世界最大の総合楽器・音響メーカーであるヤマハ株式会社(以下、ヤマハ)は、音楽を生業にする人から楽器に触れたことのない人まで、多様な人々に自社のブランド価値を伝えるための体験づくりに力を入れている。その一環として2024年6月に「ヤマハミュージック 横浜みなとみらい」、同年11月には「Yamaha Sound Crossing Shibuya」をオープンし、それぞれで異なるブランド体験を届けている。
なぜ、ヤマハは単なる「楽器店」に留まらない体験型ブランドショップにこだわるのか。そこには、今日まで音楽と向き合い、ミュージックシーンと共にあり続けた同社の新たな決意と覚悟があった。
本記事では、2つの施設づくりにおいて中核を担ったヤマハの佐藤大造さん、二村花央さんと、空間設計を担当した株式会社丹青社の町田怜子さん、矢加部美穂さん、宮本厚樹さんの5名に話をうかがった。
渋谷と横浜、それぞれのブランド体験づくり
――「ヤマハミュージック 横浜みなとみらい」「Yamaha Sound Crossing Shibuya」とは、それぞれどのような施設なのでしょうか?
二村花央さん(以下、二村):ヤマハは世界各国にタッチポイントを持っており、首都圏には銀座・横浜・渋谷の3カ所に直営店・ブランド発信拠点を構えています。距離としてはそう離れていない場所にあるので、それぞれのエリアに集うお客様の特色に合わせた音楽体験を届けていこうという考えのもとでスタートしたのが、横浜と渋谷、2つの施設です。

二村花央 ヤマハ株式会社 デザイン研究所 コミュニケーションデザイングループ リーダー。本プロジェクトにおいては、プランニング段階からデザイナーとして参加。空間からグラフィックまで、ヤマハのブランド価値を届けるための体験設計に挑む
佐藤大造さん(以下、佐藤):「Yamaha Sound Crossing Shibuya」は、もともと渋谷区桜丘町の、この場所にあった当社のレコーディングスタジオ「渋谷エピキュラス」などで、多くのアーティストと共に音楽を生み出してきた歴史を受け継いでいます。新たな時代に向けて最前線で活躍する音楽人たちと共に、音楽シーンをさらに盛り上げていこうと再スタートを切りました。

Yamaha Sound Crossing Shibuya 外観

Yamaha Sound Crossing Shibuya 内観
佐藤:ですので、音楽に精通したスタッフが常駐していたり、本格的なライブができたり、新たな技術をお披露目するなど渋谷のニーズに応えつつ、ひとの交流によって新たなクリエーションが生まれるような「場」を目指しています。

佐藤大造 ヤマハ株式会社 デザイン研究所 コミュニケーションデザイングループ 主幹。プロジェクトの中核を担い、ヤマハとして目指すビジョンからコンセプトを言語化し、具体的なかたちにするための舵を取る
二村:一方「ヤマハミュージック 横浜みなとみらい」は、これまで楽器に触れてこなかった方々や小さなお子さまにも、もっと身近に音楽を感じて楽しんでほしいという思いから計画した施設です。音楽を教わる場所ではなく、自発的に音楽の楽しさを発見できる場所を目指しました。

ヤマハミュージック 横浜みなとみらい
二村:いわゆる「楽器店」は、ふだん楽器に触れることのない人にとっては足を踏み入れるのハードルがすごく高いですよね。そのため、誰もがふらっと訪れることのできる公園のような場所を目指してオープンしました。渋谷と横浜、それぞれのエリアで異なるアプローチでありながら、ヤマハのブランド価値を届ける役割を担っています。
――ヤマハのブランド価値を伝えるために、どんなことを意識して空間を設計しましたか?
町田怜子さん(以下、町田):空間を設計する上で意識したことは大きく3つあります。まず、各施設を点で見るのではなく、それぞれの相乗効果を考えながら俯瞰的にプランニングすること。次に、つくって終わりではなく将来的な発展を見越してデザインすること。オープンが完成ではなく、その先にある進化の余白をデザインすることを心がけました。
そして最後に、とにかく対話すること。ヤマハさんが大事にしている理念や想いを一番理解しているのは社員の方々なので、密なコミュニケーションを重ねることに重きを置きました。

町田怜子 株式会社丹青社 デザインセンター 文化・交流空間デザイン局 ビジュアルデザインユニット 部長。本プロジェクトでは空間設計の統括およびチームのマネジメントを担当
佐藤:おかげさまで私たちの想いを余すことなく汲み取っていただき、向かうべき方向を共有できました。丹青社さんからすれば、クライアント側にもデザイナーがいるプロジェクトだったので、正直やりにくいところもあったと思います…(笑)。
町田:いえいえ!むしろ私たちにとってはすごく刺激的な経験で、クリエイター同士がコラボレーションすることで、社内だけでは生み出せない発想やアウトプットができたと思っています。
音楽の聖地・渋谷で、ヤマハの想いを体現する
――では「Yamaha Sound Crossing Shibuya」について、どのようなこだわりを詰め込んだのか教えてください。
宮本厚樹さん(以下、宮本):渋谷という街は、音楽をやっている人にとっては聖地のような場所だと思っています。加えて、もともと渋谷エピキュラスがあった場所に、再開発を経て再び戻ってくるということで、改めて渋谷にとってヤマハさんはどんな存在なのかというところから考えはじめました。

宮本厚樹 株式会社丹青社 デザインセンター 文化・交流空間デザイン局 チーフデザイナー。本プロジェクトでは、デザイナーとしてヤマハのブランド価値を伝える空間をつくるため、細部までこだわりを見せる
二村:立地的には大通りから少し奥まった区画にあるので、街ゆく人々にどうやって知ってもらうかという点はかなり意識しましたよね。何かシンボルマークのようなものが必要なのではと考えていた時に、丹青社さんからヤマハのロゴである「音叉マーク」を使うことをご提案いただいて。坂からちょうど上がってきたところで音叉マークが目に入るような設計にしていただけたのは、私たちとしてもすごく前向きな気持ちになりました。

音叉マークが天井面にある、印象的な空間
宮本:ありがとうございます。空間としては、ヤマハさんの「Make Waves」というブランドプロミスに立ち返り、大事にしている思想を散りばめるように設計していきました。ある種の未完成感やみんなでつくっていく姿勢を大事に、これまでのレガシーも踏まえつつ、新しい時代を切り拓いていくことを表現する──そんなテーマに取り組みました。
製品展示というと「しっかりつくり込んだもの」でないといけないイメージがありますが、たとえば箱型の什器はあえてシンプルなつくりにし、ラフに使い倒せるようにしています。実際、訪れるたびに什器のレイアウトが変わっていて、それが可能な設計にしてあるんです。「自由で使いやすい」を表現したいと考えました。
また、什器には一つひとつにコードが記載されています。これは昔、渋谷エピキュラスで録音された、中島みゆきさんの「時代」のコード進行になっており、歴史を感じさせるものとして表現しました。

「時代」のコード進行が記された、箱型什器
また、床にある墨出し(建設現場で設計図面の情報に基づき、柱や基準線などを床や壁に書き込む作業のこと)のグラフィックは、ヤマハ創業からの歴史や全国にあるヤマハの拠点名を記しています。墨出し工程の際は、ヤマハの方々にも立ち会ってもらったので職人さんがとても緊張していました(笑)。

ヤマハの拠点名などが描かれた、墨出しのグラフィック
そのほかにも、入口すぐの柱に描かれた「Make Waves」のグラフィックもすべて手描きで表現していたり、使用する木材を選ぶために材木店まで足を運び、何百枚の合板から風合いの良いものを選定したり……話し出したらキリがないくらい、随所に思い入れがあります。

手描きで表現された「Make Waves」の柱
こうした表現方法にした理由には、「人の痕跡」をテーマのひとつに据えたからです。たとえばアーティストが楽屋にサインを残していくように、人の手が加わった痕跡には独特の温度感があり、それこそがカルチャーをつくってきたと思うので。そのため「どんな手描きの雰囲気で表現するか」についても検討を重ねました。
佐藤:ヤマハとしても、ヤマハらしさを根幹に新たなブランディングの「型」を探求しており、宮本さんをはじめとする丹青社さんの提案のおかげでブレイクスルーできたように感じます。
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