東京造形大学での学びが原点、サステナブルなデザインを追い求めるふたり-米津雄介×木村浩康(2)

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東京造形大学での学びが原点、サステナブルなデザインを追い求めるふたり-米津雄介×木村浩康(2)

卒業後のいまは、メーカー代表とアートディレクターに

―改めておふたりの現在のお仕事ついて教えてください

米津:僕は、good design companyの水野学さん、中川政七商店の中川淳さん、PRODUCT DESIGN CENTERの鈴木啓太さんと僕の4人が中心になって運営する、THE株式会社の代表取締役社長を務めています。例えば「THEジーンズといえばLevi’s501」と多くの人が思い浮かべるように、そのジャンルのど真ん中にある基準値になるような製品を国内外の様々な企業と共に研究開発して製造・販売をする会社です。自分たちで「THE」というブランドと「THE SHOP」という直営店を持ち、長く愛され長く売れ続ける未来の定番品を狙ってつくることにチャレンジしています。

僕はモノが大好きで、モノを選ぶ時間ほど楽しいものはないと思っているんです。でも、例えば量販店に行って家電を選ぶとき、毎年似たような製品がリニューアルされ、付加機能も多くて選ぶのにすごく困ってしまうんです。大好きなモノ選びが苦痛と言ってもいいほどに。メーカーで何年も働きながら、もっと本質的な価値基準で製品をつくれないかと考えていたときに、まさに同じようなことを考え、既に実践しようとしている人たちがいた。これが立ち上げ当初の「THE」に参画するきっかけでした。

「THE」の商品群。「過去を知り、現在を考え、未来を創る」をキーワードに未来の定番品をつくる

「THE」の商品群。「過去を知り、現在を考え、未来を創る」をキーワードに未来の定番品をつくる

「THE GLASS」。世界中の誰もが容量を頭に描きやすいグラス(ショート・トール・グランデ)

「THE GLASS」。世界中の誰もが容量を頭に描きやすいグラス(ショート・トール・グランデ)

米津:東京造形大学を卒業後、プラス株式会社というオフィス機器メーカーに入社し、はさみやホッチキス、カッターなどの文房具の開発とマーケティングに携わりました。入社当初は、「かっこいい商品をつくりたい」とか、「売れる・売れないは僕には関係ない。開発した商品を木村とかに自慢しよう」なんてことを考えていたんですが、ある商品が爆発的にヒットしたことをきっかけに、その考えが一転しました。お世辞にもかっこいいとは言えない商品が大ヒットしたのですが、世の中にプロダクトが出回って、それが社会に与えるインパクトの大きさにとても感銘を受けました。それからというもの、マーケティングや事業創造のおもしろさに魅了されていきました。

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木村:もともとパソコンとインターネットが大好きだった僕は、卒業後はWebデザインのプロダクションで働きはじめました。その会社はデザインもプログラムも一人で請け負うスタイルだったので、僕はデザインもできるようになったし、プログラムのコードも書けるようになりました。それにゲームが好きなので、インターフェイスを実装するのもゲームと同じ感覚でできて。どんどんWebデザインに没頭していきました。転職を考えていたころに、立ち上げて1年くらい経った株式会社ライゾマティクスと縁があって入社しました。当時は2LDKの狭いマンションに7人で机を並べてがんばっていたんですよ。

今年でライゾマティクスは10周年になります。メンバーも増えて、東京造形大学の卒業生もけっこう多いんですよ。でも、みんな専攻がバラバラで。デザインマネージャーはデザインマネジメント出身、プログラマーはメディアデザイン、僕はプロダクトデザインで、アシスタントはグラフィックデザイン。この4人で組んでプロジェクトを組むこともあって、造形大卒純度100%の作品をつくることもあるんです。お互いに職能が異なるので、一人でつくるモノよりも圧倒的にいいものができるんですよね。

「田中泯ダンス公演 俺ノカラダニ道ハイラナイ I don't need the path」ビジュアル制作も担当

「田中泯ダンス公演 俺ノカラダニ道ハイラナイ I don’t need the path」ビジュアル制作も担当

益田先生の教えが生きるふたりの仕事観

―おふたりの仕事観というか、どのような姿勢で仕事に取り組んでいるのか、少し詳しく教えてください

木村:ライゾマティクスに入社したとき、ほかのメンバーはプログラマーで、デザイナーは僕ひとりでした。「自分はプログラムもできる」と自負していたんですが、これまで当たり前にやってきたことが完全否定されるというか、あっという間に打ちのめされた瞬間があったんです。ほかのメンバーが、もう天才ばかりで。自分だと3日かかるプログラムを、みんな30分で仕上げてしまうんですよね。「あ、これはもう僕はコードを書いてはいけない」って思いました。ただ、プログラマーの言っていることだったり、本当の意図をくみ取ることはできる。打ちのめされたのと同時に、「プログラマーのことは誰よりもわかるデザイナーになる」ことが、僕のその後の目標になりました。

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米津:木村の話を聞いて、自分もちょっと似ているなって感じました。僕はモノづくりの会社の経営をやっているわけですが、美大卒で生産や流通を軸としたビジネスの世界に入っていく人は少ないと思うんです。僕が目指すのは「デザインとビジネスを両側から見れる経営者」。デザイナー、メーカー、流通をつなぐ翻訳者みたいな立場になれるといいなと常々思っています。

―立ち位置は違えど考え方はすごく近いんですね。今後、大切にしていきたいことや、目指していきたいことはありますか?

木村:僕が目指しているのは、持続可能なインターネット。アプリケーションなのか、Webサイトなのか、それがどういう形なのかはわかりませんが、実現できたら素晴らしいものになるんじゃないかなと思っています。この構想と少し似ているのが、最近携わらせていただいた経済産業省の「PHOTO METI」というWebサイトです。

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経済産業省「PHOTO METI Project 」Webサイトデザイン

経済産業省「PHOTO METI Project 」Webサイトデザイン
https://photo.kankouyohou.com/

木村:外国人観光客に向けて、日本の綺麗な風景を紹介して実際に訪れてもらうことを目的にしたWebサイトなんですが、撮影画像はすべて自治体の方が投稿していて、しかも誰でも二次利用ができるようになっているんです。いままで埋もれていた地方の美しい財産を発表できるというメリットもあって。コンテンツとしては、すごくサステナブルな仕組みになっていると思います。こういう仕事が僕のゴールなのかなと考えているんですが、益田先生の教えが強く影響していることを感じます。

米津:こうして思い返してみると益田先生の影響力ってすごいですね。僕も「THE」を始めたのは、先生に教わったサステナブルデザインによるところが大きいんです。僕の場合、サステナブルという言葉に固執しているわけではないんですが、モノをつくって、売って、買っていただくというサイクルを、できるだけ「あるべき姿」というか、いい事業サイクルでずっと回していきたいと考えています。売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」に、「未来よし」も加えてみて。次の20年、30年、100年先まで続くモノづくりを、「THE」を通してつないでいきたいですね。

刺激、影響、焦り…互いに高め合う仲間になった

―ここまでお話を聞いてきて、おふたりの仲の良さが十分すぎるくらい伝わってきました。ちなみに、いまでもよく会われているんですか?

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米津:卒業後も、20代のころは毎週末会ってましたね。僕らふたりだけでなく、造形大のメンバーや、その仲間がまた別の大学卒の友だちや、仕事の仲間を呼んだりして。輪がどんどん広がっていきました。みんな仕事が終わるのが遅いので平日に「0時にいつもの場所に集合ね」なんて無茶も当たり前でした。

木村:いまはちょっと減って、月1くらいかなぁ。

米津:今回のこの企画のお話をもらってから、ふたりで「どうする?何話す?」なんて話していて。先日も飲みながら「お前、メガネ好きだったよね」とか、「ゲームの話したら?」とか相談していました。今日はまじめな話をしましたが、ふだんはろくなこと話してないですね(笑)。

木村:学生時代のことなんて、思い出すと話せないことばっかだったよね。4年生のとき、ふたりとも単位がほとんど残っていて焦った話や、就職できないって益田先生に泣きついたら「就職なんてどうでもいいじゃん」って言われた話とか。夏にストックホルムに行ってる場合じゃなかったんだけどね(笑)。

―お互いの仕事ぶりから刺激を受けたりすることもけっこうありますか?

米津:正直、木村がライゾマティクスでどういう職能で、どんな責務を果たしているのか、詳細は理解していないんです。でもアウトプットを見るたびに、僕にはまったく想像もつかない面白いことをやっている。彼の仕事っぷりから直接影響を受けるというよりも、飲みながら話す雑談の中で、木村が考えていることや発言にハッとさせられることはよくあります。

木村:僕は、米津からはずっと刺激を受けていますね。米津がTHEに参画した5年間は特に。彼の仕事は、彼がデザインを実際にしているわけではないですが、デザインにかなり寄り添っている立場にあるわけですし、モノづくりの中心にいるじゃないですか。方や、僕はいちサラリーマンなわけで……いい意味で焦りを感じることがありますね。

米津:焦るといえば、僕の場合はIT関連。あまり得意ではないので……。会社でニュースリリースのメーリングリストをつくったり、Webの構成を大きく変えたりするときに、その仕組みがまったくわからなくて。木村に電話して助けてもらうこともよくあります。

―最後に、これからの東京造形大学に期待することなど、メッセージをお聞かせください

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米津:美大出身ではないデザイナーが今後もどんどん増えていくと思うんです。デザインの定義がそもそも昔とは違ってきていて、デザイナーの職能も多岐にわたってきている。美しいものをつくるという能力だけをアピールできる場があれば、昔と変わらず勝負できるかもしれないけれど、そんな場はもう少ない。旧態依然とした概念のデザインだけでは勝ち目がないと思うんです。例えばプロダクトデザインには工学的な機構設計が付いて回りますし、商業である以上、デザインや設計の背景には第三者の理解が必要になります。そしてその為には広い意味での教養が不可欠です。僕の会社の面接を受けに来る学生は美大出身者が多いんですが、ほかの大学で就職活動をしている人たちと比べると例えば時事問題一つとっても捉え方が大きく違うケースも少なくありません。

木村:だから、学生にとってのデザインの職能が広がるような仕組みがこれからの大学には必要だよね。そういう意味では、東京造形大学では、いろいろな業界に特化した、幅広い職能をもつ教授たちが教えているから理にかなっていると思うんです。それに、学科を短冊に分けるのではなくて、横のつながりを強化する体制があるから、学生には専攻領域に縛られない自由さがあります。メディアデザイン専攻領域とプロダクトデザイン専攻領域の学生が組んで、何かを表現することをよしとする風土がある。これが学生たちの多様性を育むと思うんです。

米津:“美術”ではなく“造形”という名称に大学のアイデンティティを感じます。難しいのは、その横断的な仕組みをつくることですね。単純に新しい学科にしようとすると、「総合ナントカ戦略ナントカ学科」みたいなことになってしまう。もっと別のアプローチが必要なんだと思います。複数学科で構成されたチーム制で挑む課題やコンペだったり、もっと簡単なことで言えば各学科合同でバーベキュー大会をするとか。はじめの一歩としては、こういうことからでもいいのかもしれないですね。

木村:卒業生が活躍している姿を雑誌などで見かけると、すっごいうれしくなるんですが、僕らって愛校心が異常に強い。そういう仲間意識が強いのもこの大学の特長のひとつだと思います。学科横断的なカリキュラム、おもしろい仲間との出会い……これからの社会で戦うための真の力を東京造形大学で培ってほしいですね。

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聞き手:瀬尾陽(JDN編集部) 構成・文:瀬戸川彩(Playce) 撮影:小川拓洋

THE
http://the-web.co.jp/
Rhizomatiks Design
https://design.rhizomatiks.com/

■東京造形大学 創立50周年記念事業

展覧会
「勝見勝 桑澤洋子 佐藤忠良―東京造形大学 教育の源流」
同時開催「東京造形大学 ドキュメント1966-2016」

展覧会
「ZOKEI NEXT 50」東京造形大学の教育成果展
東京造形大学卒業後、社会で斬新な活動を行っている若手の作家、デザイナー、クリエイターなどに焦点を当てた作品展示を8つの会場にて連続的に行い、東京造形大学の50年にわたる教育研究の歴史とその成果を展開し、これからの50年を展望。
【おもな出展者】
野老朝雄(アーティスト)、藤森泰司(家具デザイナー)、鈴木康広(アーティスト)、田子學(デザイナー)、神原秀夫(プロダクトデザイナー)、井上綾(テキスタイルデザイナー)、渡辺大知(俳優・歌手・映画監督)ほか計71名

関連展示/イベント
「在学生コンペティション:社会を創るアートとデザインの力」
「在学生コンペティション:社会を創るアートとデザインの力」最終審査・講評
「東京造形大学 × ウルトラマン 50」
「つながる、アートの力:球体キャンバスドローイングワークショップ」作品展示

シンポジウム
「美術/芸術/アートの形成 ― 美術大学の役割」
「教育がつなぐ ― 社会、創造、造形。― 」

東京造形大学 創立50周年記念サイト
http://www.zokei.ac.jp/50th_anniversary/index.html