新旧桑沢デザイン研究所生鼎談 浅葉克己氏×高田唯氏×後藤圭介氏

新旧桑沢デザイン研究所生鼎談
浅葉克己氏×高田唯氏×後藤圭介氏

2015/03/25 UPDATE

1954年の設立以来、多くのデザイナーやクリエイター、アーティストを輩出している桑沢デザイン研究所。ドイツのデザイン学校「バウハウス」のカリキュラムを軸に、他とは一線を画すデザインの教育を行ってきた。今回はその研究所を率いるデザイナーの浅葉克己所長を中心に、学校案内書のデザインを手がけた、高田唯氏(株式会社 ALL RIGHT)と後藤圭介氏(Helvetica Design co.,ltd)との新旧桑沢生対談を行っていただいた。

Vol.1桑沢デザイン研究所での日々と「手」の力

桑沢デザイン研究所10代目所長 浅葉克己氏
桑沢デザイン研究所10代目所長 浅葉克己氏
高田唯氏(株式会社 ALL RIGHT / 東京造形大学 助教)
高田唯氏(株式会社 ALL RIGHT / 東京造形大学 助教)

― 皆さんが過ごした学生時代はどんな雰囲気だったのでしょうか?

浅葉 : 1959年に僕が入学した頃はデザインというとまだ一般的ではなくてね。60年に「世界デザイン会議」が開催されてデザインブームが起こり、桑沢にもヨゼフ・ミューラー・ブロックマンが教えに来てくれたんだよ。もう毎日が世界デザイン会議(笑)。数少ないデザイン系の学校を選ぶ学生だから好奇心の強い人が多くて、僕は神奈川工業高等学校を卒業後に入学したけど大学卒業後の人も結構いたね。遠藤享なんて24歳だったから、すごく大人に見えた。

高田 : 僕たちは2001年入学ですが、夜間部で、年代もさまざまでした。校内の雰囲気は浅葉先生のお話に近いです。佐藤可士和さんのSMAPや原研哉さんの無印良品など広告が華やかで、通学するだけで目が喜ぶ状況でした。とはいえ広告代理店に就職を希望している人は意外と少なくて、幅広い興味の中から何らかのきっかけを見つけたいと考える同級生が多かった気がします。

浅葉 : 今は教師として接しているけど、学生の本質は変わってないよね。僕は学生時代バイヤーが好きでアメリカ文化センターによく通ったんだよ。彼がデザインした地図が宝物だったけど、そういう目標は持っていた?

高田 : 一番は杉浦康平さんですね。プロの人をライバルかつ目標だと考えていたので。

浅葉 : ライバルは大事だよ、僕も桑沢時代は青葉益輝や遠藤享と競っていたな。

後藤圭介氏(Helvetica Design co.,ltd)
後藤圭介氏(Helvetica Design co.,ltd)
課題が多いから休日も必死だったと苦笑する浅葉氏
課題が多いから休日も必死だったと苦笑する浅葉氏

― 授業内容は今もあまり変わっていないですか。

浅葉 : そうですね。基礎造形、特にハンドスカルプチャーは60年以上続く課題で僕らもやりました。課題が多いから休日も必死だったなあ(苦笑)。皆デザインで競争してたけど、桑沢には成長に必要な競争心や良い学生が昔から揃っていたね。

後藤 : パソコンでのデザインがスタンダードとなった僕らの時代でも、木を削ったり絵の具で図案を描いたりする授業はやりましたね。こんな作業をすることができる機会は普段ないですし、今思えば忍耐力もつき、手を動かす間に発見したことも多かったと思います。

高田 : 写真を暗室で現像したり、シルクスクリーンで印刷の原理を学んだり、デザインを身体で徹底的に覚えさせられたよね。だからこそパソコンなどのデジタルツールも手の延長として考えて扱えるんでしょう。作品とじっくり向き合うことで、自分の癖や得手不得手にも気づける授業だった気がします。

浅葉 : カリキュラムの根底にあるのはバウハウスだけど、その良さは機械化の時代にも手仕事を残したこと。クレーの造形教育もそうだけど、大切なのは手なんだよね。

後藤 : 高田君が扱っている活版印刷のように、今はアナログな手法の見直しが起こっています。でも、基礎的な情報が自分の中にないと、回帰することできないですよね。そういう意味からも、貴重な授業を受けさせてもらったと実感しています。

浅葉 : 僕は毎朝の臨書を20年続けてるの。東アジアの文字を極めるには書は欠かせないからね。ずっと研究中のトンパ文字も唯一残っている資料は手描き。そう思うとやっぱり手はすごい。その手から生まれたのが造形であり、そこを目指すのが桑沢なんだろうね。

専門学校 桑沢デザイン研究所

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桑沢デザイン研究所での日々と「手」の力

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デザインの秘密と学校案内書に込めた想い

VOL.2

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デザイナーをめざす若い人たちへ

VOL.3

デザイナーをめざす若い人たちへ