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12カ月のパリ
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第1回
Mr.HULOT(*ムッシュ ユロ)と過ごすバカンスと都市

 update 2002.10.09
レポート : 浦田 薫 / アート&デザインジャーナリスト 
* Mr.HULOT = ムッシュ ユロ : フランス語の読みでは、Hを発音しない



フランスでは9月が新学期。大人も有給休暇を楽しみ、「あ〜疲れた!」の連発も少しは減り(!?)、長いバカンスから気を引きしめて1年のスタートを切る季節。1カ月も経てば、すぐに仕事の疲れを訴える人もあちらこちらで見かける。しかし、食文化もさることながら、やはり文化イベントも一斉に秋の色に染まり、娯楽にも忙しくなるので、体力は十分に備えておかなければいけないだろう。
今回から、パリからの情報を連載させて頂くことになり、ぜひとも皆様に興味を持って頂くサイトづくりにご協力したい。
第1回目は、映画監督 TATI の2作品に焦点を当てて、主人公でもある Mr.HULOT と過ごすバカンスと都市散策の様子を、社会的背景を盛り込んでご紹介する。


Jacques TATI。監督であり、Mr.HULOTを演じる。

「Mr.HULOT のバカンス」
LES VACANCES DE Mr.HULOT (= Mr.HULOT のバカンス) は、「ぼくのおじさん」で知られるフランス人映画監督 Jacques TATI( =ジャック・タティ )の1953年の作品(白黒)。
ストーリーはタイトルの通りであるのだが、HULOT氏がパリからポンコツ車で避暑地に向かうところから始まる。ただ、乗車している人物は誰だか分からない。窓から飛び出た釣竿や坂道で自転車にまで追い抜かされていく様子からは、その他の描写は不用である。駅のプラットホーム、荷物を抱えて汽車を待つ乗客たち。アナウンスが聞き取りにくく、集団が何度もホームを移動する。移動したホームに汽車は停車せず、集団が後ろを振り向く。慌てて、登ってきた階段を駆け下りて停車したホームに向かう集団。こうした光景が重複しながら、我々は既にTATIのユーモアに操られ、笑いがはじけている。そして、バカンス気分に心がわくわくしてくる。
Mr.HULOT が宿泊する HOTEL LA PLAGE は、都会で仕事をする中流階級の人々が集う。英語やスペイン語も飛び交い、応接室では新聞を読む人、トランプゲームをする人、パイプをふかす紳士、という具合に、淡々と Mr.HULOT の周りの人物を紹介していく。特に、込み入ったストーリーが潜んでいる訳でもないのだが、人物描写から、当時のバカンスの様子が伺える。
定時になると、ホテルのボーイが正面玄関の鐘を鳴らす。すると、2階の海の見える食堂に宿泊客が集まり、一斉に食事をする。老夫婦は、鐘の鳴る前からお決まりの席に着いている。
Mr.HULOT は、バカンス中、スラックスにジャケットを着ており、ボートに乗る時も、テニスをする時も、至って紳士的な装いである。
ただ、無邪気で子供っぽいいたずらや行動に、ホテルのボーイもいけ好かない顔をしているのだが、密かな人気者であるのだ。確かに、一定期間ホテルに滞在していると、毎日同じ宿泊客と顔を合わせるのだから、あだ名をつけてみたり、癖に気付いてみたりもするものである。
夏休みも終盤を迎える。イギリス人マダムは、「グッドバイ!ミスター ヒューロ!」(Hを強調したアクセント)と大袈裟なジェスチャーで挨拶を交わして、帰路につく。子供たちも、砂遊びの道具を車に乗せて、大人たちは、社交辞令にも「又、来年お会いしましょう。」と言葉を交わす。
夏の一時だけの賑わいを迎え入れるためにオープンする HOTEL LA PLAGE も扉を閉めて、波が引いていった後のように、静けさだけが取り残される。

フランス人とバカンス
1950年代といえば、フランスを代表するリゾート運営&開発会社 CLUB MEDITERRANEE ( = 地中海クラブ。最近では、短縮して CLUB MED と呼ぶのが一般的)が設立され、休暇施設の発展が目まぐるしく成長した。“家族のバカンス村”の概念から、バカンスは太陽と海を求めて——。人々は、体をこんがりと焼き、ニューエージ族として余暇を求めていくのである。

今日のフランス人のバカンスといえば、皆が競ってコートダジュールやサントロぺに出かける訳ではない。週35時間労働の規制が定着したためか、最近ではロングバカンスばかりを夢みる習慣も薄らいできているようにも感じられる。当然、その社会的背景には、少子化の影響もあり、夏休みの決まった期間を家族で共に過ごす義務もなくなり、同じ場所(所有している別荘やお気に入りのホテル)に定着することもなくなってきているのだろう。


展示会 la ville en Tatirama より

LA VILLE EN TATIRAMA
TATI の作品にすっかりと魅了されていた矢先に、LA VILLE EN TATIRAMA という展示会が6月28日から9月29日まで、パリのフランス建築研究所で開催された。
TATI の視点から見た街並みと建築、映画監督としての栄光なる30年間(1945〜1975)を、フィルム・写真・スケッチ・模型で語っている。
2002年のカンヌ映画祭で、TATI の作品がリメークされてその人気が甦ってきたこともあるのだろうが、代表作でもある PLAYTIME(1967年)は、やはり何度見ても飽きることがない。
こちらの建築学校では、建築史の授業で TATI の都市計画に関する概念を参照するケースもある程である。確かに、その制作費用も並大抵のものではなかったそうだ。パリ近郊の近代都市、ラ・デファンスが建設される以前に、ロケのために同じ規模の街を造ってしまったのである。そのスケールを数字で表わすと、15,000平米の敷地に、施工材料としてコンクリート50,000立米、プラスチック4,000平米、ガラス1,200平米が用いられたほど。ドラッグストアにはエスカレーターや、2塔の電気発電機まで設けられ、その大きさは、凡そ15,000人が生活できるものに値したそうだ。映画監督である以上に、よきプロモーターであったであろうことも評価されている。

「PLAYTIME」
陸と空の交通手段の計画も国営化され、SNCF(フランス国有鉄道)の整備化、AF(フランス航空)もエギゾチスムをアピールした1960年代。ORLY 空港はそんな時代を象徴するフランスの建築でもある。当然、車のデザインにも力が入れられて、機能だけではない付加価値も重要なウェイトになる。
PLAYTIME は、ORLY 空港の待合所から始まり、当時の近代建築とともに生活、仕事をする人々を描いている。ガラスが建築にふんだんに使用されるようになり、それに伴い、人々も外に向けて「見せる」ということを意識してくるようになる。国民の生活水準レベルも上昇し、給料もアップし、購買力も増していくのである。
ここでも、TATI が演じる Mr.HULOT が主人公である。
仕事の面接に訪問した会社はガラス張りの建築で、待合室に通された室内は、まるで真空管の中の様。椅子に腰掛けると座面の皮張りに圧力がかかり、ビューという音を発する。長い通路を歩いてくる靴音が、側面のガラスと石材の床に反響する。外部は、車が流れ渋滞の風景もうかがえる。音の効果だけで、建築空間を把握することができる。始終、Mr.HULOT は、面接官と会えないまま、ガラス建築の中を走りまわるのだが、機械化されてくる時代をものの見事に観察している。ねじまき人形のように、商品説明をするブースの女性や、大きなマイクを手に電話を呼び出す秘書の姿。人々の生活が近代化に移行されるにつれて、大企業ではスタンダード化やマニュアル化が定着してくるのである。
仕事を終えてバスに揺られて帰宅する家も、ガラス張りのショーウィンドーのようであり、アペリティフ(=食前酒)を飲みながらテレビを見るのが習慣であり、断面式にどの家庭でも同じような光景が繰り広げられている。

なぜ、再びTATIの作品が注目されるのか。
滑稽な中にも鋭い観察力を持った Mr.HULOT と過ごした50年代のバカンスと60年代の都市見学は、何も不自由も迷いもなく生活している我々に、少しは毎日の当たり前のことに疑問を投げかけてみては? と、説いているようである。
確かに、意識をしなくても街角のあちらこちらで些細で様々なシーンが繰り広げられている。それに気付いてストーリーを見出せるか——。皆が映画監督の視点を持たなくても、小さな幸せはどこにでもあることを、Mr.HULOT は教えてくれる。


映画 les vacances de Mr.HULOTより


TATI の映画特集に作成されたパンフレット


展示会 la ville en Tatirama より


展示会 la ville en Tatirama より


映画 Mon oncle Arpel家族の家スケッチ


映画 Mon oncle Arpel家族の家模型


映画 Playtime 1シーン


映画 Playtime 1シーン


TATI 作品を上映する映画館のポスター


PONT ST.LOUISからセーヌを見る。雲の形に注目。



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