クリエイションの発火点

千原徹也 / れもんらいふ

夢中で吸収してきたカルチャーが、いまの千原徹也をカタチづくる-千原徹也インタビュー(1)

子供の頃のノスタルジックな感情や感動を引き出してデザインしたい

取材・文:瀬尾陽(JDN編集部) 撮影:寺島由里佳

広告・装丁・ファッション・Web……ジャンルはさまざまなれど、共通するイメージは「かわいくて、そして少し変」。設立5周年を迎えた「れもんらいふ」を率いる、アートディレクター・千原徹也さんがデザインしたものが私たちに与える印象だ。「つくってる時のめっちゃ楽しい感じを100%伝えたい」と笑顔で話す千原さんは、自身のつくってきたもの同様にチャーミングな人懐っこさにあふれている。音楽、映画、ファッション、カルチャーへの偏愛がにじみ出る表現の芯に迫っていきたい。

映画に夢中だった少年時代

小さい頃はマンガ家になりたいなーと思っていたんですけど、中学生ぐらいから映画にすごく興味を持つようになりました。特に映画を観るのに恵まれた環境というわけではなく、同時代の中学生とそう変わらないと思います。本当にただただ映画が好きだっただけというか。近所のお金持ちの同級生がWOWOWに入っていたので、そいつにビデオテープを渡して、「あの映画を録画しておいて」とかお願いしていました。今でこそWOWOWに入っている人は多いと思いますが、当時は「WOWOWに入ってるヤツ=ヤバい!」みたいな感じでしたね(笑)。

千原徹也(ちはらてつや) アートディレクター/グラフィックデザイナー/株式会社れもんらいふ代表  1975年京都府生まれ。京都でデザインをはじめたあと、2004年に上京。大手広告会社やファッション関係のデザイン事務所を経て、11年にデザインオフィス「株式会社れもんらいふ」を設立。広告、装丁、ファッションブランディング、WEBなど、デザインのジャンルは多岐にわたる。

千原徹也(ちはらてつや) アートディレクター/グラフィックデザイナー/株式会社れもんらいふ代表 1975年京都府生まれ。京都でデザインをはじめたあと、2004年に上京。大手広告会社やファッション関係のデザイン事務所を経て、11年にデザインオフィス「株式会社れもんらいふ」を設立。広告、装丁、ファッションブランディング、WEBなど、デザインのジャンルは多岐にわたる。

映画のなかでのデザインって色々なことができるんですけど、特にタイトルのデザインは重要で、それがかっこよく決まっているとそこから2時間没入できる。ベタなところでいうと「スターウォーズ」のオープニングの高揚感はすごいですよね?

photo_32

そういう意味で言うと、中学生の時に影響を受けたデザイナーはソール・バスです。マーティン・スコセッシ監督の「ケープ・フィアー」のクレジットで彼の名前を知りました。マーティン・スコセッシ監督と、ソール・バスが組んでいる作品はどれも好きですね。「グッドフェロウズ」とか「カジノ」とか。日本だと市川崑監督の作品もかっこいいですよね。構図がグラフィックデザイン的というか。画面構成や文字へのこだわりを感じます。

僕はもともと映画の中の一員になりたいっていうのがありました。ソール・バスは映画のポスターもたくさんつくっていますけど、ポスターとかチラシとかは脇役という勝手なイメージがあり、タイトルのデザインだと監督と話し合ってつくれるようなイメージがあったので、タイトルデザインをしてみたいなと思ったのが最初ですね。

28歳で上京、カルチャーの舞台に入りたかった

大学は経済学部だったので、クリエイティブなことはまったくしていませんでした。でも、大学生活ってけっこう暇なものなので、ものすごく映画を観ていましたね。僕らの大学時代は単館映画がすごく充実していて、60年代のゴダールとかがどんどんリバイバル上映されていました。そのパンフレットを有名なアートディレクターが手がけるみたいな時代だったから、映画とデザインの関係性が深かったと思います。特殊な判型のものとかもたくさんありました。

CDジャケットのアートワークも一気におもしろくなってきた時期で、信藤三雄さんがデザインしたピチカートファイブとかが代表的で。明らかにCDケースの形を無視した、縦長の紙ジャケとかをつくったりしていましたよね。デザインができる場所が多かったのかもしれないなあ。

photo_35

そういったものに影響を受けて育ったので、やっぱりカルチャーの舞台に入りたかったんですよね。最初に入ることができたデザイン会社は、マクドナルドのクーポンをつくっていた会社でした。別にそれがやりたいという訳ではなく、デザインの技術も勉強できるし、憧れのソール・バスと肩書きも一緒だし(笑)。ぜんぜん関係無い仕事をするよりも、そちらのほうの方が身になるかなと思って入りました。

実際に入ってみたら、本当にマクドナルドのクーポンしか仕事がありませんでしたね(笑)。字詰めとか細かい作業をひたすらやるという。しかも、各店舗で少しづつクーポンの内容が違うんですね。当時はグーグルマップなんて無かったので、地図なんかも描かないといけなくて。でも、ある程度仕事を覚えてくると、ルーティンワークになってしまうんですよ。2時間かかるところを30分でやるとか、そういった技術面の精度みたいなもの上げれたかもしれないですね。

いま思えば、そういう仕事を5年ぐらいやっていたので、自然と染みつくように学べたのは良かったですね。世に出ていくものが、「なんじゃ?この字詰めは!」とかになってしまうのはまずいので。その基盤となるものがないと、恥ずかしいじゃないですか。グラフィックデザイナーと名乗る以上。

28歳で上京したのは一大決心ではないですけど、けっこう大きなターニングポイントではありましたね。家庭の事情なんかもありましたので、そこを切り離して東京に住むことが家族にとってプラスなのかということは悩みました。でも、何も考えずにマクドナルドのクーポンをやっていたけど、色んな人を説得しててでも、本気で自分の取り組める事を考えなきゃいないけない、そう思ったのが27歳の時でした。

幼い頃から吸収してきた知識は信じられる

僕は絵を習っていたわけでもないし、美大に行って美術の勉強をしてきたわけでもない、じゃあ20代にデザイン会社でデザインの技術をしっかり培ってきたかというと、それも少し違う。そういうこともあり、色々なことに対してなかなか自信が持てなかったんですよね。

photo_02

でも、仕事をしていくうちに、技術とか学んできたことがなくても、成立する部分があるのが分かってきたというか。他の人より映画をたくさん観てきたとか、子供のころにマンガを描いていたとか、音楽やカルチャー、あとは雑誌だったら「Olive」とか、幼い頃から吸収してきた知識というのは、たぶん自信ではないけど凄く信じられる部分で。そこを揺るがずに出していくというのが、自分にとって良いんだろうなっていうのがあります。それも何年かやっていくうちに分かってきたことですが。

だから、流行っているかっこいいものを取り入れても、それは見透かされるだけだと思っていました。そこはエモーショナルな部分とか、子供の頃のノスタルジックな部分とか、ある映画のワンシーンに感動したとか、そういうものを引き出してデザインにしていくというのが重要だなと考えています。

次ページ:デザインから少し遠くに行って、デザインに上手く結びつける