デザインの

ライゾマティクス・齋藤精一 「メディアアートディレクターの役割」
テーマ

「アートプロジェクト」

  • ライゾマティクス 代表取締役社長/齋藤精一

新しい潮流を起しているプロジェクトから、「問題解決方法のヒント」や「社会との新しい関係づくり」を探る、「デザインの波」。 記念すべき第1回目のゲストはライゾマティクス代表取締役社長であり、2015年の六本木アートナイトからメディアアートディレクターに就任した齋藤精一氏。

構成/文:齋藤あきこ、撮影:後藤武浩

東京・恵比寿を拠点に活動する「ライゾマティクス」は、インタラクティブな広告プロジェクトや先鋭的なメディアアート作品で注目されるクリエイター集団。コマーシャルとアートを両立する稀有な存在だ。代表取締役社長の齋藤精一氏は、デザインやアートの力を使い、「六本木アートナイト」や「MEDIA AMBITION TOKYO」などのアートプロジェクトを推進役として知られる存在。市民が参加できる場所と仕組みを創りあげる手腕には学ぶところが多い。オリンピックイヤーの2020年に向けて彼の挑戦を聞いた。

「メディアアートディレクター」の役割

それから広告やアートのプロジェクトを経て、現在は、「六本木アートナイト」や「MEDIA AMBITION TOKYO」、仙台の地下鉄のプロジェクトや「石巻2.0」など、イベントの運営から関わらせて頂いています。

「六本木アートナイト(以下、アートナイト)」では「メディアアートディレクター」という肩書でした。具体的には作品選定やプランの提案、予算感と協賛企業の打診。あとは、こういう面白いチームが海外にいるから大使館と話してみようとか、何々省に友達がいるから、話してみてもうちょっとサポートしてもらおう、とか。業者さんから上がってきた見積もりを「こんなに高いはずはない」とジャッジしたり、安全面をケアしたり。安全面を重視しすぎるとつまらなくなってしまうので、どこまで攻められるか。あとは報道やSNSに向けて発信能力を高めることも。絵にならないものって発信能力が低いので、なるべく絵になる仕掛けを考えたり。また今回は制作サイドとしてメインコンテンツのデコトラ(アートトラックプロジェクト ハル号 アケボノ号)を作っていますので、最終的には現場に出て、設営の手伝いもするし、制作もしました。そこが僕の本職の部分だと思っています。

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ユーザー参加型コンテンツ「アートトラックプロジェクト ハル号 アケボノ号」の企画書より抜粋

「メディアアートディレクター」に僕が選ばれたのは、どちらかというと技術的な側面からメディアアートを見てきた人間として、表現サイドとファイナンシャルサイドの中間にいる、ちょうどいい存在だったんじゃないかと思うんです。都市イベント事体を成立させるために、どういう人を巻き込めばいいのか、どういうスポンサーを見つけてくるのか?それを事業計画として書けなければ形にならない。だから僕は特別協賛も連れてきたし、アートナイトと今まで繋がりがなかった東京メトロさんやGoogleさんもご紹介して、LEDメーカーの「カラーキネティクス・ジャパン」さんにも協賛して頂きました。

そうやってスポンサーの取得にだいぶ動いたんですが、参加したアーティストの方みんなに、潤沢なギャランティなりが支払えているかというと、全然そうじゃないんですね。いつも痛感するのは、アートはなにか大きなプロジェクトの踏み台にされるということ。日本ではアーティストが食べていけない構造になっているし、今回のアートナイトでもとあるサポートがなくなることが決定しました。でもアーティストにとって、お金って本当に大事なものなんです。僕もアーティスト時代に、「パルコアーバナイト」というアートアワードで協賛金を貰ったのにすごく救われた経験があります。

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お祭りに興味がある

そういったアートプロジェクトは、これまでにやってきた広告のお仕事とは全く違います。例えば広告の場合、上流のアイデアがそもそも良くない場合は、作る僕らがどれだけ頑張っても良いものにならないというジレンマがありました。でもアートナイトの発起人というもうひとつ上のレイヤーに行けば、コンテンツプロバイダーではなくコンテンツ事体をキュレーション、オーガナイズする方に回ることが出来る。実際に運営側になると、もっと幅広いジャンルの人に参加してもらいたいとか、メディアートをもっとわかりやすい形にしたいとか、年齢層を超えて楽しめるものにしたいとか、いろいろな希望が出てくるものですが。今回のアートナイトにおいては2020年のオリンピックを見据えて、もっといろんな人が参画できるプラットフォームみたいなものがつくれないかということをすごく考えました。

そもそも、アートナイトに関わるきっかけというか…行政のイベントはあまり興味がなかったんですが、「お祭り」はすごく興味があったんです。アートはお祭りに勝てるのか?という問いですね。お祭りって、道路を止めて、全員参加で、みんなが同じベクトルの方向を向くという楽しいものですよね。ライゾマティクスでも、これまでに青森のねぶた祭りにハイテクなねぶたで参加する「ハイパーねぶた」(インテル、2012年)や、400人のキャストがスタジアムで歌う「FULL CONTROL TOKYO」(au、2013年)という、たくさんの方に参加してもらうプロジェクトを行ってきました。そうやっていろんな人達が同じ方向を向いている情景を見ると、感動するんですよ。リゾーム的に言うとプラトーですよね。共通意識というか、潜在意識にそういうものがある。全員がハッピーになる状況をつくれたら、戦争がなくなるんじゃないか?みたいなことも考えてしまうわけですね。そうなると、そういうこともやってみたくなる。僕はアーティストとして作品をつくるよりも、まとめ役というか、言い出しっぺ、推進していく方が合っているんだと思います。

そもそも僕の考え方は、建築の出身という影響が大きいかもしれません。建築家というのは、ドミノが順番に倒れていく論法でものを考えます。逆にぶっ飛んだアーティストは、一個目のドミノが倒れたら次は88個目が倒れる、というような発想をする。それは僕には出来ないこと。論法的に正攻法で行くのが、建築出身の癖なのかもしれないですね。

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