自分の“しるし”や作品を残すこと―深澤直人×中村勇吾「シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティション」

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自分の“しるし”や作品を残すこと―深澤直人×中村勇吾「シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティション」

デザインコンペの代表格のひとつである「SHACHIHATA New Product Design Competition(シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティション)」の今年度の応募が、2023年4月1日からスタートしている。特別協賛にシヤチハタ株式会社を迎え、新しいプロダクトデザインを募る同コンペは今回で16回目。「思いもよらないしるし」をテーマに、しるしが持つ可能性を広げるプロダクトもしくは仕組みの提案を募集している。

第15回シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティションのグランプリ作品「黄鴨印(あひるいん)」

第15回シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティションのグランプリ作品「黄鴨印(あひるいん)」

今年度から新たにゲスト審査員としてエンジニアの武井祥平さんが加入。本記事では、以前から審査員を務める深澤直人さんと中村勇吾さんに、テーマの考え方や“しるし”を残すということ、アウトプットが大きく異なる2者の作品についての考え方などをうかがった。

“しるし”を残すことと、忘れられる権利

――今回、新たにゲスト審査員が入ることについてどのような印象を持たれていますか?

中村勇吾さん(以下、中村):僕は良いと思いました。審査員は固定されると慣れてしまうし、クリティカルな意識がなくなるので変わったほうがいい気がしています。同じ人とずっと話し続けているとフレッシュじゃなくなる感じにも似ているというか。

中村勇吾

中村勇吾 Webデザイナー/インターフェースデザイナー/映像ディレクター。1970年奈良県生まれ。東京大学大学院工学部卒業。多摩美術大学教授。1998年よりWebデザイン、インターフェースデザインの分野に携わる。2004年にデザインスタジオ「tha ltd.」を設立。以後、数多くのWebサイトや映像のアートディレクション/デザイン/プログラミングの分野で横断/縦断的に活動を続けている。

深澤直人さん(以下、深澤):うん、そうですね。新しい人が入ってまた違う視点を得られるのはとてもいいことじゃないかな。第5回からこのコンペティションに参加している印象でいうと、時代も変わっているしコンペ自体がかなり変化しています。最初はシヤチハタだから印鑑という部分がとても大きかったですが、いまはたぶん違う方向を目指しています。印鑑は「しるし」全体における一部分になっている。

変わっていないこととしては、コンペをはじめた当初から新しい何かをほしがっているというより、いろいろな人が「しるし」自体について真面目に考え、参加してほしいといった大らかさを感じています。

深澤直人

深澤直人 1956年山梨県生まれ。2003年NAOTO FUKASAWA DESIGNを設立。現在はイタリアやドイツ、アメリカ、スイス、スペイン、中国、韓国、タイ、台湾、シンガポール、フランス、ポルトガル、スウェーデン、フィンランドなど世界を代表するブランドのデザインや、日本国内の企業のデザインやコンサルティングを多数手がける。日本民藝館館長。多摩美術大学統合デザイン学科教授。21_21 Design Sightディレクター。

深澤:前回のコンペで三澤(遥)さんが新たに審査員に加わったときもちょっと変わった感じがありましたし、実際にコンペで選ばれたものもかなりウィットに富んだものだったし、社会を変える大きな力になるんじゃないかなと期待しています。

――今回のテーマ「思いもよらないしるし」についてはどう考えていますか?

中村:たとえば大喜利で「思いもよらない一言」ってなかなか思いつかないから、みんなレス(回答)に困るかもしれないなと感じました。コンペは1,000人くらいの規模でそのテーマについてウンウン考えてもらうわけなので、考えていて面白いお題の方がいいと思っています。たとえ入賞しなくても、その人にとって良い経験になる方が価値があるかなと。

今回のテーマの場合、「思いもよらない」とは誰が主語なのかちょっとわからなくて、シヤチハタの人なのかみんながしるしに対して持つイメージにおける「思いもよらない」なのか。多分後者かと思いますが、そういう意味で、一般の人がしるしに持つ共通イメージはわかりにくいかもと初見では感じました。

深澤:今回のテーマを聞いて考えたのは、積極的にしるしを残したいか否かという、人間としての態度です。昔は“記す”ということは、後世に残す強い意志のようなものがあったと思います。でもいまの時代は自分の存在を残したいと思う一方で、余計なものは地球上に残したくないという気持ちもある。自分の「しるし」を残すことは印鑑などからスタートしたけれど、いまはSNS上でのちょっとした言葉も残ってしまう。「思いもよらない」という言葉によってかなり広がりが出たテーマになったのではないかと、自分では解釈しています。

中村:よく言う「忘れられる権利」みたいな話題はありますよね。「記したい」ということと逆の欲望が生まれつつあって、それはわりと「思いもよらない」につながるのかもしれないですね。そもそもいまの時代に記したいのか、みたいな。そこを問う気持ちはアイデアにつながるかもしれません。

第15回シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティション 最終審査会の様子

第15回シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティション 最終審査会の様子

――人間の歴史のなかで記す対象となるメディアはどんどん変わっていますよね。近年は右クリックで簡単に消せるものになっていて、行為の重みも変化しています。

深澤:少し前に、ある故人の石碑のデザインをしてほしいという依頼を受けたことがありますが、すごく困ったんですね。偉大な方だったので残された人たちが記念に残したいと思っているのだけれど、デザインする身からすると「何をそこに記すべきか」ということ自体が、どういう石碑にするのかに関係してきます。その人の功績をどう残し、どうあらわすのか。引き受けると言ったものの、いつになくもがいています。

その人が存在していたということは、本人よりもまわりからの拍手のような感じがあるとは思っていて、たとえばイサムノグチは自分のつくった石の彫刻は自然の石に戻るべきだ、というようなことを言っていたそうです。アーティストでさえ、自分の作品が地球に戻ることを考えていた。人間が生きてきたしるしが多過ぎて、どうやってもともとの自然の一番いい状態に立ち返るかみたいな状況を考えると、テーマとしては面白いかなと思います。

中村:少し話がずれるかもしれませんが、たとえばミース・ファン・デル・ローエやル・コルビジェのような、デザイナーとして名を残してきた人っているじゃないですか。ああいう「名を残す」ということは現代や今後においてあるんでしょうかね。50年後くらいにいまを振り返ったときに、デザイン業界では誰の名前が残っているんだろう?とか。

昔はプレイヤー自体が少ないことや、書籍を残す人自体が圧倒的に少なかったですが、いまは多くの人が発信していて、昔に比べると全体としてのレベルもすごく高い。たくさん作品もつくられているから、何をもって名前が残るんだろう?と。同時代の人には絶対にわからないんですけれどね。

中村勇吾

第15回シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティション 最終審査会で審査中の中村さん。

両者が考える、作品の残し方

――深澤さんと中村さんは、デザイナーとしてのアウトプットに大きな対比がありますよね。深澤さんが質量あるものを多くつくっている一方で、中村さんはデータや形のないものが多い。その点でもしるしについて考えたときに意識が違うのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

深澤:自分のことを考えると、たとえば50年先にも残っていて恥ずかしくないかどうか、くらいの気持ちでいまはつくっています。「こんなダサいものをつくってたのか」とは言われたくないですよね。

深澤さんがデザインしたシャンデリア「Mokuren」。
スペインのラグジュアリーポーセリンアートブランド「Lladró」から2023年に発売。

中村:デジタルは基本的に残らないから、僕は残らない前提でつくっています。たとえば昔はCD-ROMにいろんなコンテンツを入れるというブームがありましたが、もうその時代につくられたものはフォーマットの関係でほぼ見られません。デジタルデータ自体は永久に残ったとしても、再生するフォーマットがどんどん変化していくから実質見られないものになっていく。短命なんですよね。でもそれはそれで醍醐味があって、数年で消えるから「いまできることをやろう」みたいな気持ちはあります。

昔、橋を設計する会社に勤めていたのですが、戦争などで壊されない限り橋はほぼ永久に残るんですよね。そのデザインを考えるときに、誰かの恣意的なデザインだと決まらなくて、設計の段階で形から個人性を消していくようなプロセスがあるんです。だから「自然にできたもの」という体にして永久に残るものを置く。その形の決められなさみたいなことに対してモヤモヤしていたとき、デジタルの世界に来て「なんて自由なんだ!」と感じたのが原体験としてあります。何してもいいじゃん、すぐ消せるじゃん、みたいな。

中村さんがディレクターを務めたたゲーム『HUMANITY』トレイラー(2023年5月発売)

――たしかにしるし方が全然違いますね。

中村:Twitterの発言もすぐ消せますからね。ツイ消しとか言われるけど、いや消せるものだから全然消すでしょ、みたいな。「すぐ消せる感じ」はこのメディアの良いところですね。逆にTwitterを消す行為をあげつらう人たちがいますが、あれはすごくデジタルの自然に逆らっている。深澤さんや原さんと話していると、何年もの時間の堆積に耐え忍ぶような倫理性、みたいなものは自分に圧倒的に欠けていると感じますが……。

深澤:でも勇吾さんの場合は、これだけあらゆる人が発信できるデジタルメディアのなかで、プロのデザイナーとしての存在を持っていて、なかなか誰も表現できなかったことを常に求めているような態度を感じます。メディアや表現の仕方が変わっても、こんな時代があったのだときっと思われるのでしょう。

第15回シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティション 最終審査会で審査中の深澤さん。

中村:瞬間瞬間のポイントで「こういうのも面白いんじゃない?」って反射神経的にやっているのが実際のところですね。たぶん浮世絵の絵師も、100年後とか200年後に評価されると思ってやっているわけではなかったはずなので、その人がいまつくっている価値が記されるよりは、そのあとで再発見する人が記すみたいなことなんですかね。

レスの気の利かせ方は、デザインにもあらわれる

深澤:自分は長い間、デザインのアイデアって絞り出して考え込んでからつくることかなとつい最近まで思っていたんですが、最近勇吾さんとよく一緒に仕事をしているからか、場面場面での対応力はデザインに関係しているなと感じます。

ちょっと悪い言い方ですが、「その場しのぎのうまい人」というか、レスポンスが完璧に合っているというような。言葉や態度、つくるものもアイデアも動いているなかでその流れにうまく対応する能力みたいな。その時々の反応がクリエイティブに繋がっているように感じます。メディアどうこうだけではなく、その人の人格や知識かもしれないし、その場であらゆる方法で「すごいレス」が返って来る感じに興味があります。

同じ言葉でも言い方が違うと全然別物じゃないですか。それはトレーニングしてもなかなかできるものでもなくて、返し方の妙もテニスのギリギリの線でリターンするみたいな、どんなに体幹を鍛えていてもできる人とできない人がいるような、そういう微妙さで世の中のクリエイションってドライブされているのかもしれない。

中村:レスの気が利いている人はデザインのレスも効いていると感じることはありますよね。コンペもお題に対するレスといった感覚はあります。

深澤:勇吾さんはすごくアイデアを溜めている感じがありますが、「ここで出そう!」ということではなく、本棚からつい手に取ってしまったみたいなところに面白みがあります。レスにせよ、しるしを受け取るのは大量の人ではなく、個人的な一人の相手という場合もあるのかなと思います。最初のハンコ的な概念だと、コピーされていろいろな人に回るような概念を持ちそうな気もするんだけど、相手によって記す方法は全然違うのでそのあたりをぜひコンペで考えてみてほしいですね。

■第16回シヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティション
https://sndc.design/

取材・文:角尾舞 編集:石田織座(JDN)