前回までは男性を主に扱ってきましたが今回は女性が中心。
「ジェンダーを越え、女性の中に潜む命を描こうとした」人々をとりあげます。「今日の文化が女性によってリードされていることにも、どこかでつながるだろう」と松岡氏は言います。
樋口一葉
一葉は、歌人 中島歌子の萩の舎(はぎのや)で和歌を学び、18才で父を亡くした後は苦しい家計に追われながらも20才で処女作『闇桜』を発表します。死の前年、24才のときに発表された『にごりえ』は、遊郭の近くで暮らす一葉にとって親しみある世界を描いた作品です。
題材を遊郭や遊女にとり、そこに‘雅’や‘女の美’を表現することで「‘江戸そのもの’が、まだ出現するということを見せた」。
同時代の女性と同様に一葉が影響を受けたのは、北村透谷の論文『厭世詩家と女性』*1などでした。透谷は‘ペシミズムの中にこそ女性の美はあるのだ’と言い、はかなく成就されない世界を描くことを、一葉に気づかせたのでした。
『たけくらべ』『十三夜』などの代表作を立て続けに発表した、一葉最期の‘奇跡の11か月’。「マグネシウムのような輝きを放っています」。この期間に爆発的に創作活動をし、たった24年間の生涯を閉じたのでした。
「一葉が残したものが明治を作ったのでは」と松岡氏は語ります。
日本の面影〜ラフカディオ・ハーンを通して
相次いで世を去った透谷と一葉*2。まるで「この二人の持つ世界をもっとさかのぼるべきだ」というように、入れ替って登場したのがラフカディオ・ハーンです。
明治23(1890)年にアメリカの新聞記者として初来日、その後小泉節子と結婚し帰化したハーン(小泉八雲)は、‘日本人の微笑’や‘作法’を理解していました。そして、海外に向けて国際社会では新参者であった日本について説明し、誤解を解こうと努力します。
彼は日本のクレオール文化(混合言語文化)の中に、ミームとも言うべき奥深いものを見出したのです。しかし、近代化(西洋化)と共に明治の日本が失っていった‘心’や‘態度’は、西洋人であるハーン自身も失っていたものでした。
彼は「自身も日本もそれらを回復できないのだろうか」という悲哀を抱きます。
日本の面影をどう現実に表現するか、という問題は、明治時代、特に日清・日露戦争以降の時代において、表現者たちを苦しめます。そうした中、「日本の面影を追慕するノスタルジーの中だけで語った」のがハーンでした。「ハーンを見つめることは、我々が現代において、言葉にならない面影というイメージを表現することにもつながる」のです。
『明星』と与謝野晶子
透谷や一葉を通して日本の面影に浸っていた晶子。「明治を‘男には真似できない別の情念’で動かしたのです」。
『文学界』の後、浪漫主義の中心となったのが『明星』*3です。創刊者 与謝野鉄幹は強烈なロマンティシズムの詩を書きました。彼は失われていた日本の面影を再生し、描こうとしたのです。ペシミスティックな『文学界』に対して『明星』は雄々しい‘ますらをぶり’でした。
晶子が愛する鉄幹を歌ったのが『みだれ髪』です。「言葉を巧みに繰り返し‘ずらしながら’ぶつけた率直な表現」は日本を驚かすことになります。また、日露戦争時に発表された日本最初の反戦詩『君死にたまふことなかれ』などにより、晶子は社会から非難されます。
ですが、晶子の奔放な表現力に惹き付けられた、幸田露伴や森鴎外、『明星』に集まる人々によって彼女は守られ「ロマンティシズムによる詩の泉は枯れずに済んだ」のです。
明治の終焉
日露戦争が終わる頃、鉄幹は文学界での影響力を失います。明星派を脱退した、北原白秋、木下杢太郎らは鴎外のパトロネージュのもとで『スバル』を出し、南蛮詩*4を作ります。それは新しい面影を歌うきっかけとなります。明治の終焉を象徴する脱退でした。
晶子は有島武郎と出会い、愛し合います。キリスト教徒であった有島は大杉栄ら無政府主義者を支援していました。晶子の生き方は、青鞜社の発起人となる平塚雷鳥に影響を与え、晶子は『青鞜』*5の創刊号に文を寄せています。
雷鳥は、それまではバラバラだったキリスト教思想と禅の思想を持ち合わせた女性でした。
そして‘新しい女’と呼ばれた雷鳥をして「かなわない」と言わしめたのが、大杉の妻、伊藤野枝です。
彼女らの婦人運動は、現実生活の貧しさと政府からの弾圧に多大な犠牲をはらうことになります。関東大震災が起こり、「日本で最も自由な男と女」大杉と野枝は虐殺され、明治の精神は終わります。以後、晶子や雷鳥に今までのような過激さは見られなくなるのです。
男性によって動いていた時代が、女性と共に変質していく様を追った今回。「その変質が実際どのようなアートやデザインに表れたか」という次回に続きます。
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