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女子美術大学


ならす

伊藤綾 / ファッション造形学科

私たちは、“いつも”いつもの通りの暮らしを繰り返す。 朝起きて衣服を着て仕事へ出て、夕方帰宅し、着替えをして寝る。それは、慣(な)れた行為として、日々繰り返されている。慣(な)れるとは、意識していた事が無くなったように思えた時に始まる。慣(な)れるとは、成(な)れることをいい、熟(な)れることであり、馴(な)れるとか狎(な)れることもあり、為(な)れたりし、そしてまた、新しく新しいことが生(な)れ、新しく生(な)るのである。 例えば、既に私たちは、毎朝行う「靴下」を履くような単純な行為にでも無意識になり慣(な)れている。 靴下は「くつした」なのか? もし呼び名がこの世の中にはない、「たしつく」や「くたつたした」と新しく呼び始めたら、私たちは慣れてゆき、人は毎朝「たしつく」を履き出勤してゆくのだろう。人は、衣服を着る行為に“なれ”日頃何気ない行為として繰り返す。しかし、衣服や靴下が本当に“衣服や靴下”なのか考え始めたときに、これまで見えていなかった何かが、私たちの中に「生(な)る」のかもしれない。

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