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日本のデザイン界に多大な影響を与えたシャルロット・ペリアン

日本のデザイン界に多大な影響を与えた
シャルロット・ペリアン

2011年「シャルロット・ペリアンと日本」展関連イベントを振り返る

2012/04/11

レポーター:浜野百合子

ル・コルビュジエとその従弟ピエール・ジャンヌレの共同制作者として、数々の建築やインテリア作品を残した女性デザイナー、シャルロット・ペリアン(1903-1999)。2011年はシャルロット・ペリアンが改めて注目を集めた年だった。
カッシーナ・イクスシーからの作品復刻や東京デザイナーズウィーク中のインスタレーション、鎌倉の神奈川県立近代美術館での大規模な展覧会、シンポジウムなどが開催された。2012年4月14日から始まる東京・目黒区美術館での巡回展を前に、ペリアンと日本の関わりについて振り返ってみたい。

日本を愛し、多くの日本人に愛された
シャルロット・ペリアン

鎌倉での展覧会「シャルロット・ペリアンと日本」に先駆けて開催されたシンポジウムには、来日したシャルロット・ペリアンの娘ベルネットやその夫であるペリアン研究家ジャック・バルサックが出席。常に明るく、どんなことも楽しむ姿勢や、気になったものは絵でも写真でもメモでもいいから記録しておくことの大切さを教えられたというエピソードが印象に残った。

カッシーナ・イクスシーでの復刻品展示では、インスピレーションを受けた自然物の写真と、生み出した作品を同時に見せる会場構成で、シャルロット・ペリアン自身がそのデザイン手法を実践していた様子が垣間見えるものだった。

最後に足を運んだ神奈川県立近代美術館で膨大な資料や作品に触れ、ペリアンがいかに日本を愛し、多くの日本人に愛されていたか、日本のデザインに与えた影響の大きさを総括的に感じることができた。
どこか遠い歴史上の人物のように思いがちだが、亡くなったのは1999年(享年96歳)。日本との親交は深く、日本建築のモジュールや生活様式などの考え方は、逆にペリアンの作品にも影響を与えていることがわかるだろう。

シャルロット・ぺリアン、銚子にて
シャルロット・ぺリアン、銚子にて
1954年 撮影:ジャック・マルタン
© Archives Charlotte Perriand ‒ ADAGP, Paris & SPDA, Tokyo, 2012

戦前、戦後へと続く日本との交流

1940年、ヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっており、まさにドイツ軍がパリを陥落した翌日、シャルロット・ペリアンは日本へ向けて出港した。汽船白山丸には、戦火を避けて帰国するフランス在住の岡本太郎や猪熊弦一郎らの姿もあったという。
シャルロット・ペリアンの来日は、ともにル・コルビュジエの事務所で働いた建築家、坂倉準三の推薦により「輸出工芸指導顧問」として日本の商工省の招聘をうけて実現したもの。渡航費2000円、月給850円(当時の大臣よりも高い月給だそう)で招かれたという資料が展示されており、日本の期待の高さが伺える。
しかしながら、戦争中の不安定な時期に女性が2カ月かけて未知の国日本へ渡る勇気には敬服する。昨年末亡くなった柳宗理(1915-2011)が若かりし頃、アシスタントとして通訳などのサポートをした話は有名だが、彼女自身の持ち前の明るさで、言葉の通じない日本の職人さんたちとも上手にコミュニケーションをとって任務を遂行していったようだ。

視察の合間には皆でスキーを楽しみ、スキーの新技術を紹介するフランス映画の上映に寄与するなど、アルペンスキーの導入にも貢献した。滞在期間わずか7カ月の間に各地を周り、1941年の高島屋での展覧会「選擇 傳統 創造展」にまとめあげ、その年の12月に日本を発った。

1952年、夫がエールフランスの日本支社長として東京に赴任することとなり、1953年、戦後になって初めて二度目の来日をしたペリアンは、東京で「芸術の綜合への提案─ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展」(1955年)を開催。戦前の日本体験をデザインに生かした数々の名作を生み出し高い評価を得た。

「選擇 傳統 創造展」高島屋会場
「選擇 傳統 創造展」高島屋会場、東京、1941年 撮影:フランシス・ハール
© Archives Charlotte Perriand ‒ ADAGP, Paris & SPDA, Tokyo, 2012

日本の伝統を基礎としたモダンデザイン手法の提示

今回開催された「シャルロット・ペリアンと日本」展は、ペリアンが考案した収納家具システム「カンカイユリー」のシリーズを体系的に見ることができる貴重な機会だ。「ビブリオテック・ニュアージュ(書架「雲」)」は、日本の違い棚から着想をえたもの。日本人の生活や日常の什器に対する研究心が強く、ヨーロッパとは違う日本のモジュールを細かく計っては記録し、膨大な資料を作成して持ち帰ったペリアンの研究成果が垣間みられる。

また日本式の風呂をこの上なく愛し、パリの自宅にも備え付けたほどというエピソードにも嬉しくなった。ヨーロッパにも湯船と洗い場のあるユニットバスを普及させようとパリのサロン・デ・ザール・メジェナで発表した資料が残っている。

丹下健三設計による旧東京都庁舎や草月会館のプロジェクトにも参加し、オリジナルの家具デザインを提供。
エールフランスの新しい営業所の設計では、飛行機の両翼をかたどった斬新なカウンターに、チャールズ&レイ・イームズの椅子を採用した空間の模型など見応えがあった。戦後の日本に影響を与えたモダンデザインの数々はほぼ現存していないのが残念でならない。

芸術の綜合への提案─ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展
「芸術の綜合への提案―ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展」 高島屋会場、東京、1955年
© Archives Charlotte Perriand ‒ ADAGP, Paris & SPDA, Tokyo, 2012
ユネスコ庭園内≪茶室≫入口
ユネスコ庭園内≪茶室≫入口、パリ、1993年 撮影:ペルネット・ペリアン=バルサック、ジャック・バルサック
© Archives Charlotte Perriand ‒ ADAGP, Paris & SPDA, Tokyo, 2012

2011 Exhibition Charlotte Perriand

カッシーナ・イクスシー青山本店では、2011年秋の新作発表会においてフラワーアーティスト東信氏による大胆な竹のインスタレーションとともに、シャルロット・ペリアンの家具を展示した。

1941年「選擇 傳統 創造展」のため、日本の伝統的竹細工の手法を用いてデザインされた「TOKYO(トウキョウ)」が復刻され話題に。スチールパイプを用いた「LC4」をベースにした竹製シェーズロングだ。

2011 Exhibision Charlotte Perriand
2011 Exhibision Charlotte Perriand[2011年10月28日~11月6日]
http://www.cassina-ixc.com/

「シャルロット・ペリアンと日本」巡回展

シャルロット・ペリアンともに活動した坂倉準三設計による神奈川県立近代美術館での展覧会は終了したが、広島市現代美術館を経て、2012年4月より目黒区美術館に巡回する。見逃した方ももう一度という方もぜひ足を運んでいただきたい。
展覧会の図録「シャルロット・ペリアンと日本」には、様々なプロジェクトの写真や図面、交友関係がわかる資料などが収録されており、非常に興味深い。ペリアンを理解し、もっと好きになる資料性の高い一冊だ。

・神奈川県立近代美術館[2011年10月22日~2012年1月9日]
・広島市現代美術館[2012年1月21日~3月11日]
・目黒区美術館[2012年4月14日~6月10日]

>> 「シャルロット・ペリアンと日本」巡回展 公式カタログ / 3,990円(税込)

「シャルロット・ペリアンと日本」巡回展