非日常を踊る 第4回:福原ゆかり
2020年春、新型コロナウイルス感染症の影響で1回目の緊急事態宣言が発令され、文化芸術活動にかかわる人たちは大幅な自粛を余儀なくされた。フォトグラファーの南しずかさん、宮川舞子さん、葛西亜理沙さんの3名が、撮ることを止めないために何かできることはないか?と考えてはじまったのが、表現者18組のいまを切り撮るプロジェクト「非日常を踊る」だ。
コンセプトとして掲げられたのは「コロナ禍のいまを切り撮ること」と「アートとドキュメンタリーの融合写真」という2つ。プロジェクトは、タップダンサーやドラァグクイーン、社交ダンサー、日本舞踊家などさまざまなジャンルのダンサーがそれぞれの自宅や稽古場という「裏舞台で踊る姿」を撮影した、2020年を反映するパフォーマンスの記録となった。
本コラムでは、フォトグラファー3名が想いを込めてシャッターを切った写真と、南さんが各表現者にインタビューした内容を一緒に紹介していく。第4回目となる今回は、2020年11月に撮影を行った、阿波おどりの踊り手・福原ゆかりさんの写真とインタビューを紹介する。
福原ゆかり/阿波おどりの踊り手(撮影:南しずか)
徳島県出身で、高校1年生で阿波おどり振興協会所属「阿呆連」に入った福原ゆかりさん。大学進学による上京に伴い、現在は高円寺阿波おどり連協会所属「江戸っ子連」に移籍している。2021年からは新社会人となり、阿波おどりと仕事を両立しながら生活。福原さんの年間スケジュールは「阿波おどり」を中心に回っている。
福原ゆかりさん(以下、福原):夏にかける思いはハンパないですよ。例年8月の本番に向けて、「そろそろエンジンかけようかー!」っていう時期が3月なんです。7月と8月は週末もずっと練習です。本番が終わっても踊り手の出演者としていろいろなイベントに呼ばれるので、1年中練習しています。
「徳島市阿波おどり」は、日本三大盆踊りの一つである。開催日は、例年8月12日から15日の4日間。400年以上の歴史があり、現在阿波おどりは徳島県徳島市のみならず、全国各地で大会が催されている。2020年度は新型コロナウイルス感染症の拡大を懸念して、戦後初の中止となった。例年通りであれば真夏の徳島にいるはずの福原さんは、自宅で一人寂しさを噛み締めたという。
福原:最初に踊った記憶があるのは保育園の頃です。実家付近のお祭りで、櫓(やぐら)の一番上でお囃子を歌う人がいて、その櫓のまわりを踊りました。その後も小学校や中学校の運動会、地域の行事などで何かしら踊る機会はありました。
本格的に踊り始めたのは高校1年生の秋で、「ちゃんとした連(阿波おどりのグループ)で、女踊りをやりたい」と思っていたタイミングに、ちょうど学校の同級生から「“阿呆連”に一緒に入ろう!」と誘われたんです。
阿呆連は、1948年に創設し、連員100名以上の由緒正しい連。当時の福原さんは「友達と一緒に踊れるから良かったな」と思っていたくらいで各連の違いなどはわかっておらず、入連してから独特の躍動感としなやかさを兼ね備えた阿呆連の踊りにハマっていったという。
福原:練習着を持って高校に行き、放課後になるとその友達と一緒に練習場へ向かうのが当時のルーティーンでした。6月から夏の本番までは平日の夜7時から9時まで練習があったし、部活のような感覚でしたね。土日しか休みがなくても、練習をサボるっていう発想はなかったです。むしろ、踊れば踊るほど奥深さを感じて楽しかったというか。上手い下手はありますが、正解がないんですよね。練習が始まる1時間前から友達と自主練したり、学校の休み時間も廊下で練習してました。
もちろん高校卒業後も阿波おどりを続けることが大前提でした。その友達は「阿呆連に残りたいから」という理由で地元の大学に入学しましたが、私は都内の大学にしました。東京にちょっと憧れていたことと、東京でも踊れる場所があることは知っていたので。
東京は本場の徳島に次いで阿波おどりが盛んな場所である。杉並区の高円寺では徳島の阿波おどりに次ぐ大会規模で「高円寺阿波おどり」が催され、阿呆連の弟子となる「江戸っ子連」がある。そこで両方の連長同士が話をし、すんなりと福原さんの江戸っ子連への移籍が決まった。最初は学業やバイトとの両立に苦戦したものの、大学生活に慣れてくると、なるべく練習や演舞の出演に参加するようになった。夏が来ると帰省するが、帰省する際の夜行バスのチケット入手は参加者の多さもあって簡単ではないという。
福原:乗車する1カ月前の朝10時から予約が取れるんですけど、発売から5分もしないうちに売り切れるんですよ。ほんまに接戦です(苦笑)。
毎年、どうにかこうにかチケットを入手し、いざ阿波の国へ向かう。8月12日〜15日。国内外から100万人以上の観光客が訪れ、徳島市内が1年で一番熱くなる4日間。鳴り物(太鼓、笛、三味線の演奏者)の生演奏に乗せられて、10万人以上の踊り子たちが舞い続ける。あちらこちらからから威勢の良い掛け声も響き渡る。
アッヤットサー!アッヤット、ヤット!
ひょうたんばかりが浮きものか〜、私の心も浮いてきた!
浮いて踊るは、阿波おどり〜!
ヤッサ、ヤッサ!
「踊り手」「鳴り物」「観客」という3者が一体となる瞬間が大好きだと話す福原さん。お祭りは、みんなの笑顔ででき上がっていると感じているからだ。
福原:ほかのダンスって、カッコいいけど簡単に真似できないじゃないですか。でも阿波おどりって、手を上げて、足を運ぶだけで踊れるんです。お客さんも一緒になって、みんなで楽しく踊ってる時が、ほんまに楽しいです!
そんな愛してやまない阿波おどりは、いまだコロナに奪われたままだ。昨年は練習を再開できても、密にならないように「踊り手のみ最大10人まで」というルールを設けたり、鳴り物の代わりにCDをかけたそうだ。
福原:こればっかりは仕方がないですけど、寂しいです。やっぱり生音で、みんな一緒に練習するのが本当に楽しいので……。
コロナの収束の目処が立たないまま、時は進んでいく。大学生だった福原さんは2021年春から社会人となった。2020年11月下旬には、徳島市などによる阿波おどりの実行委員会が来夏の開催に向け、実施方法を検証するイベントを開催。コロナ禍の対策として、踊り手同士の間隔をあけ、観客も間隔をあけて見守った。主催者、踊り手、見物客……一人一人の熱意によって形成されている阿波おどり。福原さんもその一人である。
今年の夏、福原さんは座・高円寺を利用した阿波おどりに参加するつもりでいる。しかし、開催有無は感染状況に左右されるため、この原稿を書いている7月上旬時点では開催未定だ。
「また、みんなで踊れる夏が来るのが待ち遠しい」。福原さんの熱い思いは変わらない。
取材・執筆・写真1~2枚目:南しずか タイトルイラスト:小林一毅 編集:石田織座(JDN)