スーパーマーケットの売り場で、思わず目を奪われる一風変わった豆腐。男前豆腐店が製造する「男前豆腐」や「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」は、味や食感の新しさと豆腐らしからぬパッケージの斬新さ、そしてネーミングのインパクトで、発売直後からまたたく間に話題となった。
豆腐業界への注目度を一変させた商品企画開発力、デザイン力の源泉は、どこにあったのだろうか? 本社と生産工場のある京都・南丹市を訪ねた。
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新しい味とパッケージデザインとネーミングをぶつける、タイミング

「男前豆腐」や「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」は、男前豆腐店の代表取締役社長伊藤信吾氏が、当時、実父が経営していた三和豆友食品(現、三和豆水庵)に務めていたときに、手がけた商品。経営に先行き不透明感があった同社で、これまでにない豆腐を作ろうと孤軍奮闘しながら発売に至ったという。その両者がヒットした後、2005年に男前豆腐店として独立。本社と生産工場を、京都に構えた。市内から電車で40分ほどの、山と田畑が広がる豊かな自然に囲まれた南丹市で、新しい味が日々追求されている。


伊藤信吾氏
伊藤信吾氏

伊藤信吾氏(以下、伊藤) 「自分の本当に好きなことをするには、やっぱり独立するしかないな、と思っていました。とはいえ、大企業で大きな金を動かしたいとか、社長になりたいという欲望ではなくて、小さくても良いから自分のお店をもちたい、という感覚。選んだ道が、人があまりいかない豆腐業界という、あまり儲からないところだったんだということに、後で気付きましたけどね(笑)。

そもそもは、親の連帯保証人になって、その商売がうまくいってなかったっていうのがきっかけです。だから根こそぎやらないと勝てないと思ったのと、豆腐屋に入ったのに豆腐作らないで営業だけやっているという、わけわかんない状態に自分がいたこと。豆腐屋なのに豆腐が作れねぇ!(笑)っていうような、矛盾が自分の中にいっぱいありましたね。
でも今思ってみると、営業にいる間にマーケティングやってたんでしょうね。だから、どんなに名前が面白くても、味がたいしたことなければ振り返ってもらえないっていう、絶対的なことはわかっていました。
豆腐業界は、もともと職人が5人程度で作っていた世界だったのが、中途半端に中小企業になって、ここ15年くらいで更に大量生産に向かったんですよね。徒弟制度も分断したし、生産が機械化されたことで、技術の蓄積がないまま10年働いてきましたっていう人がたくさんいる。だから当時、僕が憧れていたのは、最初から最後まで全部自分で作って、仕舞いには自分で売るっていうところですね。逆に考えれば、僕が入っていけたのは、つっこみどころ満載だったから(笑)。というか、なんでこうやって作ってるのか? とか、どう考えてもこうやって作ったら味が落ちるよ、という部分がずいぶんあったんですよね。
このままではもう生き残れる自信ない、というところまで追い込まれまていました。親父の商売に連名でハンコも押してましたし、自分のやりたいことをやらないまま、連帯保証人でいる会社が倒産して自分も破産して、なんてとんでもないと思いましたし。それで、豆腐作りに首つっこんで、人間関係もぐちゃぐちゃになって……」


しかしその結果、2000年から「おたま豆腐」「トカタマ」「どんどこ豆腐」が世に出ると、予想外のヒットとなった。
2003年には「男前豆腐」が、翌04年には1年半かけて完成した「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」が登場。水切り機能のある二重底容器や、サーフボードのように薄くて細長い形が目を引き、また、新しい感覚の寄せ豆腐や、プリンのようにトロミのある食感に、ファンがつくほどにまでなった。


男前豆腐と風に吹かれて豆腐屋ジョニー

伊藤 「今では、毎朝必ず飲んでいたみそ汁が消え、湯豆腐だってそう毎日食べるわけじゃないから、豆腐全体の消費量は減っています。
大豆を漬けるのは10〜20時間くらい、すって豆腐にするまでが冷却を含めて3〜4時間くらい。それを毎日どのくらいの量を作るか、博打打ちをやっているのが日配食品業界です。

豆腐は作ってすぐ消費されるものですから、ピアノの発表会を毎日やってるようなものなんですよ。在庫したものを2年かけて売るっていう種類のものじゃないですからね。でもその分、勝負もかけやすいし、調整もしやすい。作って1週間で答えが出ますし、反応も見られるし、売り切れる速度やなにかで、それがどのくらい続くかもわかります。
このぐらいの作り方をすればスイーツとして、こういう食べ方もできるんじゃないか、とちょっとずつ、試してきました。同業者にはわざと、仕事のはじめからデザインを考えて進めているんだ、というようなことを言います。デザインなんだ、って。豆腐の味を濃い方向にもっていったらスイーツにもなるんだし、どう作るかをディレクションするのもデザインと同じじゃないですか」


男前豆腐店として独立した現在、京都をはじめ、茨城、青森、山梨の清里で工場を稼動、全国に商品を届けられるようになった。


伊藤 「土地によって水の違いで豆腐も違う、というのは言い訳だったのかもしれないと気が付きましてね、今はなんとかどの工場でも一定の味になってきています。頭の中で、こう作ったらこういう味になるんじゃないかと考えて、実験でぶつけてみて結果がでるという進め方です。
味を研究するのは自分を含めて3人。料理をしているような雰囲気に見えると思いますよ。材料は、大豆と水とにがりだけなので、繊細な料理を作るよりも、根こそぎ体当たりで実験している感じです。
新しい味がみつかったと同時に、それまでぼんやりと考えていたパッケージのデザインとネーミングをガツッとぶつけていく。味ができてから、外側ができるという感じなんですが、味ができて外側ができないときが苦しかったりしますね。そのバランスが合う時と合わない時があります。それでタイミングを逃してしまう場合もあるんですが、焦ってへんなものをだしたくないですからね。


マブ
オボロドーフ「マブ」

昨年が、何年に1度という、工場を取得するチャンスだったんです。そうじゃないと1年に3工場も成り立ちません。なぜそんなことをしたかというと、業界を牛耳るというより、薄利や類似の防止です。新商品の『マブ』が関西で売れています、と言っても、関東や北海道にまでは持っていけないんですよ、輸送費がかかりすぎちゃって。そうすると、近所に『マジ』とか微妙なネーミングの豆腐が並んだりするんですよ、本当に(笑)!
たとえば、茨城で新商品を作ったときに、関西へ売り込んだら言われたんです。『伊藤さんが来るまえに、関西の豆腐屋に似たようなものを作られちゃってる。値段も7割くらいだから、いまさら入れる余地がない』って。そんなこと思ってもいなかったのでびっくりしましたよ。今では入れてくれていますけど、それくらい、どこでもいいっていう感覚が強いんですよね。そういう事態を何とかしたかった。

今、自信をもって言えるのが、『マブ』を発売したっていうと、北海道まで並ぶことです。南から北まで届けられるので、そういう意味でも4工場をがんばって維持しているというところはあります。
何かおかしいと感じたらすぐに連絡も取るし、直接自分でも各工場を回って確かめながら作っています。お客さんの反応もチェックしています。正直な意見が聞けますから、ブログの存在は大きいですね」


参考:『風に吹かれて豆腐屋ジョニー 実録 男前豆腐店ストーリー』伊藤信吾著 講談社
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ジョニ本特設ページclear.gifhttp://www.oretsch.com/jonibon.html


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「interview 2 / デザイン企画室『オレッチ』、の存在」




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