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12カ月のパリ
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第7回
STARCK展
(フィリップ・スタルク回顧展)

 update 2003.04.09
レポート : 浦田 薫 / アート&デザインジャーナリスト 





Starck by Starck 筆者: Doze, Pierre   576 pages  出版社:TASCHEN


Beaux Arts(月刊誌) 2003年3月号表紙 ©URATA Kaoru


TELERAMA(週刊誌) 2003年3月1日号表紙 ©URATA Kaoru




Hotel Clift サンフランシスコ 2001年


LONDON WATERLOO駅のユーロスター プレミアムラウンジ 2002年


Yoo
ロンドン市内にデザインしたモデルルームの一室 2002年


待ちに待ったポンピドゥーセンターにおけるSTARCK展(2月26日〜5月12日迄)。

ここ数年、菜食主義に転身したせいだろうか。体のラインが以前よりも引き締まったように見受けられる。いきなり、冒頭から私的でかつ容姿についての発言で誠に申し訳ない。ただ、雑誌の誌面を飾るトップデザイナーにとっては、重要な要素であるのかもしれない。本来なら、デザイナーがどんな容姿をしていようと、問題になるのは商品であって、ハリウッドスターを目指す訳でもないのだが、"時の人"であるスタルクに注目をしたい。どんな状況でも、ポートレート写真と異なり、「私の顔も七変化する商品です。」と言わんばかりのユーモアに富んでいる。
「ペンを握ったら、4分間で椅子でも何でもお望みのものをデザインします。」とインタビューに答える。別名:"デザイン界の生き字引"と筆者は命名する。

スタルクの考えが世の中に認められたのは最近のことである。本人も、「ようやく、これだけの膨大な数のプロジェクトを成し遂げて、世間が理解してくれるようになりました。今回の展示会は、いい転機だと思います。」
そして、何よりも印象に残る発言がある。
「生前の回顧展は今までずっと拒否してきました。最近、やはり年齢を重ねたせいでしょうか。死んでから自分のことが語られるより、自らの目で見たいという欲望が湧いてきました。」

我々のスタルクに対するイメージは、様々な情報から構成されているが、その量は計り知れなく、理解しづらい面々も多い。しかし今回の展示会は、訪れた一人一人の考えを一層覆すと思われる。何せ、エントランスでは白い化粧をした男の顔が画面に浮き出しになり、「いらっしゃい。いらっしゃい。何も観るものはありません。全て受け取ってください。うぬぼれ者が、全て自分でやったと話すことに耳を貸してあげてください。」と繰り返している。
さて、うぬぼれ者とは当然スタルクであろうが、一体、どんなパフォーマンスが行われているのか、楕円形のアリーナのような暗い空間に誘導されていく。サーカス小屋を思わせる800平米ほどの室内は、周りをグレーの布で覆い、Laurie Anderson(ローリー・アンダーソン)の曲が流れている。観衆は、入場してまず周りを見渡す。プロダクトが無い。本当に1点も無い。作品を紹介する映像の横で、金色の顔像に投影されたスタルクが、演説をしている。各々の映像にあわせて、講義が行われているようである。我々は、素直に受講生になり、その周りに集まる。エントランスの男が、観るものは何もなく、うぬぼれ者が話すことに耳を貸してあげてほしいということが、なるほど納得できる。空間に置かれた唯一のオブジェは、「影」と題されたスケール感を失うブロンズカラーの曲線の物体。観衆に混じり、何気なく近づいてくる男性がいる。一瞬、びくりとすると、その男性は、コートを開き、おもむろに内ポケットのオブジェを一つずつ説明する露出者である。又、恋愛感情を分かち合うために話しかけてくるアクターもいる。なぜ、オブジェの無い展示会にだんだんと馴染んでしまうのだろうか。

通常の展示会構成とは180度異なる手法は、スタルクが意図的に選んでおり、結果に至るまでの構想を披露しているといえよう。デザイナーとして、プロダクトを見せずに展示会を行うということ自体、非常に稀であり、うぬぼれと自信がなければ成せる技ではない。デザインが造形で存在する必要がない領域に到達したスタルクの考えに、反発心を抱きながらも吸い込まれていく。それは、デザインの原点をあらゆる角度から吟味し尽した証であろう。マグマのように湧きでるアイディアは、単なる造形として消費者の手に渡るのではない。国籍別、種族別という意味での「文化」という枠組みに囚われない、人間に共通した喜怒哀楽で表現しているからである。

世界の大手メーカーと仕事をする以外に、思わぬ出会いからデザイン依頼も多いスタルク。ペンと紙があれば大抵の仕事を納めることのできるマジシャン。しかし、公準や常識をはるかに超えたスタルク流儀を消費者が認めるまでに、どれだけのペンと紙を費やしたのだろうか。クールにプロジェクトを語る輝かしい「光」の裏に潜む「影」。展示空間に置かれた唯一のオブジェである「影」は、スタルクが模索している未知の可能性を暗示しているようにも思われる。それは、不安という憶測ではなく、本展覧会を新たな出発地点として、自ら脱皮する機会と捉えているのではないだろうか。デザインを辞める時は、呼吸が止まる時——。きっと、この「影」に与えられる役割も近い将来であろう。





STARCK 一筆メモ

1949年 パリにて、飛行機デザイナーの父アンドレと母ジャクリーヌの間に生まれる。父親の仕事机の下で、オブジェを削ったり、切ったり、貼ったりした少年期。
1982年 初の公共プロジェクト依頼 故ミッテラン大統領私邸
1984年 事業家COSTES(コスト)氏の"Cafe Costes"(カフェ・コスト)がオープン。初のインテリアデザインは、常識を覆す。10年間の営業後、閉店。

その後、イタリア、アメリカ、日本。。。とプロジェクトを抱えて世界を駆け巡る、デザイン業界の大御所。DRIADE,KATELL,XO,ALESSI,CASSINA,VITRA,EMECO,FLOS,MIKLI, BALERI。。。とコラボレートした商品は、必ずヒットにつながり数知れない。
インテリアデザインでは、Ian SCHRAGER(イアン・シュレガー)氏と既に15年間のビジネスパートナーとして、ニューヨーク、マイアミ、ロンドンにホテル、バーをデザイン。Laurent TAIEB(ロラン・タイエブ)氏のレストラン BON, BON2やジャン・ポール・ゴルチエのショップを手掛ける。

フランスが誇るインターナショナルデザイナーの足跡は、今後も世界のあちこちに残される。


※注) ?URATA Kaoru以外の画像は、各社からの提供による





「いらっしゃい。いらっしゃい。何も観るものはありません。全て受け取ってください。うぬぼれ者が、全て自分でやったと話すことに耳を貸してあげてください。」ポンピドゥーセンター展示会場にて ©URATA Kaoru


映像が流れる横で、彫刻に投影されたスタルクが講義をする ポンピドゥーセンター展示会場にて ©URATA Kaoru


ポンピドゥーセンターのエントランスホールから見上げる様子 展示会場にて ©URATA Kaoru


"ombre"(影) 展示会場内の唯一のオブジェ。






Bonレストラン店内
新しいジェネレーションLaurent TAIEB 氏が手掛けるレストランBon パリ市16区 2000年
反響を呼んだ後、2号店 Bon2が パリ市2区にオープン。



Tooth XO社 2002年

Hudson EMECO社 1999年

Mikli 2003年

Cassina-Sony 2003年

Descamps 2003年

Driade miamiam 2003年

Juicy Salif Alessi社 1990年

la marie Kartell社 1998年



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