| 「デザインと日本文化」6回目は、柏木博氏による「日本のモダンデザイン」です。
本シリーズのコーディネーター松岡氏が、江戸から明治にかけての和漢から和洋へと変わりゆく歴史をなぞり、「近代以降、日本がどのようなデザインポリシーを持ってきたか話してもらう」と柏木氏を紹介します。
スタイル・作法の変化
「江戸から明治になったとき、欧米の思想や言葉がどっと入ってくる。前提にあった生活がいっきに崩れいていく。崩れたときに立て直そうとする。立て直すために、何とかそこにスタイルを持たないとダメだと考える」。
新しいスタイルの推進者となったのは、もと下級武士である明治の上層階級でした。手本としたのは、華族階級とヨーロッパからやってきた産業ブルジョワです。
「権力っていうのは‘ここに権力がある’というのを見せなければならない。良い方法は、礼儀作法を作りそれを相手に見せること。何でもいいから礼儀作法の体系・システムを作る必要があった」。上層階級特有のスタイル・身ぶりが作られます。中産階級は「あの身ぶりをしないと上に上がれない」という欲望を持ち、皆その身ぶりを欲しがります。「そこにマーケットが生まれる。礼儀作法の本を次々と書いて‘これが上品だ’というスタイルを作っていく」。
続いて、お札、共通語、椅子、教育、家具、文字などがどのようにデザインされていったか例をあげ、スタイルの標準化と標準化が産んだ‘周縁’の問題に触れます。
浮世絵の技術
「画家が画工と呼ばれる人たちに発注する。画工は絵を石版に描き分けていく。それを摺る。画工達が独立していって、美人画のポスターを作るようになる」。 浮世絵の技術を持つ画工が、図案家・初期のグラフィックデザイナーとして登場します。「彼らは、目で色分解して版を作っていたんです」。
写真製版が実用になり、画工の技術が必要なくなると、杉浦非水、原弘などの近代的なデザイナーが出てきます。画工達は取り残されますが、その技術は印刷業に引き継がれてゆきます。
「浮世絵の伝統が残り、画工がいる。そこにアールヌーボーがたちまち入ってくる。同時に画工たちが今までの技術で図案をやりはじめる。'20年代になるとアールデコやバウハウスがやってくる」。「これらが同時に重なりながら動いていた。グラフィックデザインの近代化の流れは猛烈な速度だった」。
「問題は、全部を取り残して、一つ一つ点検しないまま現在に至っていること。・・・今日のグラフィックデザインを支えているのは、この(時代の)技術であるということ。これらについて、もっと見ていく必要がある」。
「1868年から1920年位までの間に、えらいことが、ものすごい速度で起こった」。この時期に 日本のデザインが大変動を迎えたことを、改めて確認し講義を終えました。
|