【メディア芸術祭20周年】いま改めて「つまらなくなったものを見つける」楽しさ-伊藤ガビンインタビュー(1)

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【メディア芸術祭20周年】いま改めて「つまらなくなったものを見つける」楽しさ-伊藤ガビンインタビュー(1)

アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門において優れた作品を顕彰するとともに、受賞作品の鑑賞機会を提供するメディア芸術の総合フェスティバルとして国際的な発展を続けてきた「文化庁メディア芸術祭」。その20周年を記念した企画展、「文化庁メディア芸術祭20周年企画展―変える力」が10月15日から23日間にわたって、アーツ千代田 3331を中心に都内各地で開催される。「変化」をキーワードに、過去に審査委員を務めた4人の監修者によって選ばれた、歴代の受賞・審査委員会推薦作品の展示や上映などを行い、変容し続けるメディア芸術の多様な表現が紹介される。過去にエンターテインメント部門審査委員も務め、エンターテインメント部門監修者である伊藤ガビンさんに、メディア芸術の20年の移り変わり、変わらない本質、そして日常化(=陳腐化)など、さまざまなお話をうかがった。

-過去に審査委員長として、そして出品作家としても関わられている伊藤さんからみて、20周年を迎える「メディア芸術祭」についてどのような印象をお持ちですか?

メディア芸術祭の歴史を最初から丁寧にみてきたわけではないから、結局は資料から振り返っている感じなんですけど。僕の中ではメディア芸術祭についての考え方が何周もしていて、実はメディア芸術祭がはじまった時にはわりと否定的でした。それはどういうことかというと、「メディアアート」という言葉と、「メディア芸術」という言葉が全然違うアプローチだと感じたからです。僕はメディアアートがすごい好きで、そこからすると問題がややこしい感じではありました。

伊藤ガビン 1963年、神奈川県生まれ。コンピューターホビー誌の編集から、ゲームデザインの仕事を経て、現在はウェブサイトのディレクションや、映像制作多数。デザインチームNNNNY(nnnny.jp)のメンバーでもある。読み物サイト「モダンファート(modernfart.jp)」編集長。女子美術大学短期大学部教授。

伊藤ガビン
1963年、神奈川県生まれ。コンピューターホビー誌の編集から、ゲームデザインの仕事を経て、現在はウェブサイトのディレクションや、映像制作多数。デザインチームNNNNY(nnnny.jp)のメンバーでもある。読み物サイト「モダンファート(modernfart.jp)」編集長。女子美術大学短期大学部教授。

まずそういう大前提があってですが、「メディア芸術祭」はすごく不思議な存在だと思います。例えば、ほかのいわゆるメディアートが展示されるような会場でメディアアートの作品が展示されます、でも人はさほど入らない。だけど、同じ作品が「メディア芸術祭」に展示されている時は長蛇の列。それこそデートで行ったりするような感じ。メディアアートの施設の中に入っていると、メディアアートのファンしか来ないんだけど、「メディア芸術祭」という名前で外に出て行くと、同じ作品なんだけれども客層や人の目にふれる確率とかが全然違う。

ここがはっきりしてきてからは、作品を出す側もそれを意識しているというか、たくさんの人の目に触れてもらうためにエントリーする感じになりましたよね。メディア芸術祭は歴史を重ねていくなかで、国内においては独立した違うものとして見えはじめたし、そもそもメディアアートがカバーする範囲も変わってきたと感じます。20年という歴史の積み重ねでいうとその部分ですかね。

-近年、「メディア芸術祭」それ自体がメディアになっているような印象もあります。改めて20年を遡ってみて、そういった潮目が変わったのを感じたのはいつぐらいからですか?

どっかで分岐点があったかというと、漫画だったらこの時点とかいろいろあるんですけど、僕はわりとけっこうジワジワ変わってきたかなという印象ですね。

-ジワジワ変わってきたなかで、表現方法やトレンドも移り変わっていった印象はありますか?

それはあんまりないかもしれないなあ。例えば、ユーザー参加型の表現って大昔からあるんですよ。大昔から今にいたるまで、ずっと新しい表現と言われ続けてきていて。そう言われ続けていていることはけっこう忘れがちだと思います。

それはインターネット以前にもあったし、インターネットを使った初期の作品にもあるんですね。「センソリウムプロジェクト」がやっていた、インターネット上に流れているデータを可視化して作品にするみたいなことって、同じコンセプトでもちょっとした新しい見せ方でやれば、まるで新しい表現のように見える。だから“新しいと言われ続けている古いジャンル”ですね。本質的な部分での新しさはなくて、むしろユーザーの使い方が変わってきていると思うんですよ。

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ゲームでいうと、据置きしてテレビの前でやっていた時代から、だんだん携帯型のゲームに移行して、スマートフォンに移行してみたいな。ふだん長時間接しているメディアが変化することで、付き合い方が変わってくるんだけども、そもそも潰せる時間って有限でしょ?そういう意味ではやっていることは実はそんなに変わっていない。

ただ、昔インターネットが理想郷として語られてた時と比べるとギスギスしてきていて、けっこう大きな問題としてすくすくと育っている。そんな印象はありますね。大きな変化はギスギスがずいぶん育ったよっていう(苦笑)。

-過去の受賞作品で、その時には新しさを持っていたのに、いつの間にか日常化してしまったものもけっこうあると思いますが……

まずメディア芸術祭は、一番最初にデジタルアートのジャンルで、インタラクティブ部門とノンインタラクティブ部門というのがありました。デジタルで何か作品を作ること自体が珍しがられてた時代だったので、「Photoshopでつくりました!」という感じのものがノンインタラクティブ部門で賞を取っていったんですね。応募数が少なかったというのもあるんだけど。これをいま展示して見せようとすると、まったく人が引きつけられないものになるだろうと思うんですよ。

フォトショで絵を描いたものはデジタルアートではなくて、いまでは多くのイラストレーションがデジタルで描かれているから、それ自体にはなんの情報もないわけなんですよ。だけど、この20周年の展示ではそこがすごく重要で、つまり一般化したからこそ、いまだったら話題にならないようなものがけっこうある。

キーワードは「変化」、10月15日から開催される「文化庁メディア芸術祭20周年企画展―変える力」

キーワードは「変化」、10月15日から開催される「文化庁メディア芸術祭20周年企画展―変える力」

そう考えると受け止め方はだいぶ変わりましたね。技術として一般化してしまった、ある意味で陳腐化したものを、そういったものをすべて展示できるわけではないけれども、歴史をアーカイブして俯瞰するような仕組みを少し考えています。「つまらなくなったものを見つける」みたいな?そういう楽しみ方もあるかもしれないなと思うんですよね。「これはなんで受賞したんだろう?」とか考えるのがけっこう楽しい。

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-「つまらなくなったものを見つける」っておもしろいキーワードですね。自分のiPhoneにPhotoshopのアプリが入っていることを考えると、かつては未来的なものと思っていたのが、あっという間にふつうになってしまった。この状況を改めて見直す機会ができるんじゃないかと思っています。

20周年記念企画展が、いつもの展示と違っておもしろいところはそういったところですよね。20年を振りかえってみるといくつかの時期にわけられるんですけど、当初はデジタルのインタラクティブとかエンターテインメントといった時に、その主流の作品というのはゲームだったんですよね。

叩き上げのゲーム会社の人たちがゲーム文化をつくり上げてきたところに次世代機が出てきて、ゲームの世界以外の人たちが流入してくるっていうのがあって、それがちょうどメディア芸術祭がはじまるかはじまらないかぐらいの時期でした。正統派のゲームづくりが積み上げてきたものに、「このジャンルがおもしろい!」みたいな感じで外からやってきた人が入り混じったのが、1990年代後半の世界だと思うんですよね。その後、ゲームはある意味大作主義みたいなところにいってしまって、そういう時に今度はWebがおもしろくなってきちゃうわけなんですよね。

いまでこそ廃れたFlashとか、Webでできる表現が増えてきて、派手な表現が可能だから広告的にお金をかけるフィールドとして開拓されてきた。いわゆるキャンペーンサイトみたいなものが出てくるのが2000年代通してずっとありますけども、その後コンピューター上の世界だけだったものが、もっとフィジカルなものとかを要求するというような、ユーザーの欲求が高まってきました。Webのキャンペーンでもフィジカルと結びつけたものが増えてきて。結局、SNSとかみんなが使うプラットホームがあってそれを利用するというか、あと仕組みとしてもブログが普及しましたね、それをカスタマイズしてコンテンツをつくるみたいな。1点もののWebサイトをイチからつくることはもうなくなってしまいましたね。

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どっちかというとプラットホームが変わったことで、その上での遊び方を常にみんな考えていると思うんだよね。実はそこで行われていることっていうのは、そんなに代わり映えはしなくて、メディアが変わるたびに同じような盛り上げを毎回味わっているような気がしますけどね。

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