ASIA AWARDS 若手クリエイターへ問う、「MY AVANT-GARDE」

ASIA AWARDS
若手クリエイターへ問う、「MY AVANT-GARDE」

2014/07/16 UPDATE

Vol.1自らの表現で新しいジャンルを開拓する

TOKYO DESIGNERS WEEK 2013 ASIA AWARDS 授賞式
TOKYO DESIGNERS WEEK 2013 ASIA AWARDS 授賞式

東京デザイナーズウィーク中にグランプリを決定する総合クリエイティブアワード「ASIA AWARDS」。初回だった昨年は、世界中の学校が各校代表のグループで挑む「学校展」と、30歳以下の若手クリエイターが個人で挑む「ヤング・クリエイター展」の二つの枠による審査が行われた。本年の募集はすでに開始していて、今月末の7月31日(木)と締切が迫っている。

今年もこの二枠に変わりはないが、「ヤング・クリエイター展」ではより専門的な審査をおこなうため、デザイン/アート/ミュージック/ファッションの4つの部門を設けている。
「MY AVANT-GARDE」という募集テーマのもと、各部門錚々たるメンバーによる審査が行われる予定だ。一次、二次の過程を経た最終審査は、各部門の最終候補による部門を越えた争い。栄えあるグランプリの称号は、公開プレゼンで審査員の心を射止めた一人に与えられる。

2回目の実施にあたり、主催のデザインアソシエーションNPO本部で、デザイン部門の審査委員による座談会が行われた。参加したのは、アートディレクターの佐藤可士和氏、デザイン・エンジニアの田川欣哉氏、ウェブデザイナーの中村勇吾氏、建築家の藤本壮介氏。審査時は、ここにデザイナーの森田恭通氏も加わる。募集対象となる「若手」にちなみ、異なる分野の最前線で活躍する4人それぞれの若き日を振り返ってみよう、というのが座談会の目的だ。

田川
田川:「デザインエンジニア」という方法しか、自分のやり方が分からなかった。それ以外では、少なくともトップレベルにはいかないと思ったんです

今では各界の第一線で仕事をする各氏も、易々と現在の状況に至ったのではない。それぞれ過ごした環境や状況は全く違うにせよ、地道な下積みをしながら大いに悩み、道に迷う自分に焦りを感じながら水面下でアイディアを蓄える時代があった。

田川氏は学生時代、機械情報工学を専攻。プログラムの制作工程で、デザインとエンジニアリングの仕事が分断されていることに違和感を感じていたという。それら両方の工程を一貫して行うことで、なにか新しい領域を確立できるのではないか、という期待をもって独自のスタイルを築くことを決意。現在の「デザインエンジニア」という領域を開拓していく。デザイナーでもなければエンジニアでもない。どっちつかずな立場でその道のプロに太刀打ちできるのか、という不安が絶えずつきまとったそうだが、それでも自分の表現でトップになる、という気持ちが原動力となったそうだ。

中村
中村:インタラクティブなインターフェイスをつくっている人は、当時すごく少なかったんです。インターネットは楽しいな、と思って制作していたら、それがブレイクしました

エッフェルがヒーローだったと語る中村氏は、建築学部を卒業後構造エンジニアとして就職。道路や橋を建設するためのデータを地道に採取する、本人曰く「砂を噛むような」毎日を30歳目前まで送っていた。
ウェブやインターフェイスを制作していたのは、仕事後の時間。夜な夜な作業に取りくんでいたという。長い歴史をもつ建築の世界で一番になるのは難しいが、創生期のインターネットの世界でなら、一番になることができるかもしれない、というのがきっかけだそうだ。ウェブの制作で注目を集め始めたその当時、本業は「ウェブデザイナー」でなく「構造エンジニア」だった。

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