講座監修の内田繁氏から、「‘デザイン’‘日本文化’‘今日の文化’を非常にうまく融合させている。日本を代表するデザイナーであり、芸術家である」と紹介があり、田中一光氏が登壇します。
今日のデザイン状況
「桑沢デザイン研究所での人間同士の接触が、日本のデザインを少しずつ動かしていったのでは…」。1960年代に桑沢デザイン研究所で教鞭を執っていた田中氏。
コンピューターが普及していなかった当時、書体をLPジャケットから探してトレースしたことや、学生との交流の思い出などを語ります。
「グラフィックデザイン」として一括りになっていた分野が、「イラストレーション」「タイポグラフィー」「パッケージ」「サイン」「CI」などに拡散している現在。そのため以前と比べると「仕事のやり方が難しくなった」と田中氏。
コンピューターやインターネットが普及したことによって、デザイナーではない人たちが、家にいながらにしてデザインの世界に気軽に触れることができるようになった。「それによって新鮮なものが出るのではという期待が持てます」。
一方で、今までプロのデザイナーのみが修得していた手法や技術の敷居が低くなり、誰でもデザインに参加できるようになります。その結果、プロをプロとして成立させる要素は「判断力やものを見る目しか残されません」。「それがこの領域を危うくしているのでは」と田中氏は語ります。
デザイナーの仕事とは
デザイナーはクライアントとの打ち合わせに大半の力を使います。そこで自分を主張しながら相手の意向にも合わせるというのは至難の業なのです。
「依頼されたことと自分が考えていることが一体となったときが幸運だ」と氏。フェラガモの仕事をする際に「(田中氏は)日本の伝統を大切にしているから当社(フェラガモ)の仕事はできる」と言われ勇気づけられたと振り返ります。
「デザイナーは常に注文があってそれに応えるもの。主体性がないから(笑)。『何を描いても良い』となると困る。モチーフが決まればかえって楽だが、モチーフが決まるまでが苦労する」。
日本の‘二重構造’
日本人には、着物も洋服も着ることができる、というような二重構造が存在します。
歌舞伎などを上演する国立劇場と、オペラなどを上演する新国立劇場とがあるのもその例です。「この二重構造を表現するのが、デザイナーとしての宿命でもある」と田中氏。
しかし、日本では伝統的な文化が現代までつながっていることが非常に少ない、と言います。たとえば、ニューヨークのクリスマスツリーは伝統的なものも現代的なものもあり、それぞれの良さがあるが、日本の門松には現代版などない。
「日本では伝統の受け継ぎ方も悪いし、現代化する活力も乏しい」。「日本文化の特性を一つ一つ洗い直してコトを起こしていくのが良い」と語り、日本文化の根底にある美意識を表す例として、琳派や日本の伝統的イメージ、田中氏自身の作品などを紹介します。
会場からの質問に応え、話題は「茶」「歌舞伎」におよびます。
田中氏にとっての茶道
田中氏の山中湖の別荘には茶室があり、そこで偶然、手作りの道具を用意して茶会をすることになりました。「そのしつらえがすごく良かった」と田中氏。
「利休が生きていたら、きっとやりたかったであろうというような新しい茶会だった」と振り返ります。「明治以降、お茶は女性に占領され『振り袖を着て、花嫁修業の一つとして…』というのが主流になってしまった。それをアート領域に取り戻したい」と氏は語り、会場から拍手が起こります。
歌舞伎への共感
歌舞伎のような庶民の文化が17世紀から栄えたのは、世界でも珍しいことです。
オペラやバレエは王侯貴族のものでした。一方、歌舞伎は出雲の阿国のパフォーマンスから始まり、当時の幕府はそれをバックアップするどころか迫害していました。
「歌舞伎はそれを生き延びてきただけの強さを持っている」。
文化の中には洗練されたものもある一方、キッチュなものも混在している。田中氏は、キッチュなパワーを持つ、歌舞伎のような庶民的な芸術の方が、かわいがって育てられたものよりも深く共感すると言います。
「ラーメンやあんぱんなど、外国のものと日本のものの折衷を考えつき、うまく作ることが日本人は上手なのだから、それをもっと他のことにつなげていったら良い」という期待を述べ、田中氏の講義は終了しました。