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河北秀也 東京藝術大学退任記念「地下鉄10年を走りぬけて iichikoデザイン30年展」

河北秀也 東京藝術大学退任記念「地下鉄10年を走りぬけて iichikoデザイン30年展」

いちごみるく、地下鉄路線図、マナーポスター、そして、いいちこ

2014/12/24

JDN編集部

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以下、展覧会によせた河北氏本人のテキスト。


地下鉄10年を走りぬけて iichikoデザイン30年展 河北秀也

1984年4月から続けてきたB倍貼りいいちこポスターが2014年4月で30年目になった。そして、まだ続いている。毎月1枚と12月のクリスマス特別版を加えて年間13枚、よくも30年も続けてこれたものだ。この400枚近いポスター全部をひとつの会場に飾ることは難しい。

しかし、作らなかった月が3回ある。1984年の5月と7月、それに2011年の4月である。1984年当時は、予算が少なかった。とても毎月駅に貼り出すような予算はなかった。2ヵ月に一回、1週間、東京メトロ(当時、営団地下鉄)の銀座線と日比谷線だったら可能だろう、ということで細々とスタートを切ったのである。

いちごみるくといいちこ
いちごみるくといいちこ

それまで、B2程度のポスターは何枚か作っていた。駅などに貼る交通媒体ではなく、料理屋や居酒屋に貼る店頭用のポスターである。そして「いいちこ」の広告としてはスタート時B倍ポスターしかなかったので、ヘッドコピーとボディコピーまで入れた。1枚目のポスターのヘッドコピーは「広告の世の中だけど噂で飲まれる酒がある ミスマッチストーリィ」そしてボディコピーは20枚目のポスターまでとびとびに続く。ポスターに入っている長いボディコピーなどほとんどの人は読まないことは分かっていたが、ポスターには二つの意味があった。

一つは駅貼りの交通媒体として一般の人にメッセージを送る、いわゆる広告としての目的。そして二つ目は10人足らずの会社がどんどん大きくなって、新しい会社ができるのと同じ位の勢いだったから、インナーキャンペーンとして、たとえ大きくなっても初心を忘れないためのCI(ブランドの構築と継続)として社内に貼り出し、社員の意識改革を助ける必要があったからである。

網棚上のスペース 1
網棚上のスペース
網棚上のスペース 2

ポスターも20枚を越えるあたりから広告予算や販促予算が多少かけられるようになってきた。新聞広告や雑誌広告、それにTVCMも作れそうな状況になった。まあ、年1本のTVCMだったらなんとか作れそうだ。しかし、オンエア料が高額である。1986年、TVCMは完成したが30秒のTVCMを週2本ぐらいしかながせない。これではTVCMを作っていないのも同然である。TVCMはたくさんオンエアして大勢の人に見てもらってこそ広告効果が上がる。

じゃあそれが出来ない時、予算がない時どうすればよいか。同じイメージで続けていくしかない。イメージを変えずに、長い年月続ける。巨額の予算で短期間で行うところを、少ない予算で長期間続けるしか方法はなかった。30年、毎月貼ったポスターと、それにほぼ近い年月のTVCMもイメージは変わっていない。

30年といえば、バブルが起きて、そのバブルが崩壊し日本は不況になりデフレとなった。大震災も来たが、イメージを変えない。大震災の翌月、2011年4月、前月の「黄色い花」のポスターをこの月にも出した。イメージをずっと変えずに、変わってしまった時代に対応していくにはどうすれば良いか?
よくされる質問である。最初から考えていたのか?ブレーンを組んで定期的に考えるのか?誰かすごいアドバイザーがいるのではないか?とか、みんな同じイメージで続けられることを不思議がる。しかし、これらはどれも不正解である。

車窓にはマナーポスター 1
車窓にはマナーポスター
車窓にはマナーポスター 2

答えは、誰も特別何も考えていないのである。好きなようにやっているだけである。(この好きなようにというのが、じつは大問題なのだが)「嘘だろう」という声が聞こえてきたが。あえて言えば、会社のことも、商品の売り上げのことも、種類業界のことも、特別なことは何も考えていない。

ただ一つ考えているとすれば、今を生きる自分のことだけである。当然と言えば当然なのだが、自分は「いいちこ」という商品をリードしていくのにあたいるすのか、リードしていくのに何を知らなければならないのか。美術、音楽、科学、スポーツ、経済、家庭、企業、政治、行政、宗教、戦争…何か足りない知見はないだろうか、死角はないだろうか。もっと知らなければならないことはないだろうか、常に考えている。しかし、ビジネスマンはこれらのことを無視し、競合商品のことや売上げ目標などをもっとも大切なこととして企業に提示する。また限定された世界だけをピックアップした数値を眺めるだけのマーケティングというシステムに頼る。安易な専門教育では「社会を意識したモノヅクリを」とか「社会に受け入れられるようなデザインを」とか言って、社会や人々のためにデザインすることを簡単に要求する。そんなことよりも社会のもろもろの事を良く知るのが先ではないだろうか。

iichiko SUPER広告
iichiko SUPER広告
iichiko SUPER広告 2

アートは自由に自分が好きなように作れば良いが、デザインは自由に自分が好きなように作ってはいけないと言われる。そうだろうか。デザインは好きなように作ってはいけないのだろうか?何故そういわれるのかといえば、他人(クライアント=そのデザインを採用する人)が評価するから、その評価に堪えられるようなデザインを出さなければ意味がない。デザインは自分の意志ではなく他人の意志で作るものだからと。

それでは、アートディレクター(デザイナー)がクライアントだったら、すべて自分の意志になる。普通ではあり得ない事だが「いいちこ」に関してはこのやりかたを30年間やってきた。自分がデザインして自分が決める。しかし、それは逆に大変な決断であった。「それだったら、どんなデザイナーでもいい仕事ができるよ」と、ある九州の講演会でベテランのアートディレクターが誤解して言っていた。本当にこういう説明は誤解される恐れがあるなと、そのあと思った。とても、普通の人には理解されそうにない。

中吊り、河北氏の事務所 日本ベリエールアートセンターの年賀状
中吊り、河北氏の事務所 日本ベリエールアートセンターの年賀状
中吊り 雑誌表紙のデザイン
中吊り 雑誌表紙のデザイン

苦労したクライアントだったが「地下鉄の河北」と言われて10年、現在「いいちこの河北」と呼ばれるようになって30年、本当に行きたいところへ行き、写真を撮ったり、選んだりしている。特別なようであるが、これが当たり前の姿ではないだろうか。やりたいようにやるのは大変力のいることだし、責任のあることなのである。

アーティストであろうがデザイナーであろうが、作家は自分の意志に反するモノなど作れないと思う。そんな事を生業としているデザイナーがいるとすれば、なんと悲しいことだろう。活躍しているアーティストもデザイナーも、クライアントや他人が何を言おうが、気にもせずに自分の作りたいものを作っているはずである。


河北秀也 東京藝術大学退任記念 地下鉄10年を走りぬけて iichikoデザイン30年展
http://design.geidai.ac.jp

Japan Belier Art Center Inc,
http://www.belier.co.jp