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「'80のポストモダンはポストモダンではない。マージナルの問題は解決されていない」という柏木氏、「デザイナーは周縁に立ち、社会に対して問題を投げかける存在でもある」という内田氏の言葉を受け、続けて田中氏が、桑沢デザイン研究所の黎明期の話などと共にご自身のデザイン観の形成について説明します。
デザイン、その社会との関わり
「桑沢デザイン研究所の講師をしていた27、28才のころ、駐留米軍からアメリカ文化を吸収していた。アメリカのデザインの大衆性、平等性 ── 誰もが使えるものが素晴らしければ、皆豊かになる ── という思想に惹かれたのだろう」。音楽、グラフィックなど先端文化へのどん欲さにあふれていた時代に、田中氏はユニバーサルデザインに出会いました。
「デザイナーという仕事には、受ける仕事によって自分の分野を方向づけられる側面がある」。「産経観世能」('55年)のポスターが以後の田中氏の日本テイストを決めたといえます。このポスターは、能を大衆に向けて普通の劇場で公演するという新しい試みのために作られました。
‘日本的’なるもの
「西欧・アメリカ文化に影響を受けた人が多い時代の中で、孤独を感じたこともあった」。デザインにおいて伝統的な日本文化を扱うことが、周縁から中心への投げかけとなっていた時代をふりかえっての田中氏の言葉です。
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