書籍などの収集物、ラフ画から徐々に作品が形を帯びていくプロセスを紹介しています。

このコーナーを中盤にもってくることで、鑑賞者が冒頭で得た驚きを、後半でのさらなる楽しさと理解につなげることができると考えました。

©︎ GROUNDSEESAW

©︎ GROUNDSEESAW

氷室の制作プロセスやインスピレーション源を紹介するコーナー

氷室の制作プロセスやインスピレーション源を紹介するコーナー

展覧会に合わせて制作されたドキュメンタリームービー

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