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第17回 (3)
都市計画進行中?



住宅以外にも、多くの企業がこの土地にやって来ています。このビルはSIEMENSです。建物は現在も一部は使用しているようですが、まだ工事も進行中のようです。




ドイツ銀行の中心部(イタリアでの中心部)も、このBicoccaに移ってくるそうです。この他にも大きなショッピングモールが出来たり、12会場も入る大きな映画館が出来るなど、様々な計画があります。
他の都市計画の例にもれず、ここでも道幅は広く取られており、植樹もされています。この樹木の足下には、自動で散水するようになっております。





開発が進んで行く中でも、以前からある建物も残っています。

何処の開発でも見受けられる状況かもしれませんが、私は上の写真の建物の対比が、今後のこの街の将来図のように思えます。つまり、数年後にはまた寂びれてしまうのでは?と。
それは、最初の印象に由来するのかもしれません。一番最初にここに来た時の印象が、とても殺風景で閑散としており、人工的なイメージを強く感じたのです。日本のニュータウンでも感じる、“おやっ?”という感じに近いように思えます(私もニュータウンに住んでいたので良く分かるのですが)。

その根拠を少し私なりに考えてみると、まず思いあたるのが、あの押し付けがましい“建築的言語”でしょう。別にこんなものはただの建築家の自己満足で、見る人や使う人にとってみれば、よほどそのコンセプトに共感しない限り、どうでもいいものだといえます。実際、紹介したArcinbordiのT字の庇についても、劇場が出来た時に色々な批判が上っていました。つまり、あの庇は見た目に美しくもなんともない、と。当然、その批判の声は建築の専門家ではなく、一般の使用者から出たものです。
そして次に思い付くのは、綺麗整然として何がなんでもきちっとした感じと、そこから感じる人工的な印象。それを人工的に感じるのは、自然がこういう風に成り立っていないことを、我々は無意識のうちに理解しているからです。それは、自動散水栓にもいえるでしょう。自然というものはそんなものに頼らなくても、きっと自然のバランスでどうにかなるようになっているのではないでしょうか。

さらに重要なこととして、街の持つ“鮮度”があげられます。これは、街が常に生き続ける為の鮮度であって、必ずしも新しけば良いと言うものではなく、ある種の使用感が必要です。
誰でも一度は経験があると思うのですが、真新しいモノを初めて使う時の気恥ずかしさと優越感、そして愛着と馴染みはその後に現れます。街や都市でも同じような感覚があるでしょう。廃棄されてしまうモノとは異なり、街や都市では、人がそこで生きていく中で鮮度を保ち続けることが重要になってきます。
そして、街が持つ鮮度は、建築家が設計して与えるものではありません。使用者がその場所で暮らして、始めて感じる“ああしたい、こうしたい、ここが嫌だ、ここが良い”という気持ちが作っていくことなのです。

ここでは建築や都市のことを例にとって話しましたが、逆に他のモノに対しても同じようなことが言えます。今までは消費を喚起するだけのものを作っていましたが、これからは、ひとつのモノを使い続けるような考え方、デザインが必要になってくるでしょう。このような考え方に名前をつけるならば、“Eternal Design”という言葉があてはまるかも知れません。このような考え方は、多くの建築家やデザイナーが試みていると思いますが、残念ながら、まだまだ根付いていないようです。

今回のレポートはミラノの都市計画の一部で、この場所以外にも多くのところで再開発や計画が進行しています。全くの偶然ですが、ちょうど先月号のdomusにもミラノの都市計画の特集がされていました。
多くの都市計画があるのは都市の新陳代謝であり、決して都市が死んでいないことの証明とも言えます。イタリア各地で1000年前や2000年前の都市が現在まで残っており、形や機能を変えながら進化しながら存在しているのは、ある種の“Eternal Design”なのかも知れません。




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