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デザインの生まれる土壌
はじめて僕がイタリアを訪れたのは、大学院の時だから、およそ17年も前に遡る。当時は授業で教わった建築の歴史が現実に存在することが感動の全てであった。その後イタリアへのあこがれは日増しに強くなる一方で、就職しても尚、イタリア留学の夢を捨てることはできなかった。僕が就職して建築の実務に携わり始めた当時、日本はバブル景気のまっただ中で、それこそデザイン界は次から次へと奇抜で新しいスタイルを生み出しては捨てていった。そんな状況の中で何か違和感を感じていた僕は、当時ヨーロッパでウィリアム・オルソプと並んで極左的な存在として注目を集め始めたマッシミリアーノ・フクサスのエネルギッシュでエキサイティングな仕事に接して衝撃を受けた。僕の知っているローマは古代遺跡とバロックのテーマパークのような所だ。そのローマでどうしてこんな前衛的な建築作品が生まれてくるのだろうか?バブル日本の建築にうんざりしていた僕が彼の事務所にリハビリに行くことになったのは、そんな思いがあったからだ。
実際に彼の事務所はトラステヴェレというローマの下町のはずれにあり、倉庫を改装した天井の高い空間にあった。事務所から1歩外に出ると、そこは何百年も時間の止まったローマの石の世界であり、一方扉の内側では世界中から集まった若者達の話す数カ国語が飛び交うすさまじいエネルギーの坩堝であった。フクサスは想像以上にテンションの高い男で、仕事に対しては自分の意志をコントロールできないくらいにのめり込む。僕らは彼の醸し出すアイディアやイメージを数秒の瞬間をも惜しみながらモデルやスケッチに落としていく。次々と移ろう彼のイメージとの必死の競争である。
昼休みにはトラステヴェレの広場にある、ベルニーニ設計の立派な噴水の基壇に腰掛け、アリメンターリで作ってもらったロゼッタというパンや白焼きピザに生ハムやチーズを挟んでもらって缶ビールでランチをとる。のんびりと流れる時間を体の隅々まで感じとり、最後にエスプレッソをひっかけてまた戦場へと戻っていく。イタリアのデザインは、こうした独得な歴史を背景とした街並みやライフスタイルがあってこそ、輝いているのだということが僕の答えであった。似たような前衛的作品を作ることはニューヨークでも日本でもできることなのに、それが置かれた環境が違うことで、その作品の価値は180度変わってしまうのだということに気付いたわけだ。
このことは僕が帰国して、以前のようにバブル期の建築に対して批判的な見方をしなくなった最大の原因かもしれない。それと同時に環境に従属し、そして環境を変えていけるような建築を目指すという、大きな目標を持つこともできるようになった。対比する文化と背景のない日本ではこのような建築がいきいきと輝くことはない。僕たちは日本文化という特殊な背景を受け入れつつそこで生きる建築を目指さなくてはいけないのだと考えている。
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 現在の西森氏
西森陸雄
建築家
1961年 東京出身
1986年 早稲田大学大学院修了
1991年まで、建築家長島孝一に師事
1991年から建築家Massimiliano Fuksasのローマ事務所に在籍
1992年〜93年 文化庁芸術家在外研修員
帰国後、児島泉、内山律とフラグメンツ・アーキテクツ・オフィスを設立
1997年 西森事務所として独立
早稲田大学建築学科、東京工科専門学校等で講師を務め、現在は工学院大学にて非常勤講師を務める。1997年には、若手建築家により30代建築家100人会議を立ち上げ展覧会、シンポジウムなどを企画実行。昨年、project.co.jpという若手クリエーターグループで、ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展に参加。 |