インタビュー 編集部が注目するデザイナー・クリエイターのアイデアと実践に迫る

自由な変化を許容する「舞鶴赤れんがパーク」の新ロゴマーク (2)

自由な変化を許容する
「舞鶴赤れんがパーク」の新ロゴマーク

北川一成のデザイン思考

2015/04/01

JDN編集部

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使うときの長さは自由。赤と青であれば色も自由──。一般的なロゴマークとはまったく異なる、前代未聞の規定で運用されることになった「舞鶴赤れんがパーク」のロゴマーク。そのデザインを手がけたのはアートディレクター、北川一成氏(GRAPH)。日本海に面した、豊かな自然と歴史を有する舞鶴市と、その中心的な観光スポット「舞鶴赤れんがパーク」を広くアピールし、地域を活性化するために北川氏が試みたことに迫る。

ビジネスの仕組みを考える。これもデザイナーの仕事のうち。

「僕らのような部外者が、外から見た舞鶴の魅力を掘り起こすことに意義がある」
「僕らのような部外者が、外から見た舞鶴の魅力を掘り起こすことに意義がある」
舞鶴市民も徐々に「舞鶴赤れんがパーク」の価値に気づきはじめている。2014年夏に行われたプロジェクションマッピング
舞鶴市民も徐々に「舞鶴赤れんがパーク」の価値に気づきはじめている。2014年夏に行われたプロジェクションマッピング

人は案外、地元の良さに気がつかないものです。僕も地元の兵庫県を離れ、国内外のいろんな街に足を運んだことで、故郷の良さが見えてきました。そもそも土地の魅力は長い時間を過ごしたからわかるものではありません。むしろ逆。だからこそ僕らのような部外者が、外から見た舞鶴の魅力を掘り起こすことに意義があります。すごく旨いトマト。新鮮なブリ。舞鶴の人は気づかないけれど、これらは売り出し方次第でブランド食材にもなりえます。きちんと認知させる仕組みを設けて、地元の人たちが潤うように仕向けていくことも、僕たちデザイナーの仕事です。

普通に考えると「それはビジネスだろう」と言われるかもしれませんが、新たな価値を創造していくことや、その過程でビジュアルコミュニケーションを誘発することは僕らデザイナーが得意とするところ。「マークは、この色、この形、この位置」と決めることは、デザインにおけるひとつの工程に過ぎません。そもそもロゴをひとつ作ったくらいで、ポーンと収益が上向くような簡単な話はないでしょう。経営が大変だからロゴを新調して起死回生をはかりたい。そんな相談いただくことがありますが、それはデザインを勘違いしていると思います。

「デザインは効率的かつ直感的に伝える手段だけど、人が変わらない限りはうまく機能しない」
「デザインは効率的かつ直感的に伝える手段だけど、人が変わらない限りはうまく機能しない」

デザインにも限界がある。

こういった話に関連して、最近は「デザインの限界」についても考えることがあります。たとえばお店のためにセンスのいいパッケージとロゴを作ったとしましょう。さらに以前は一個100円で売っていた添加物入りのスイーツを、無添加にすることで120円にします。美味しくなったし、これなら上手くいきそうでしょう? ところが店員が変わらなかったら流行らないのです。同じことが高級レストランでも言えます。せっかくいいお店に足を運んだのに、店員さんから適当に相手されたら二度と行きたくないと思いますよね。要するに携わる人自体が、商品の価値の多くを決めてしまうわけです。すると、どれだけデザインで外側の印象だけを磨いても、人が変わらない限りは機能しません。それが僕の考える「デザインの限界」です。もちろん逆も然りです。すごく活気があって気持ち良くもてなしてくれるお店なら、店構えはパッとしなくてもそれなりに流行る。やっぱり人が醸し出すブランドが一番で、デザインはそれを効率的かつ直感的に伝える手段。なんだかんだ言って、まずは人ありきなのです。

「今回のプロジェクトだと、やるべきことは市民に響かせること、そして参加を促すこと。ロゴマークありきではデザインの形骸化に陥りかねません」
「今回のプロジェクトだと、やるべきことは市民に響かせること、そして参加を促すこと。ロゴマークありきではデザインの形骸化に陥りかねません」

デザインの形骸化に陥ってはいけない。

多くの印刷所が「最新の印刷機器を導入して云々」と謳うなか、GRAPHはスローガンのひとつとして「人間力で差をつける」を掲げています。もちろん一定レベルの設備や資金力は欠かせませんが、動かす人のほうがよっぽど大事。実のところ道具のパフォーマンスは使う人によって様変わりします。舞鶴のプロジェクトでも同じ。デザインは有効な手段ではあるものの、何よりも大切なのはプロジェクトに携わる市民の意思です。

ロゴマークの使用実績を、どれだけ増やせるかは、これからが正念場です。もっと舞鶴の人たちに「デザインとは、どういうものなのか」を話せる場があるといいですね。まだまだデザインにはたくさんの決まりごとがあって、気やすく手を出せない領域だと思われています。やはり最初はグラフが監修しながら、いい方向に引っ張っていくことになるでしょう。何でもアリで、気がついたら全然記憶に残らないようではダメ。ロゴマークひとつひとつは独立独歩しているけれど、プロジェクト全体では有機的につながっているのが理想です。これはデザインありきの話ではありません。人々が参加して考えることが大切です。これまでのように単にロゴのレギュレーション(使用規定)を設けるだけの行為はデザインの形骸化で、本来やるべきは市民に響かせること、そして参加を促すこと。実のところこのプロジェクトの裏テーマは「みんなでもう一度、故郷を俯瞰しよう」だったのですよね。

インタビュー:立古和智(株式会社フリッジ)、撮影:後藤武浩